第29話:それぞれの戦い

時間は数十分前に遡る。


昴が目覚めたのは森の中の木の根元だった。口からは吐血した血が顎まで伝っている。

それを腕で拭い、すぐさま状況を確かめた。覚えているのは屋敷に奇襲をかけて梓を奪い返し、月玄と呼ばれる化け物から逃げようと一歩踏み出したところまでだった。


「情けないな」


そう一人ごちる。

腹部の痛みが自分は戦線離脱しているという事実を伝えてきて、情けなくなった。

本来の力を出せていたらこんなことにならずに済んだのに、と思ったが、後悔先に立たずとはこの事だ。しょうがない。血を飲んできていないのだ。

(あんな状態の壱の血を飲むとかできないからな…)

彼らにとって血とは肉体よりも吸血鬼の本質に近いものだ。それ故に、血の量や質に彼らは大きく影響される。回復途中の彼女の血液を取るなんて真似は昴にはできなかった。

数十メートル先で大きな閃光。昴はそれを目に留め、瞬時に紅哉と月玄が戦っているのだと判断した。

「梓ちゃんだけでも逃がさないとな…」

紅哉が守って戦っているのだとしたら、状況はとてつもなく不利だ。月玄と言う男が梓に対して執着しているのは見て取れたが、だからと言って彼女を危険な目に遭わせないとも限らないのだ。

そう思った昴が一歩足を踏み出した時、背後で物音がした。小枝を踏むような足音と、何か重たい物を引きづるような音。昴は恐る恐る振り返った。

鬱蒼と茂る森の中から出てきたのは、長い銀髪。整った鼻筋に冷たい青色の双眸。紅哉から聞いた獣を操る男に間違いなかった。

その男は右手には人の死体。若い女性だろうか、首を掴んで体を引きずる様にしていた。首筋には噛まれた痕。

「食事時を邪魔されるのは不愉快ですね。この状況では月玄様にも怒られてしまいそうです」

「お前はっ!」

「こんにちは。初めまして。さっそくで悪いのですが、そこをどいていただけませんか?」

銀髪の男が指を鳴らす、そこに現れたのは二匹の大きな黒い犬。その体躯は立ち上がると2m以上になるだろう。通常時でも腰以上の高さがあり、人が乗れそうなぐらいだ。

鋭い牙を見せつけて唸る様は狼と遜色ない。いや、それ以上かもしれなかった。

「ほとんどはあのアカオニに殺されてしまいましたからね。今持っているのはこの二匹だけです。しかし、手塩にかけた二匹ですから、倒すまでに至らなくても、あなたの足止めぐらいにはなるでしょう」

銀髪の男が目で合図をするとその二匹は一斉に飛び出してきた。それは目で追えないぐらいの速さ。潜在能力を引き出したなんてレベルの話じゃないスピードが昴を襲う。

「舐めないでいてもらおうか」

その言葉と共に一匹は即座に頭をつぶされた。返り血が昴の頬を伝う。もう一匹は腹部を蹴りあげ、木に打ち付けた。

「コウ程じゃないけど、俺もそれなりに強いんだよ。こんな犬に負けるわけがない」

「ほぉ」

感心したような声が耳につく。昴が睨むように男を見据えた。

「お前がコウと壱をあんな目に遭わせたのか?」

「壱というのはあの梓サンの護衛をしていた女性の事でしょうか? ならばその答えはイエスです」

「…ならちょうどいい。一発殴りたいと思っていたところだ」

「さて、殴れますかねぇ」

銀髪男が余裕の笑みで指をくいっと曲げる。すると先ほど蹴られ、死んだと思われた犬が昴に飛んできた。予想もしないその展開に、昴が息をのんだその時。


「奇遇ですね。昴。私もその男を殴りたいと思っていました」


そう声がして、上空から落ちてくるモノ。

それは剣を構えた壱だった。その剣はその犬を地面に縫いとめると共に、壱の下敷きとなる。

「すみません、遅れました」

剣を犬の体から抜き一振り、血を落とした切っ先を銀髪男に向ける。

そして、壱は剣を持っていない方の手で詰襟を外し、自分の首筋をさらけ出した。

「色々ご迷惑をおかけしました。この汚名は私の血でそそがせてください」

「壱。もう大丈夫なのか?」

「お気になさらず」

「そうか、悪い」

昴が壱の首元にかぶりつく。何度も喉の鳴らして、彼女の血を補給する。

彼女の首元から顔を上げた時、昴の瞳は真紅に染まっていた。


「私の分まで、どうぞよろしく」

「わかった」


その真紅の瞳の色に思わず銀髪男が後ずさりする。今まで見たことのない表情だった。

少し焦りを感じているのだろう。頬には冷や汗が伝っていた。

「昴サンとおっしゃいましたか?」

「そうだ」

「もしかして、次期当主候補の三人の中の一人、不知火家の?」

「知っているなら話が早いな。不知火昴だ。今からお前を殴る」

銀髪男が息をのんだのが分かった。それもそのはずだ。彼の攻め手の犬達はもう紅哉と昴の手で全滅させられている。そして彼自身の肉体は恐らくあまり強くない。肉弾戦には向かないタイプだ。

それが次期赤の当主候補と戦おうというのだから、焦りを感じるのも無理は無かった。しかし銀髪男はそんな焦りを見せずににっこりとほほ笑んだ。

「これは、…とても分が悪そうですね。逃げの一手と致しましょう」

「逃がすと思ったか?」

「逃がさせていただきます」

彼が手を広げると同時に無数の蝶が周りを覆い尽くす。それが戦いの合図だった。

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