第2話:思い上がり
「お久しぶりですね、斉藤梓さん。会うのはあのパーティー以来ですね」
そう言って差し出してきた手を梓は信じられない面持ちで握り返す。
高そうでいて物持ちのよさそうなスーツに身を包んだ男は人のよさそうな笑顔を二人に向けていた。
登校時間の一時間以上前についた二人はそのまま校長に挨拶する予定で校長室を訪れていた。
通された来賓客用の部屋で待ち構えていたのは、あのパーティーの時に飲んだくれて梓に絡んできた恰幅の良い男だった。あまりの様変わりに十数秒梓は顔を見て固まってしまう。そして先ほどの言葉だ。梓の中の もしかして は、たった今 やっぱり に変換された。
「その前に謝るべきじゃないですか? 伯父さん」
すごむように紅哉がそう言うと、その恰幅の良い男はからりと笑った。
「そうだったね。この前は失礼な真似をして申し訳なかった。今まで誰も契約者を作らなかった甥が、いきなり連れてきた契約者がどんな人なのかと思ってね。兄によくない噂も立っていたし。あんな不躾な真似をして怒ってしまったかな?」
柔和な顔をまじまじと見つめて梓はゆっくりと口を開いた。
「あの、この学校の校長先生ですか?」
「そうですよ」
「パーティーの時に絡んできた、飲んだくれ男さんですよね?」
「はい。飲んだくれ男さんです」
「…よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
紅哉が狸だといってた意味がようやく分かり、顔が引きつってしまう。これは敵に回したくないタイプだ。絶対。
そんな梓の様子を可笑しそうに見つめてから、校長は紙袋いっぱいの書類と学生手帳を机の上に出してさっさと話を終えてしまう。
「斉藤さんは今から職員室に行って、担任の先生と共にクラスに合流してください。紅哉はこのまま私と話をしましょう」
「あ、はい」
梓がその言葉に学生手帳と紙袋を持って立ち上がると、紙袋がぐいっと引かれる。
「今日必要なものだけ持って行け。残りは俺が部屋に持って帰っておいてやる」
「え? でも、結構重いですよこれ?」
「だから、だ」
「あ、ありがとうございます!」
紅哉が言わんとしてる意味を理解して、梓は気遣われたことに顔を綻ばす。
入っていた書類から今日の時間割を確認して、紙袋の中から必要な教科書を取り出してカバンに詰める。そして、そのまま一礼して梓は校長室から出て行った。
残った二人は向かい合わせに座っている。紅哉はどこか居心地が悪そうだった。
「この様子だと、私の心配は杞憂だったかな?」
最初に口を開いたのは伯父だった。
「心配?」
「うん。昨日、不知火のところの娘さんが挨拶に来てね。その時『紅哉さんが梓の事を避けているようなので何とかしてもらえませんか?』って睨まれてしまって。あの子の男嫌いも治ってないねぇ」
「…そうですね」
「で? なんであの子の事避けるようになったのかな?」
「それは貴方が…」
そこまで言って紅哉は口を噤む。言っても仕方ない事だ。事の発端はこの目の前に座る伯父なのだが、原因は紛れもない自分なのだ。他人をどうこう言うのは筋違いだと小さくかぶりを振る。
「もしかして、あの噂の事を気にしてるのかな?」
そんな紅哉の心情を見透かすように伯父が笑うので、彼はイラッとしてしまう。
「気にしない方がどうかしてるでしょう」
「『かの有名なアカオニが人間の小娘に懸想してる』って噂かな? 人の噂も七十五日ですよ」
紅哉は心の中で大きく舌打ちをして目の前に座る男を睨み見る。
あのパーティーで紅哉が伯父から梓を助けるために飛び出したのが災いしていた。
あんまりこういった行事に参加しないアカオニが、酔いどれの相手に困り果てていた少女を男から救い出し、颯爽と二人でどこかに消えて行った。そんな光景を目の当たりにして、パーティーに来ていた女性たちは色めきたった。妙齢の女性が色恋沙汰が好きなのは人間も吸血鬼もさほど変わりない。
噂はたちまち尾ひれ背びれを付け足して、街中に回る事になったのである。
飛び出す前にその可能性に行きついた紅哉だったのだが、眼前で困り果ててる少女を救わずにはいられなかった。
「はぁ…」
「大体、ほっとくなら徹底的にほっとけばよかったんですよ。どうせ心配で会場まで隠れて見に行ってたんでしょう」
「……」
ぐうの音も出ない。その通りだったからだ。
自分の赤い瞳を怖がる人達の前にむやみやたらに晒すのは躊躇われて、ああいった人が大勢集まるものには出席しないと決めていたのだ。コンタクトレンズで隠して出席してもいいのだが、そもそも怖がられているのは“赤い瞳”なのではなく“赤い瞳を持つ百目鬼紅哉”なので、ああいった自分が主役の会にはほとんど出席したことが無かったのだ。
今までは自分が欠席しても困る人はいなかった。それが今回は違ったのだ。
契約者を祝うパーティーで紅哉が来ないという事は、紅哉がやるべき事の全てを梓に任せてしまう事だった。
「良いじゃないですか。噂が広まると共に、アカオニにも人間らしいところがあるのだと、若干悪評も薄まってきてるような気がするよ」
「全部あなたの手の内でしょう? 俺が見てることも、ほっとけないことも分かって、手を打ったんじゃないですか?」
「よくわかったね。さすがに若いね、頭が回る」
「…俺の評判を心配してくれるのは嬉しいですが、梓を巻き込まないで貰えますか?」
「梓って呼んでるのかー。いいねぇ」
「……」
本気で頭をど突きたくなった。恐らく実力的には勝てる。圧倒的に勝利できる。数秒で片がつく自信がある。
だがそれは脳内だけで留めておいた。自分は存外に頭に血が上りやすい性格だと紅哉は思う。
「それで噂が落ち着くまで彼女を徹底的に避けようとしてるわけだね?」
「そうです」
「別にいいんじゃないか? お前が彼女を好きだって噂ぐらい流しておけば」
「そういうわけにはいかないでしょう。あいつまで…」
「『あいつまで俺の悪評に晒されることは無い』かな?」
言葉を奪われてむっとした様に紅哉は伯父を睨むが、彼はひょうひょうとしていた。
「いいじゃないか。たかが、アカオニが彼女のバックに見えて、腫れ物に触るように扱われちゃったり、怖がられたり、いじめられたりするかもしれないって事だろう?」
「たかが、じゃないだろう…」
あのぐらいの年齢の子には堪える事ばかりだ。自分の所為でそうなってしまう事に、紅哉は梓と契約したことを後悔した。せめて梓が無理やり連れてこられた少女Aという認識のままなら、同情も誘えただろうにと、それを塗り替えた目の前の男を、紅哉はキッと睨みつけた。
「思い上がりだよ。それは」
「……」
「そのぐらいのことは集団生活をしてれば運の悪い奴が誰でも当たる課題みたいなもんだよ。別にお前に好かれているとか好かれていないとか、そんな噂なんて関係なく。それをどう乗り越えるか、どういなすのか。それが彼女たちの人生だよ」
「それは…」
「お前ごときが彼女の人生をどうこうできるわけがない。お前ぐらいの男が誰かの人生に影響できると思わない方がいい。お前は諦めて自分の人生に必死になりなさい。自分の思うままに生きたらいい」
「……」
「お前がかつてここの生徒だった時に言ってあげたかった言葉だよ」
にっこりと笑う顔はまさに聖職者。だから苦手なんだと、そう一人心の中でごちた。
あんな言葉ぐらいで軽くなった心に多少の苛立ちを覚えて、紅哉は一つ溜息をつく。
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