第14話:自覚

 彼女、斉藤梓は現在、俺の腹の上にまたがり、手首にはカッターナイフを這わせてこちらを睨むように見下ろしていた。いつもの天真爛漫さは鳴りを潜めて、真剣みを帯びた声色を出している。


 梓がこんな強硬手段を取ったのは学校から帰宅してすぐの事だった。彼女を部屋に送り届けた後、俺もいつものように自室に戻り、着替えを済ませようとした。苦手なカラーコンタクトを外し、上着をかけたところで控えめなノック音。意識を集中させると彼女が部屋の前に居ることが分かり、何事かと扉を開けた瞬間に体当たりをされた。そしてそのまま起き上がれないように腹の上に乗った彼女はカッターナイフを取り出して、こうのたまった。


「私が直接飲ませるか、自分で飲むか、選んでください」


 その時の俺は言葉を理解することよりも、彼女の意味不明で突飛な行動に圧倒されて、ただ呆けていた。

 だんだんと状況を理解した頭が彼女の話を理解していく。要するに、バレたらしい。月玄だか陽太に俺が血が足りないんじゃないかと指摘され、そして、その結果死んでしまうのではないかと不安を持ったようだった。


 正直な感想を述べるならば『放っておけばいいのに』だった。


「必死になる意味が分からない」

「そりゃ紅哉さんに死んでほしくないからですよ!」


 そうすぐさま返ってきて反応に困った。

 俺は彼女を拉致して軟禁してる側の者で、生きてく為に多少の信頼は寄せているのかもしれないが、どう考えても彼女にとっては自分が死んだ方が都合が良い事ばかりなのだ。監視の目だって俺が担っていた分ぐらいは甘くなるだろうし、口煩く言う奴もいなくなる。何より、彼女の傍にいるのはもう少し気の利いた事が言える奴の方が彼女も楽しいだろう。冗談の一つも言えないような男に四六時中見張られて、行動を制限されて、彼女は相当我慢強い方だと思う。

 そこまで考えて、胸の奥がチリッと痛んだ。梓が自分が生きてることを望むはずがないと論理的に証明された気がして、息が詰まりそうになった。俺の存在を邪魔だと思う奴は沢山いる。彼女もその中の一人だったというだけだ。それなのに、すごく苦しい。彼女が俺の瞳を怖がらなくたって、彼女が俺に楽しそうに話しかけたって、結局のところ梓は俺の存在が邪魔なのだ。邪魔なだけなのだ。それなのに死んで欲しくないと言う理由は何なのか。

 そして、俺が生きていて彼女の為になることを考える。そして、すぐに思い当たった。契約の事か、と。彼女は俺と契約することで多少の自由は得てるはず、俺が死ぬことでその自由がなくなると思ってるのかもしれない。そう思って出した声色は、いつもより鋭く尖っていた。


「もし、そうなっても、お前には関係ないだろう。契約は壱にでも引き継いでもらえばいい」


 『壱か昴に』とはなぜか言えなかった。もちろんまだ死ぬ気はないが、もし、何かあったときに契約が引き継がれるなら女性がいいとなんとなく思った。それは彼女を気遣って言ったものではなく、完全なエゴによるものだ。

 梓はそんな自分の返答が気に入らなかったのか、少し顔を赤くして、さらに気炎を上げた。


「関係ありますよ! 私、紅哉さんが死んだら悲しいです! 泣きます! 目が真っ赤になっちゃいます! 知ってますか? ウサギは寂しくてたくさん泣いたから目が真っ赤なんですよ?」

「……」


 変わらないな。そう思うと同時に口から同じ言葉が零れた。どこかで聞いた言葉だ。彼女は覚えていないだろうその思い出が脳裏をかすめて、少し優しい気持ちになる。そして、やっと彼女の言葉が届いた気がした。悲しいと言ったのだ。彼女は俺が死んだら悲しいと、寂しいと、そう言ったのだ。


「俺が死んだら寂しいのか?」


そう確かめるように問うと、当たり前だと彼女は口を尖らせた。


「そりゃ、好きな人が死んだら寂しいですよ! あ、えっと、『好きな人』っていうのは、人としてですよ! 人として!」


 『好きな人』

 ストンと何かが胃に落ちてきた気がした。あぁ、俺は梓が好きなのだと急に納得した。

 少し前まであんなに彼女を女性として見るのを拒んでいたくせに、あっさりと、なんの前触れもなく、俺は納得した。思い返せば結構前の段階でとっくに女性として見ていたのに、その気持ちに蓋をしていた。それが今解かれた気がした。

 守るのも一緒にいるのも命令だからじゃない。守りたいし、一緒に居たかっただけなのだ。月玄に対する警戒だって、八割ぐらいただの嫉妬だ。学校に行くようになった彼女を何時間も自分の手元に置いておけるアイツが憎らしかっただけだった。もちろん梓を拉致監禁し、自分の腹に大穴を開けた奴なので、危険人物として警戒していたのも確かなのだが、それ以上に気持ちが先走っていたように思う。


 そう納得しきって、もう笑いしかこみあげてこなかった。自分は何を悩んで、何を考えてきたのだろうと。それを馬鹿にされたのだと取ったのか、梓は俺の胸元を叩きながら怒った。


「紅哉さんっ!」

「悪い、悪い。それでさっき泣いていたのか?」


 話を変えるためと、そうだったら嬉しい、と期待を込めてそう聞いた。

 すると彼女は、見る見るうちに肩を落として、悲しそうな表情になる。


「それももちろんありますけど、そんな状態の紅哉さんに頼ってもらえなかったのが悔しくて…。いつも助けてもらってるのに、私は何も返せていないし。更に言っちゃうなら、今回血が足りなくなった原因だって、私の所為なんですよね? 監視する為だけかもしれないけど、一応契約だってしたのに、肝心な時は頼ってもらえなくて、私って本当に役立たずだなぁって…」


 そう言い終わるころには彼女の音量は半分以下になっていて、意気消沈といった具合で項垂れていた。それでも、先ほどまでの怒りは消えてないようで、そっぽを向く彼女は口を尖らせて目だけこちらを睨みつけている。


「そんな風に思ってたのか?」


 あまりにも意外だった答えに思わずそう聞くと、彼女はゆっくりと頷く。嬉しかった。彼女が泣いた原因が俺に頼ってほしいからだなんて、聞き間違いかと思った。何回、頭の中で先ほどの台詞を反芻しても、同じ答えにしかならなくて、困った。嬉しすぎる。

 気が付くと彼女の拗ねたような顔に手を伸ばして頬を撫ででいた。途端に潤む瞳。それを隠すように彼女が袖で目を拭くから、腫れる、なんて適当な理由で手を退かした。泣き顔も見てみたいと思ったから。すると、不満そうな梓の瞳と目が合う。思わず俺は苦笑いになった。百面相だな、と思う。


「悪かった」

「ほんとですよ!」

「すまなかった」

「それで済んだら警察はいりません」

「ゆるしてくれ」

「ゆるしません!」

「どうしたら許してくれるんだ?」


 なんでもするぞ。と見上げると彼女はまだ不満げで。そんな目で睨まれても怖くないが、あまりそういうことを言うとまた怒られそうなので俺は口を噤んだまま梓の言葉を待った。


「…もう少し頼ってほしいです」


 その言葉を聞いて、あぁ、もう駄目だな、と思った。手放せなくなりそうだ、と。

 彼女がいずれ何らかの理由でこの街を去ると言い出したら、全力で助けてやろうと思っていた。当主にだって逆らって、安全な場所まで連れて行ってやろうと思っていたのに。そんなことを言われたら、手元に置いておきたくなる。絶対、幸せにはできないのに。

 今は逸らされる目線さえも惜しくて、両手で彼女の顔を自分に向けさせた。


「血をくれるのか?」

「違います」

「…飲ませてください?」

「他人行儀すぎます」

「飲ませてくれ」

「…はい、どうぞ」


 梓は満面の笑みを見せる。それにつられるように微笑むと、彼女はまた笑みを強くした気がした。

 カッターをしまわせて、梓に自分の上に被さって来いというように手を伸ばしたのだが、途端に真っ赤になって恥ずかしがる。今の自分の状況をよく考えてみろと言いたくなったがやめておいた。どうせ男の腹の上に乗っているのだって本人は無自覚だ。指摘してこの体勢じゃなくなるのも、なんだかもったい。そんな考えが出るなんてまるで俺じゃないみたいだった。

 上機嫌で、来ないのか? と問うと何度も無理だというので、自分が覆いかぶさることにした。体勢を反転させて彼女を押し倒す形にする。そして、首元に顔を寄せた。香った匂いに頭が痺れる。やっと待ち望んだ血だからなのか、少し心臓が早鐘を打って、呼吸が荒くなった。

 その時、背中のシャツを掴んでる彼女の手が小刻みに震えてるのに気が付いた。ゆっくりと体勢を起こし、顔を見ると、いつか見た時のように口を真一文字に結んで首をさらけ出そうと横を向いている彼女の姿。怖がらせたな、と、少し罪悪感に俺は眉を寄せた。


「やめとくか? 怖いんだろう?」


 そう聞くと、彼女がびっくりしたようにこちらを見た。


「前の時も怖がっていたしな。またの機会にするか。俺だってすぐどうこうなるわけじゃない」

「怖いんじゃなくて、恥ずかしいだけです! あと、痛いのが嫌ってだけで…。大丈夫ですから、どうぞ続けてください!」


 言ったな? 後悔しても知らないぞ。


「じゃぁ、噛んどくか? 恥ずかしいのはどうにもできないが、痛いのはこれで多少は緩和されるんじゃないか?」


 シャツのボタンを一つ外して自分の首筋を指す。そしてそれが彼女の口元に来るように、もう一度俺は顔を寄せた。

 犬歯が梓の皮膚を裂くのと同時に、俺の首元にも甘い刺激が走った。

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