第18話:恋バナ
朝食を終えた梓は身支度を整えて一人部屋にいた。いつも家を出る時刻までまだ一時間ほど余裕がある。特にすることのなかった梓は以前から疑問に思ってた事を解消するべく、国語辞典とにらみ合いっこしていた。
「け、け、けそ…。けそう…。えっと… 」
「どうしたんですか、梓。国語辞典なんか取り出して、今から学校の宿題でも取り掛かるんですか?」
「いや、少し前から気になってた事を調べようと…。って壱?」
「ノックはしましたよ。反応はないようですが居るようでしたので勝手に入りました。ダメでしたか?」
「ダメじゃない。ダメじゃない。むしろ丁度良いところに来てくれたよ」
突然現れた壱に驚きながらも、梓は壱に自分が見ていた国語辞典を広げてみせる。
「『ケソウ』探すの手伝ってくれない?」
「……すみません。意味がよくわからないんですが」
「あのね、なんか前に『アカオニがケソウしてる』って本当か? ってクラスメイトに聞かれちゃって、その時はケソウって意味も分からなかったし、月玄が出てきちゃったりで有耶無耶になってたんだけど、ちょっと気になっちゃってて…。今、時間あるし調べてみようかなってさっき思いついちゃったんだけど、辞書苦手でどこにあるのかうまく探せなくて。アカオニって紅哉さんの事でしょ? なんかよくない噂だったら嫌だなって思うし……。というか、壱は『ケソウ』の意味知らない?」
「すみません。私もあまり勉強の方はできるタイプではないので『ケソウ』の意味は分からないんですが、辞書を引くのでしたらお手伝いしますよ」
「ありがとう! 助かる!」
そうして二人で一つの辞書を調べ始める。すると、案外あっけなくその単語は見つかった。
懸想:[名詞]思いをかけること。恋い慕うこと。けしょう。「ひそかに―している」
「多分、これの事ですね」
「恋い慕うことって、好きな人がいるって事?」
「え? 誰にですか?」
「紅哉さんに?」
「紅哉さんに好きな人?」
「……」
「……」
「「えぇ―――――!!!」」
壱と梓は慌てたように辞書を落とす。カタンと音がしてページがパラパラとめくれあがる。
「いや、ありえないですよ。あの紅哉さんが誰かを好きとか。あの人こういうのが一番似合わないタイプです。誰かに執着するとか一番なさそうな人ですよ」
「壱って紅哉さんに対してひどいよね? もしかしたら、もしかするかも、だよ? えー! でも確かに信じられないかも! 紅哉さんが好きになる人ってどんな人かなぁ?」
「大人の恋愛って感じしますよね? お互いにきちんとした距離を保って、恋愛になんて溺れないって感じで!」
「わかる! わかる! 壱ってば恋バナもいけるんだ! あんまり興味ない人なのかと思った!」
「失礼ですね、梓。これでも立派な女性ですよ! マーガレ●トは愛読書です!」
「きゃー!! 話合いそう! 今度見せてー! こっちに来てから読んでないの! というか雑誌も手に入るんだね!」
「勿論です! 今度持ってきますね! あ、でもいいんですか?」
「何が?」
「梓、紅哉さんのこと好きですよね?」
「へ?」
「紅哉さんのこと好きですよね? 紅哉さんに好きな人が居て喜んでいるように見えますが、いいんですか?」
「私が?」
「はい」
「紅哉さんの事が好き?」
「違うんですか?」
「え?」
梓はその問いにまるで石のように固まって動けなくなる。今まで数えきれないぐらい助けてもらって、何度か命も救ってもらったわけだが、一度もそんな風に考えたことがなかった。確かに、傍にいると安心するし、笑う顔を見ると自分も嬉しくなる。けど、それは壱や昴に対しても一緒だ。
「な、なんで、そう思うの?」
「梓は紅哉さんと一緒に居る時が一番楽しそうです」
「壱や、昴さんと居ても楽しいよ!」
「梓は否定したいんですか? じゃぁ、考えてみてください。仮に紅哉さんに本当に好きな人が居て、その人と改めて契約を結ぶから梓との契約は破棄したいと言ってきました。どう思いますか?」
「……」
「更に、その人とずっと一緒にいるからもう梓の護衛はできないと言ってきました。どうですか?」
「……」
「梓がそれでもいいと思うなら、さっきのは私の勘違いです。まぁ、その顔を見れば勘違いってわけじゃなさそうですけど」
「…どんな顔してる?」
「寂しそうです」
「そっか…」
リアルに想像してしまった為か、顔がひどいことになってるのは自分でもわかった。仲睦まじそうに手と手を取り合って歩いていく後姿を想像するだけで少し泣きそうになる。
「私、紅哉さんの事好きなのかな?」
「だと思いますけど」
そう言われて急に意識した。全身の血が沸騰したように熱くなり、耳まで真っ赤に染まる。好きなのだと気付いたら、今までの行動すべてがその感情に基づいた行動のような気がしてならなくなる。
そして先ほどまでの話題を思い出して、すぐに冷えた。彼に好きな人がいるという噂。
もし紅哉に好きな人がいるとするなら、好きだと気付いた日に失恋するようなものだ。彼の事を好きな人とはいくらでも戦えるが、彼が好きな人とは戦いようがない。せめて自分を見てもらおうと努力をするぐらいだろうか。
「……紅哉さん、好きな人いるのかな?」
「『アカオニがケソウしてる』ってやつですか? ただの噂だと思いますよ。いつも変な噂ばかりが立ってしまう人ですから。今回のはちょっと特殊な噂ですが、気になるなら本人に聞いてみたらどうですか?」
「本人に、なんて聞くの?」
「単純に『今好きな人いますか?』でいいんじゃないんですか?」
「……無理だ」
「頑張ってください!」
握りこぶしを作って応援してくれる壱には申し訳ないが、そんな大胆な事自分が聞けるとは思えなかった。何しろ先ほど気付いたばかりの気持ちだ。もしかしたら勘違いでないのだろうかという想いだって強い。確かに彼に好意は寄せているが、それが友人に寄せるようなものなのか、異性に寄せるようなものなのか、まだはっきりしていない。
その時控えめに扉が叩かれた。
「え? 誰だろ?」
「紅哉さんじゃないですか? 噂をすればなんとやら」
「違うよー。まだいつもの時間の三十分以上も前だよ? 紅哉さんじゃ…」
「呼んだか?」
扉を開けた瞬間、先ほどまで頭の中を席巻していた紅哉と目が合って梓は思わず固まった。いつもと変わらない表情でこちらを見る彼に、梓の体温は上がっていく。
「こ、こ、こ、紅哉さん! 何用ですか!?」
「……大丈夫か?」
「はい! 大丈夫です! 大丈夫です! この通りげーんき!」
梓が両手を上にあげガッツポーズを作ったところで、額にひんやりとした感触が当たる。それが、紅哉の手だと気付いて梓の体温はさらに上昇した。
固まってしまった梓を尻目に紅哉は両手で彼女の頬を包むようにして首を傾げた。
「少し熱いな。熱か? 俺としてもその方がありがたいし、今日は休むか?」
「ありがたい…?」
「あぁ、無駄に月玄との事を心配しなくて済む。今日は俺の傍に居ればいい」
「幻聴が聞こえたぁ!!」
「は?」
「いえ、何でもないです。取り乱してすみませんでした。体調は万全です! 今日はもう登校ですか? 早いですね!」
(『俺の傍に居ればいい』とか聞こえた。乙女脳怖い。乙女脳怖い。乙女脳怖い)
「少し早いがゆっくり歩けばいいと思ってな。この時間ならまだ人は少ないだろうし、話しておきたいこともあるしな」
「ははは! なんだかデートみたいですね!」
(何言った自分!? 今何言った!?)
梓は熱に浮かされて口走った言葉を取り繕うようにあわあわと両手を振るが、紅哉はそれを気にする様子もなく一瞬驚いたように目を見張り、そして考えるそぶりをした。
そして、出てきた言葉に梓は言葉を失った。
「そうだな。してくれるか?」
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