第21話:暗い夜を照らす月

 白い天井に白い壁。ベットと机だけがある無機質な空間。そこは朝から晩まで実験に付き合わされる身体を休める為だけの部屋だ。

 僕は今日も痛みと共に過ぎていく毎日を、憂うことなくただ生きる。憂うという感情は、それ以上を知っているから起こる感情だ。僕にはそれは無い。生まれた時から僕の生活は変わらぬままで、僕に与えられるものは日々の食事と身に付けている着衣ぐらいなものだ。


 最近、僕の処分の日が決まった。十七歳になる日だそうだ。研究者たちがこそこそと話してるのが聞こえたが、隠す必要なんてないのにな、と思う。だって僕は抗わない。僕にとって死は安らぎだ。

 怖いか怖くないかと問われれば、行った事のない場所に行くような高揚感はあるが、怖いという感情は無い。

 どうせ二十歳を過ぎるころには精神を喰われた化け物になるのだ。そして処分されるだろう。それがたった三年早くなっただけの事だ。


 そういえば、僕はいつ十七歳になるのだろう。僕は僕の生まれた日を知らない。


 まぁ、どうでもいいかと思い直して、僕は高く積まれた本を手に取る。

 こんな娯楽も何もない空間で読書だけは許されていた。頼むとどんな本でも取り寄せてもらえたのはありがたかった。とはいえ、本の種類自体もあまり知らないものだから、“物語の本”や、“計算が出来るようになる本”、などふんわり伝える事しかできなかったのだが…。

 僕は実験が始まるまでの時間や、何もない日は一日中読書をしている。文字も簡単な計算も誰も教えてくれなかったから本の知識で独学で覚えた。僕と同じぐらいの普通に育った人たちは学校とやらに行くそうだ。だから僕は教科書とやらも取り寄せてもらった。難しい内容をパズルのように紐解くのは面白く、高校三年の教科書まで理解し終えるのにそう時間はかからなかった。


 そんな僕の生活が変わったのは、ひいらぎという研究員が僕の世話係になってからだ。

 彼は今まで腫れものを触るように接してきた他の研究員とは違い、僕に親のように、時には友人のように接してくる不思議な奴だった。


 そして、名前をくれた。


「月玄? それが僕の事を指す名詞?」

「名前だよ。“暗い夜を照らす月”って意味を込めてみたんだ。苗字が必要なら私のを使ってもいいよ。いつまでもサンバンじゃ味気ないだろ?」

 僕は研究所でサンバンと呼ばれてた。多分三番って意味だろうと見当はついているが、未だにイチバンとニバンには会った事が無い。もしかしたらもう処分されているのかもしれない。だって僕ももうすぐ処分される。

「必要ないよ、どうせ僕はもうすぐ死ぬんだから。それにオジサンしか僕に話しかけないし、ココには僕しかいないから、“おい”でも“お前”でも僕は振り返るよ」

 何の気なしにそう言うと、悲しそうに頭を撫でられたのを今でも覚えている。


 彼は本当におかしな人物だった。

 僕に普通に話しかけてくるだけならまだしも、この世界の常識というものを彼は僕に教えてくれた。時には研究の内容や、青の派閥がどうという事もいろいろ話してくれた。そこで初めて僕は自分が吸血鬼であることを知った。“真祖の身体”とは生まれた時から何度も聞いているが、真祖というのが何のことか意味を理解していなかったし、理解しようともしていなかった。二十歳前後で狂った化け物になるとも聞いていたけど、それは今僕にしている実験のせいだとばかり思っていたからだ。

 そして彼は僕にもう一つ重要な話をしてくれた。

「え? 僕に対がいるの?」

「そうだよ。君が真祖の身体をもって生まれてきていて、彼女は真祖の血をもって生まれてきているんだ。今はどこにいるのかわからないけれど、きっといつか出会えるよ」

「……ねぇ、オジサン。その人は僕の家族になってくれるかな?」

 不思議とすんなりそう言っていた。家族が欲しいと思った事は無い。言うなればそれは物語の登場人物の様なもので、自分にとっては架空の存在だ。でも、対なら、僕と同じ境遇のヒトなら、家族になれるんじゃないかと思った。血は繋がってなくても互いを大切だと思えるような関係に…。

 そんな僕の感情を汲み取ったのか、オジサンは表情を和ませて僕に優しく語りかけた。

「どうかな。その子に会ってみないとわからないね。でも、きっと月玄と彼女は出会えるんじゃないかな? きっとそういう運命だよ。だから、その日を楽しみにしよう」

 全身を雷に打たれたような感覚が襲い、僕はぎゅっと胸を掻き抱いた。

 彼はきっと生気を無くしたような僕を励ますつもりの話だったのだろう。実際に効果はてきめんだった。


 僕はその時人生で初めて死にたくないと思った。

 彼女に会うまでは死ねないと思ったのだ。


 それからすぐに僕の処分は行われた。オジサンは必死に僕の処分を止めさせようとしていたみたいだけど、その甲斐は無く僕はガス室へと連れていかれた。

 だが、僕はもう今までの死に殉じようとする僕ではなくなっていた。

 だって、彼女に会うまでは死ねない。ずっとずっと独りだった僕の初めてできた繋がりだ。

 内側から溢れる力に身を任せれば、研究所を破壊して逃げ出すことなんて訳がなかった。


「ありがとうオジサン」


 空を飛ぶ僕を見上げる研究員の中に彼を見つけてそっと微笑んだ。苗字はそのままもらうことにした。

 そのままひらりと羽を翻して初めての外の世界を堪能する。星も月も肉眼で初めて見た。そしてアイツに出会った。


 夜の帳の中、銀髪の男がいた。その男はにやりと笑って僕に傅いた。

「お迎えに行こうと思っていたのですが遅くなってしまいすみません。今日から私は貴方の僕です」

 突然の事に何も答えられない僕に彼はまだ続けた。

「私を貴方の元へ置いてくださるのなら、私は貴方が欲しいものを差し上げましょう」

「何を?」

「貴方は貴方の対になる存在を知っていますか?」

 息をのむ僕の前で彼は手を差し出した。

「私の事はどうぞシロとお呼びください。行きましょう。隠れ家を用意しています」


 そして、しばらくして、僕は君を見つけた。

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