第7話:深夜の攻防戦

その日のシャワーは冷水を浴びた。目を覚まさせるためでもあったけれど、冷静になりたくて。

先ほど見た夢の内容が頭の中をぐるぐると回り気持ち悪かった。もう涙は出ない。何年前だと思っているんだと自分に言い聞かせて、消化せずに飲み込む。それがいつものやり方だった。

少しさっぱりした気分でシャワーから上がり、あてがわれた自室に戻る。

「紅哉さん」

扉に手を掛けたところで背中に声をかけられた。少しびっくりしたように振り返る。誰がいるのかなんて声を聞いただけで判別できていた。

「何時だと思ってる?」

「あはは…」

ぶっきら棒にそう言うと、困ったように梓は笑った。

両手に持っているコーヒーカップを掲げて、梓は「のみませんか?」と小さく微笑んだ。


時刻は深夜一時を回っていた。部屋に通すと彼女は「お邪魔します」と一言つぶやいて、部屋のソファーに座る。俺は少し間を開けて隣に腰かけた。

「助かりましたー。壱ってばもう寝ちゃってるから、起こすの忍びなくって。どうしようかとウロウロしてたら、紅哉さんの背中が見えて、声かけちゃいました」

「いつもこんな時間まで起きてるのか?」

「まさか! いつもだったらもう寝てますよ」

そこまで言って、梓はしまった、というような顔をした。

「寝れなかったのか?」

「あはは…情けないですね。コーヒー飲みすぎちゃったかな」

梓は苦笑いのまま俯いてコーヒーカップの縁をすすーとなぞった。そこにはなみなみとホットミルクが注がれている。ちなみに自分の前に置かれたカップにもホットミルクが注がれていた。

「怖いなら行かなかったらいい」

自分でも驚くような低い声が出た。

「怒ってます?」

「……」

何とも答えられない。肯定も否定も意味は無いと思った。だってそれは態度に出てたから。

「ですよね…。ごめんなさい」

そのごめんなさいは自分の意に沿えない梓の気持ちだったのだろう。その台詞にますます眉間の皺は濃くなった。気分が悪い。せっかくシャワーを浴びてすっきりしてきたというのに…。

 気持ちが空回りする。彼女を守りたいと思っているのに、それをさせない彼女と状況に再び苛々した。次にあの月玄とかいう男に会ったら全力で叩き潰そうとそう思う。

 そしてふと、何で自分はこんなに苛々しているのだろうと思った。確かに、四歳の頃から知ってる彼女の事を特別視してたのは確かだ。ここら辺を歩いてる子供よりは目にかけてやろうぐらいには思っていた。ただ意識的にはそれまでだ。守るのも傍にいるのも命じられたからで、そこに私情は入ってないはずだった。おかしい。だったらなぜこんなに苛々するのか。

 最初に月玄にさらわれた時も、上の決定は“見捨てる”だったのだ。なのに自分は昴が止めるのも聞かず、助けに行った。それは何故か。


そこまで考えて、その思考を無理やり止めた。これ以上は、なんだか足を踏み入れてはいけない領域だと思ったからだ。


「大丈夫ですか? もしかして、眠いとか? もうこんな時間ですもんね」


俺の態度をどう取ったのか、梓が心配そうに覗き込んでくるのが見えて、俯きかけた顔を起こした。

「俺は大丈夫だ。お前はそれを飲んだら寝ろ。子供が起きていていい時間じゃない」

「もうすぐ十八歳ですよ。そろそろ大人です! 紅哉さんはいつまで起きてる予定なんですか?」

「大体、いつも三時ごろに寝るが?」

それがどうしたという風に答えると、梓の顔がへにゃりと笑った。

「じゃぁ、それまでここにいていいですか?」

「は?」

「今日はとても寝れそうにないので」

「……」

頭の上に疑問符が浮かぶ。ナニヲイッテルンダコイツハ?

そもそも、深夜に男の部屋に訪ねてくる事自体おかしいのに、自分が寝付くまで居座る予定だとか意味が分からない。一度こいつの父親にどういう教育をしたのか問い詰めたい気分になった。

「駄目ですか?」

「駄目だ」

精一杯それだけを返す。梓はぷーと頬を膨らませると、意地でもここを動きませんから! と主張するようにソファーのひじ掛けに抱きついた。

百歩譲って、別に自分が男として見られてないのはそれでもいい。ただ気になったのは、こいつが他の男の前でもこんな態度じゃないのかという事。最近の貞操観念について詳しいわけではないが、これは年頃の女性の態度として間違っている、と思う。

「それは襲われても文句が言えないぞ」

他の男に。そういう意図のつもりで言ったのだ。

しかし彼女はそういう意図に取らなかったようで、一瞬固まって、爆発した様に真っ赤になった。

「あ、お、おそ…」

「俺にじゃない。他の男に、だ。年頃なんだからもうちょっとちゃんとしていろ」

慌ててそう訂正すると、固まっていた体の筋肉を弛緩させて、梓はほぉっと息を吐いた。

「そ、そうですよね。あ、でもそれなら大丈夫です! 紅哉さん以外にはしませんから!」

「……そうか」

喜んでいいのかなんなのか。

「わかりました。他の男の人の前では気を付けます! あ、でも、紅哉さんにならしても大丈夫ですよね? なら、ほら、寝付くまで傍にいさせてください!」

「……」

全然わかってない。

溜息が自然に漏れた。ソファーの背もたれにもたれかかって天井を見上げる。頭が痛い。精神的な意味で。

「大丈夫ですか? 体調悪かったり? あ! もしかして、血が足りなかったり?」

見当違いなことを言いながら梓はぐっと距離を詰めてきた。石鹸の香りが鼻をかすめてまた溜息をつきたくなる。自分は対象外だとは言ったが、男として見るなとは言わなかったはずだ。阿呆なのか?

「えっと…」

「……」

「…の、飲みますか?」

首筋をさらけ出して恥ずかしそうに真っ赤に染まっている梓を一瞥して、堪忍袋の緒が切れた。

ソファーに座ってる彼女の両足を掬い上げて、そのままソファーに押し倒す。両腕を掴んで固定させて逃げられないようにした。一瞬の事にびっくりした梓も状況を飲み込んで全身を真っ赤にして震わせる。

「可愛いな」

「…え?」

自分でもびっくりするぐらい自然に漏れた言葉だった。梓が聞き取れていないようだったのが唯一の救いだ。恥ずかしい。なんて言葉を言ったのだろうか。

「飲ませてくれるのか?」

仕切り直す様に少し低い声を出した。これで怯えて逃げればいい。誰の前でもこんな風に無防備な姿を晒してはいけないと実感すればいい。そういう計画だった。

「……どうぞ」

「……」

どうしよう。

それが最初の感想だった。

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