第31話:契約者
ゆらりと立ち上がった影は、色の無い目で二人を見た。
「あぁ、もうほんと今日は最悪の日だ。アカオニが梓の血を飲むなんて…」
咄嗟に紅哉は梓を背に庇う。しかし、月玄にもう攻撃の意志は無いようで、ゆっくりと踵を返した。
「勝てない戦はしない主義なんだ。君の血を飲んだアカオニなんて今の僕じゃ相手にならない。
…もう君を勝手に連れ出したりもできないし、作戦を立て直すために今日は帰るよ」
だらりと伸びた腕は彼の無気力さを表していた。
「シロ」
そう一言彼が呟く。すると彼の影からぬるりと一匹の巨大な蛇が現れる。もとは銀色だったのだろうが、その体は全身血だらけになってしまっていた。右目は無残にもつぶされている。
「帰るよ」
「はい。月玄様」
蛇の口から漏れるのはあの銀髪男の声。
その蛇がゆっくり月玄に巻きついた。そして、ずぶりと影の中へ下半身が埋まっていく。
「じゃぁね。梓。また迎えに行くよ」
振り返る彼は少し悲しそうな笑みを浮かべたまま、地面の中へ吸い込まれるようにして消えて行った。
とたんに静寂が訪れる。
夜の森らしい静けさを取り戻したその場所に梟の声が木霊した。
「…終わったんですかね?」
「あぁ、たぶんな」
その紅哉の声に、梓はその場にへたり込んだ。緊張の糸が切れたようにへなへなと崩れ落ちてしまう。
「おい」
「よかったぁ…」
この数日間緊張しっぱなしだったのだろう。安堵の為か、涙がほろりと瞳から零れた。
「大丈夫か?」
「みんな無事でよかった。壱も無事みたいだし。……みんな?」
そこまで言ってはたと気づく。そう言えば
「昴さんっ!」
そう言えば彼の事を失念していた。彼がとばされた直後に目の前で怒涛の戦いが繰り広げられたので無理もないのかもしれないが、今更ながらに梓は昴の事が心配になった。
がばりと起き上り、左右を見渡す。そこらじゅうが木だらけでどこも同じ景色だ。いったい自分はどの方向から来たのか、昴がどの方向に居るのか全く見当がつかない。
「昴さん、大丈夫かな」
「梓ちゃん。呼んだ?」
その時背後で声がした。慌てて振り返ると先ほどまでなかった人影が二つ。
「昴さんっ! と、壱!? 何でこんなところに!?」
「梓、すみません。今回は私がふがいないばかりにあなたに迷惑をかけました」
「そんなことどうでもいいの! 体は大丈夫!? どこも痛くない!? 毒は抜けたの?」
「はい。体の方は問題ありません」
「よかったぁ…。壱、よかったよぉ」
半分泣きそうな声で梓は壱に抱きつく。その行動に壱は目を丸くしたが、ゆっくりと抱きしめ返した。
「今回は本当に申し訳ありません」
「いいの! 大丈夫! 私のせいで壱が狙われたみたいなものなんだから! こっちこそごめんなさい、壱!」
「謝らないでください、梓。貴女が気に病むことは一つもないのですから。そんなことよりあなたが無事でよかった」
「…俺忘れられてる? 結構頑張ったつもりなんだけどな。まぁ、途中で逃げられちゃったけど」
お互いに何度も謝罪の言葉を言いあう二人に、割って入るように昴はそう言った。
「すみません。昴」
「ごめんなさい。昴さん」
同時に謝罪をする二人が可笑しくて笑いながら、昴は視線を紅哉に移す。いつもより鮮やかな紅哉の瞳の輝きに気づき、そしてそのまま固まった。
「ん?」
「なんだ?」
「コウ、血飲んだよね? 梓ちゃんの血?」
「あぁ」
そしてそのままスッと昴の顔が青ざめる。
「どのぐらい飲んだか知らないが、よく暴走しなかったなぁ…」
「瀕死の状態だったからな」
「そうか…」
昴の顔から完全に笑みが消える。
「どういう事ですか?」
そう壱が聞くと、昴は視線を外して口だけで笑みを作る。
「梓ちゃんの居場所を突き止めるために、研究所に保存してあった血を強奪しに行ったんだけど…」
「強奪って…」
次に口を挟んだのは梓だ。
「まぁ、研究員達的にはせっかくのサンプルだからね。取られたくないみたいだったから、ここは力づくでいってみたよ。物理的にも社会的にも力技で!」
良い笑顔だ。梓は思わず後ずさる。
「まぁ、血を貰ったまでは良いとして、紅哉がそれを飲んだんだよね。それで、体の方は全快になっていい感じだったんだけど、体を回復しても有り余る力に少し暴走しちゃって…」
「暴走しちゃって?」
「俺が力づくで止めました! 今度は物理的な力だけでね! 研究所は半壊だし、俺はボロボロでもコウはぴんぴんしてるしね。もう、やってられなかったわ…。俺研究所入る時に『不知火』の名出してたから、あっちにも連絡行ってるだろうし。……あぁ、思い出した。憂鬱だわ」
頭を抱える様に蹲る昴に紅哉の不機嫌な声が届く。
「それは悪かったと何度も…」
「うるさい! 何度だって言えばいいだろうが!」
「…悪かった」
「顔がそう思っていません! やり直し!」
「うるさい」
「ゆうに事欠いてそれか! お前!」
「まぁまぁ、昴。落ち着いてください。この仏頂面男に何言っても無駄ですよ。紅哉さんに関わる全ての昴の行動は徒労です」
「なんか、さり気に今までの行動を徒労とか言われたな…俺…」
壱も加わり三人でがやがやと文句を言いあう姿を見て、梓はぷっと噴き出した。それに三人とも気づき、視線が梓に注がれる。
「あ、すみません。こうして見るとやっぱり吸血鬼も人間もあんまり変わりないんだなぁって思って、つい。なんだか、幼馴染三人って感じでいいですね! 憧れます!」
「……じゃぁ、『仲のいい友達四人組』ってことにする? 梓ちゃんとはまだ知り合って間もないから幼馴染って感じじゃないしさ」
「へ?」
昴の言葉に素っ頓狂な声がでる。
「これからあらためてよろしく。梓ちゃん!」
「よろしくお願いします。梓」
「…よろしく」
そう微笑まれ、梓の頬が少し赤くなる。そして満面の笑みを浮かべた。
「よろしくおねがいします!」
==========
「あと、言ってなったね、梓ちゃん。さっき瀕死の状態のコウに血くれたって聞いたよ」
帰り際に隣に立った昴はそう小声で話しかけてきた
「あ、はい」
思わずそう反応するが、咄嗟の事なのでそれしか答えられない。
しかしその答えに昴は満足したようで、笑みを作ると梓の頭をなでた。
「ありがとう。俺の親友を助けてくれて」
「へ?」
「あんなんだからさ、誤解とかする奴も多くて…。アイツはアイツで言われて当然って顔で、否定しないもんだから、周りも図に乗って来るし。…ホントは人一倍優しい奴なのにな」
「はい。そうですね」
「………」
黙ってしまった昴を見上げると、びっくりしたような顔で固まっていた。そして一拍おいて、元の柔和な表情に戻る。
「どうかしました?」
「いや、そこで、『そうですね』って答えちゃうなんて、なんだかすごいわ」
「……?」
「そう言ってくれる奴が今まで少なかったってことだよ」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ。…だから、これからもあいつをよろしくね。俺も、アイツが大切にするもんなら一緒に大切にしてやろうって決めたから」
「…なんだかよくわからないです」
「良いんだよ、わからなくて」
「?」
梓が首を傾げていると、すこし前を歩く紅哉がちらりとこちらを見た。
「置いてくぞ」
そう端的に述べてすぐに顔を背けてしまう。昴はそんな紅哉の様子を見て含み笑い。
そして、今日一番の笑顔でこう述べた。
「まぁ、分かりやすく言うと、『これからも“契約者”としてコウをよろしくね』ってことかな」
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