第5話:発露
「駄目だ」
「いや、でもね、紅哉さん」
「賛成できない」
「状況的に考えたら、私が登校するのが妥当で…」
「縛りつけても良いんだぞ?」
「それはご勘弁願えたら…」
最高に不機嫌な紅哉と困り顔の梓は、向かい合ったまま舌戦をしている。
夜八時。帰宅した二人は、着替えることも、夕食を取る事もせずに屋敷のロビーで意見をぶつけ合っていた。
月玄との取引に応じようとする梓。それを止めたい紅哉。二人の意見は完全に平行線を辿っている。
その周りには事情を知った昴と壱が居て、入れない雰囲気に困ったような顔をしていた。
「状況を考えろ。あいつが本当に約束を守ると思ってるのか?」
「でも、私が行かないと皆が酷い目に遭うかもしれないんでしょ? 私本当にそうなったら、後悔してもしきれないよ! …それにもしかしたら本当に何もしないかもしれないし」
「あんな目に遭っておいて本気で言ってるのか?」
「一応…」
「縛る」
「ひっ!」
目が本気だ。笑ってない。
「まぁまぁ、コウ、ちょっと落ち着こう。女の子に対して縛るとかあんまり言うもんじゃないよ。ベットの上じゃないんだし」
助け船を出す様にそう言った昴の頭を紅哉が思いっきり殴りつける。
「余計な言葉が聞こえたが?」
「今のは昴が悪いですね」
ドスの効いた紅哉の声と冷ややかな壱の声。
殴られた頭をさすりながら、昴が涙目で仕切り直した。
「…まぁ、冗談はさておき、本当にどうするか、だよね」
「明日は俺と昴であいつを取り押さえる。だからお前は来るな」
もはや決定事項のようにそう告げられる。梓はその言い方にむっと顔をしかめた。まるで邪魔者扱いされたような気分になったからだ。勿論守ってくれようとしているのは分かってる。しかし、これは自分の問題でもあるのだ。いや、どちらかといえば自分の問題だ。蚊帳の外に出されるのはおかしい気がする。
「誰も傷つけずに、ですよ? できるんですか?」
「…でき」
「無理だろうね。少なくても多少の被害は出るよ」
紅哉の言葉を遮ったのは昴だった。紅哉は昴を睨みつけるが、彼はどこ吹く風と言った感じで無視をする。
「そもそも規格外なんだよ。丹様に聞いてみても真祖の体の研究の事も、柊月玄の事も何一つ知らなかった。今調査してくれてるみたいだけど、今日明日には結果は出ないだろう。
だから彼の言葉をそのまま鵜呑みにするなら、覚醒前でも能力的には紅哉と同じかそれ以上だよ。それと本気でやり合おうっていうのなら、被害は恐らく甚大だ。学校の中の人間を上手く逃がしたとしても周りの民家に被害は出るだろうね」
「……」
冷静な昴の言葉に紅哉は目を背ける。恐らく彼もわかっていたのだろう。被害は免れないと。
「二人はどうするのが一番だと思いますか?」
梓は壱と昴に向かってそう言った。
「……俺はその月玄って男の約束を信じるのが一番被害が少ない方法だと思う」
「昴っ!」
「俺だって行って欲しいわけじゃないけど、被害を少なくって意味ならそれが一番妥当だ。今はあの月玄って男しか出てきてないが、シロと呼ばれてた蛇男まで参戦してみろ。俺達二人じゃどうにもならない。人数を増やそうにも事は明日だ、集まらない。集まったとしてもある程度の実力が無いなら、むざむざ殺されに行くようなもんだよ。そもそも梓ちゃんの血の事は最重要機密だ。俺達と一部の上の者しか知らない。人数を集めたくても集められないよ」
冷静な判断だった。梓はその言葉に少し自分の背を押された気がした。
「壱は?」
「……行って欲しくは無いですが。昴とほぼほぼ同じ意見です。……すみません梓」
俯く壱に梓は首を振った。そしてわざと明るい声を出す。
「ありがとう。大丈夫! 何かあったらすぐ逃げるし、私も実は学校に留まりたかったの! もう暇で暇でしょうがないのは苦痛すぎて」
「梓…」
「今日一日何もなかったし、案外普通に過ごせたんだ。このままあいつが大人しくしててくれるなら、久々の学校生活エンジョイしたいなぁって」
その言葉に紅哉が大きく舌打ちをする。見上げるとルビーのような瞳が今日は一段と赤く見えた。とんでもなく不機嫌に目が細められ、そして視線がそらされる。くるりと踵を返した紅哉は黙ったままロビーから出て行った。
そして、ガンっと鈍い大きな音がする。何事かと思っていると、昴が呆れたようにその後を追っていた。
「ったく、物に当たるなよ」
焦ったようにそう言ったのが聞こえた。
「…紅哉さん」
呟くそうにそう漏れた。
==========
「ここよね? 紅哉さんの部屋」
梓は屋敷の紅哉にあてがわれた部屋の前で突っ立ていた。手にはお盆に乗った夕食。
あれから紅哉は、同じ屋敷に居るにもかかわらず夕食すっぽかし、部屋にから出てこなくなってしまっていた。
最初は昴が持っていくはずだったのだが、謝りたいからとその役目を梓はかって出た。ちなみに使用人たちは紅哉に近づきたがらないので、最初から使用人が持っていくという選択肢はない。
そして部屋の前まで来たのだが、梓はどうしても部屋に入れないでいた。
(なんて謝ろう…)
そもそも謝る内容が無いのだ。怒らせてしまったのは確かなのだが、だからといって今更、登校しないという選択肢はない。ならば何と紅哉に声をかければいいのだろうか。謝りたいが謝れない。そんなもやもやとした気分のまま、梓は部屋の前に佇んでいた。
「…入らないのか?」
扉の奥から紅哉の声がした。そして、ゆっくりと開いた扉の奥にいつもの仏頂面の彼が居た。
「何分も部屋の前で何してるんだ、お前は」
「気づいてたんですか?」
「……何のために契約したと思ってる?」
そういえば、契約した者同士は位置の把握ができるんだったと、今更ながらに思い出す。
「夕食を持ってきました」
大分冷め切ってしまった夕食を掲げると、紅哉がすっと扉の前から身を引いてくれる。入ってもいいという事なのだろう。その場で渡してもよかったのだが、梓も紅哉に話したい事があったので大人しく部屋に入った。
部屋の中はとても整理整頓されていて、生活感が無い部屋だった。梓にあてがわれた部屋が貴賓室のような部屋だとしたら、紅哉の部屋は広い書斎の様な部屋。家具は全部茶色で統一されていて、何故かどことなく薄暗い。
「どこに置きましょう?」
「机の上でいい」
部屋の真ん中にあるローテーブルに食事を置くと、ぎっと何かが軋む音がする。
振り返るとひじ掛けのついた大きな椅子に紅哉が深く腰掛けていた。その表情はやっぱりとても不機嫌そうだ。
「あの、ごめんなさい」
「何がだ?」
口をついて出た言葉に紅哉の低い声が応える。
「えっと、さっきの。紅哉さんは心配してくれたのに…」
「考え直したか?」
そう聞かれて、梓はゆっくりと頭を振った。
「…明日は登校する予定。やっぱり私のせいで傷つく人がいるかもって思ったら、いてもたってもいれないし」
「今日怖くて泣くほどだったのにか? 何が『普通に過ごせた』だ」
ギクリとする。その後の月玄とのやり取りが濃厚すぎて忘れていたが、今日梓は紅哉に抱きついて胸元で涙をぬぐったのだ。あの時は恐怖でいっぱいいっぱいだったから何とも思わなかったのだが、思い返すと激しく恥ずかしい。
「泣いてません」
「泣いてた」
瞬時にそう返されてぐうの音も出ない。涙が出たのは本当だったから。
「というか、紅哉さん、今日あそこで何してたんですか?」
学校は街の真ん中にある。あまり街に出ない彼がどうしてそんなところに居たのだろうと疑問に思った。
すると、彼は呆れたような表情になって溜息をついた。
「…一応、迎えに行ったつもりだったんだが?」
「え?」
「ちなみにいうと、明日からも送迎はしてやる。明日から学校に行くつもりなら、アイツとはむやみやたらに接触するな。会話も控えろ。それが出来るなら許してやる」
「許してやるって……。前々から思ってたんですけど、紅哉さんって普段無口だけど、意外と怒りっぽいし、口も悪いですよね?」
「は?」
「あと、意地悪だし、すぐ舌打ちするし」
「……」
「でも、それ以上にとっても優しいですよね」
その言葉に紅哉は豆鉄砲を食らったような表情になる。そして困ったように眉をひそめた。
「ありがとうございます。送り迎え嬉しいです。壱にはああ言ったけど、やっぱり怖くって…。情けないですね。だから送り迎えだけでもしてくれたら、とても心強いです」
「そうか」
「明日から気合入れなくっちゃ! あ、ごめんなさい。こんな話ばかりして。もう自分の部屋に帰りますね」
そう言って扉を開けて帰ろうとする梓を、紅哉は引き留めた。腕を引っ張られて梓は半身だけ振り返る。
「何かあったらいつでも呼べ。いつでも助けに行けるようにしといてやる。…食事助かった。ありがとう」
お礼のつもりか頭をポンポンと叩くように撫でられて、紅哉は手を離した。パタリと背後の扉が閉まるのと同時に梓の顔は少しのぼせたように赤くなる。
「なんか熱い…風邪ひいたかな?」
手で団扇のようにひらひらと顔を仰ぎながら、廊下を進む。
(そう言えば紅哉さんから避けられなくなったな…)
その事実に心が浮足立つのを感じて首を捻る。こんな気持ちは初めてだった。
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