第33話:共通認識
「どうしてこんなことに…」
屋敷に囲まれるようにしてあるその庭園で、梓はそう零した。
庭園は見渡す限りの人、人、人。その誰もが簡易ながらもドレスやスーツで着飾っていた。梓も例外ではなく、用意された淡い朱色のドレスを身に纏っている。
庭に点在する白いテーブルには簡単な料理や飲み物が並んでいて、皆それをつまみながら歓談にいそしんでいた。
壁の華につとめようと、端に端に、それこそ壁にぴったり寄り添うようにして梓は立っているのだが、かわるがわるに人がやってきては挨拶をして帰っていく。
それもそのはずだ。
「梓、きれいですね。さすが本日の主役です」
「梓ちゃん。改めて契約おめでとう」
今日は紅哉と梓の契約を祝うパーティーなのだ。
「壱、昴さん、話が違います。こんなことするなんて聞いてませんでした」
「いやー。話を聞いた丹様の提案で…。ごめんね? うん、ほんとごめん」
苦虫を噛み潰したような梓の顔に昴が冷や汗をかきながら必死に謝る。
「本来は秘密裏に済ませようと思っていたのですが、丹様からの提案では断る事も出来ず…。力が及ばずすみません。
まぁ、通常でも契約が決まった場合はこういうささやかなパーティーを開くものです。気にしないことが一番ですよ。皆、飲んで騒ぎたいだけなので」
「そうそう。本来は契約者二人の顔をみんなに覚えてもらって、他の人と勝手に吸血行為をしていないかを見張る為の会なんだけどね。今では目的が変わってきちゃってて」
「二人…ですか…。それなら、肝心のもう一人はどこ行ったんですか!?」
もう一人の主役、百目鬼紅哉の姿はこの会場のどこにも存在しなかった。
梓に喰ってかかられた二人は顔を合わせあい、苦笑いで肩を竦める。
「紅哉さんは恐らく来ませんよ」
「コウはこういう場嫌いだからなぁ。成人の儀の時も本人不在で執り行われたし…。梓ちゃんには悪いけど、これは諦めたほうがいいかもね」
「むしろ小娘の私より、あっちが主役なのに!?」
「そうだね」
「そうですね」
梓はその二人の言葉に半泣き状態になる。
挨拶に来るのはまだいい。その後の値踏みをするような視線が嫌なのだ。
かの有名なアカオニの契約者であり、当主の息子の契約者。どんなものかと開かれたパーティーに来てみれば、そこら辺にいそうな小娘がそうだと言う。それも人間の。好奇の目に晒されるのも無理もないと思う。思う、のだが…。
「帰りたい…」
「あと二時間は我慢してください、梓」
「はぁ…」
肺の空気を全て吐き出すような溜息。そんな梓の肩を叩き慰めるのは壱だ。
「ところで梓、アレはもう済ませたのですか?」
「………」
壱の言葉に梓は黙って顔を青くした。その姿に壱も少し頬をひきつらせる。
「もしかして…」
「…もしかして、です」
「何やってるんですか!? 今日までですよ! しかも今日は紅哉さんに会えない確率が高いのに!」
「無理だよ! 紅哉さんにもう一回血を飲んでもらうとか!」
梓があの日渡された紙には契約を成立させるための方法が書いてあった。梓が引っ掛かったのはその中の一文。
『甲は乙に吸血を行った後、二十四時間の時間を置いて一週間以内にもう一度吸血を行う必要がある』
その後の
「眷属を作る時の手法なので、私たちの間では常識…というより本能に近いのですが、梓は知らないだろうと思いまして私が作りました」
という壱の声が、あの時は本当に遠く聞こえた。
それが六日前。なので今日が契約を成立させる事が出来る最後のチャンスの日なのだ。
「血を飲まれるのは別にいいんじゃなかったんですか!?」
「事と次第によってはね! こんなに急に次が来るとは思わないよ!」
「嫌なのはわかりますが、今日逃すとまた最初からですよ!?」
「嫌っていうより…恥ずかしいの!」
「そういうものですか?」
「そういうものです!」
壱が分からないと首を傾げるのをみて、やっぱり吸血鬼と人間では吸血に関して感性が違うと梓は再び実感する。
「…とりあえず、私と昴は紅哉さんを探してきます! 梓はここに居てください! 行きましょう、昴!」
「うーん。俺は必要ないと思うなぁ」
「つべこべ言わずに協力してください!」
「はいはい」
壱に引きずられるように連れて行かれる昴を、手を振りながら見送って、梓は再び大きなため息をついた。
そして再び訪れる挨拶と好奇な視線の嵐。主役の女性は赤いドレスを着ることが習わしになっているようで、会場に入る誰もがまず最初に赤いドレスを探す。
中には例外の人もいて、挨拶に来る人の中には既にお酒が入っている人もいたりする。そんな何を言ってるのかよくわからない人は、うんうんと何度か相槌を打つと機嫌よく帰ってくれるので、どちらかといえばありがたかった。
そんなこんなで一時間。
ちらほらと人も少なくなってきて、梓もやっと飲み物にありつけた。ノンアルコールカクテルを一気に煽って飲む様は上品さの欠片も無かったが、精神的に疲弊しててそんなことに構う余裕ない。
「良い飲みっぷりだねぇ、嬢ちゃん」
そのくだを巻くような声に振り返ってみれば、赤ら顔の中年男性がグラス片手にケラケラと笑っていた。小太りの体に薄くなった頭髪が何となく嘆かわしい。
「初めまして、斎藤梓です。この度は私たちのためにわざわざ足を運んで下さり大変嬉しく思っています。まだまだ未熟者なので皆さんのご指導ご鞭撻をいただければ幸いです」
今日何度目かわからない挨拶をする。昴の用意してくれカンペの丸暗記だ。
その挨拶に小太りの男はふふんと鼻をならした。
「嬢ちゃん、俺がその言葉を聞くのは今日で二回目だ。挨拶した奴の顔ぐらいちゃんと覚えときな」
「あ、すみません」
慌てて謝る梓を男はどこか得意気な顔で見ていた。
「まぁ、しょうがない、しょうがない。嬢ちゃんはなにも悪くないよ。こんなところに無理矢理つれてこられて災難だったなぁ」
「は、はぁ」
梓がその言葉に曖昧に頷くと、痛いぐらいの力で肩を叩かれた。
ガハハ、と今にも唾が飛んで来そうなぐらいの勢いで笑い、男はグラスの酒を煽る。
「体裁を立てる為の生け贄みたいなもんだな! あの年で契約者無しなんて普通じゃねぇからな。ここいらじゃあの赤目の坊っちゃんの契約者になろうなんて奴はいないし、いたとしても相当肝が座った奴だ。見つからねぇから他所から拐ってこようなんて、当主様も考えたもんだ!」
その言葉に周囲がざわつく。
確かに、挨拶に来た大人たちの中で梓は“丹様が人間の方から無理矢理連れてきた息子の契約者”という扱いになりつつあった。それもそうだろう、彼等には梓の血の事も一連の騒動の事も何一つ伝えていないのだから。
しかし、その事を明確に言葉にした者は男がはじめてだった。影でコソコソ言い合うものはいたが、当主である丹への侮蔑とも取れる発言でもあるので皆思っても言えなかったのだ。
周囲の視線が注がれる中、男は気にする風もなく言葉を続けた。
「嬢ちゃん、赤目の坊っちゃんとはもう会ったかい? 怖かったろう? 腰抜かさなかったかい?」
「いえ、大丈夫です」
圧倒された梓はそう返すのがやっとだ。勢いに怯むように一歩後ろに下がると踵が壁に当たる。こんなところで壁の花に撤していたのが仇となった。逃げられない。
「そうかい! 気丈な嬢ちゃんだ!」
「いえ」
そしてまた肩を痛いぐらいに叩かれる。決して悪い人ではないのだと思う。しかし、酔いどれ相手の経験値が限りなくゼロに近い梓が参ってしまうには十分だった。
「嫌なやつだったろう? 嫌味ったらしいし、憎たらしいし! 顔は怖いし、目付きは鋭いし!」
「………」
疲弊した精神にその言葉を上手くいなすだけの余力は残されていない。梓は思わずその言葉にむっと顔をしかめた。男はその様子を見てどこか納得したように笑う。
「そうだろう、そうだろう。嬢ちゃんもやっぱりそう思うよなぁ?」
その笑顔にどこかの糸がプツリと切れる音がする。
「紅哉さんは優しいですよ。あの紅い瞳だってルビーみたいで綺麗だと私は思いますし。目つきはまぁ、悪いかもですが、慣れたらそうでもありません。嫌味ったらしいのは貴方が彼にそうさせているだけじゃないですか?」
「ほぉ」
感心したような声を出して、男は梓ににじり寄る。壁と男に挟まれてから、はじめて梓は今のが失言だと気づいた。自分の口に蓋をするように両手を持っていくが、溢れた言葉はもう拾えない。
「嬢ちゃんは随分と赤目の坊ちゃんにご執心なようで」
「いや、いえ…すみません」
「いやいや。俺のほうこそ悪かった! 嬢ちゃんのことを勘違いしていたようだ!」
にやりと男が笑った。とたんに明るい声になった男は振り返り、大げさに両手を広げる。
そしてみんなに聞こえるような声でこう言い放った。
「嬢ちゃんは拐かされてきたんじゃなくて、実は赤目の坊ちゃんのことが好きで追いかけてきたんだろう? そうだろう!」
「なっ!」
「なんとも奇特な嬢ちゃんだ! そんな嬢ちゃんが来てくれたから当主様もこんな素敵なパーティを開いたんだな! そうか! そうか!」
どこか演技じみたその大声に周囲がざわめき始める。梓は驚きで一言も発せられなくなってしまった。
「みんなも俺と同じように勘違いしていたようだ! さ、嬢ちゃん。皆に言ってやりな!『私は赤目の坊ちゃんを追いかけてここまできましたー!』ってな?」
「はぁ!?」
口を開けたままとんでもない顔で固まっている梓の背を男が押し出す。周囲はその男と梓の様にくすくすと笑い出していた。
所々で『当主様が人を拐かすわけないか』とか『でも、あの子がアカオニを好きってのも考え辛いわ』など聞こえてくる。
どうやら梓に対しての共通認識が“丹様が人間の方から無理矢理連れてきた息子の契約者”というものから“契約者になりに来た奇特な娘”というものになったようだ。
全体的に良い印象になったのは確かだが、なんだかどうにも腑に落ちない。
「叔父さん、そのぐらいにしていただけませんか?」
そう言いながら人ごみを掻き分けて出てきたその人に、梓は少し目を丸くする。
「紅哉さん!?」
「おぉ、赤目の坊ちゃん。今お前の契約者さんと楽しく歓談してたところだ」
「………」
周囲が先ほどとは全く違う意味でざわつき始める。注目を浴びている本人はひきつった顔で、片手は頭をおさえるようにしていた。これは相当参ってるようだ。
ずかずかと早足で梓と男のところまで行き、紅哉は梓の腕を捕まえて一言。
「用事がありますので、また挨拶は改めて」
「おぉ。お熱いことだな! 坊ちゃん!」
その瞬間にチッと紅哉の方から舌打ちが聞こえてきたのは、多分聞き間違いではないだろう。
「こうやさ…」
「行くぞ」
そう言った紅哉の顔が今までの中で一番怖かったと後に梓は語った。
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