第28話:銀のナイフ
「そうか、血を飲んだのか。あのアカオニが…」
何処か一人納得した様に月玄はそう呟く。そして先ほどまで驚いたように見開いていた目をゆっくりと細めて、彼は微笑んだ。
「でもその様子だと、飲んだ血は少量だね。それに体の回復にほとんどの力を費やしてるみたいだ」
「………」
「それぐらいなら勝てそうだ」
月玄はすっと手を持ち上げる。それと同時に、そこらじゅうの折れた木の枝が持ち上がった。中には先ほどまでいた屋敷の窓ガラスの破片なども見てとれる。空中に浮くそれは切っ先を紅哉に向けていた。
「痛いぐらいで済めばいいけど」
その言葉と同時に腕が振り下ろされ、紅哉に無数の木の枝やガラスが四方八方から襲いかかる。
「無駄だ」
「―――っ!」
誰もが躱すことなど不可能だと思っていたその時、紅哉の一言と共に一瞬の閃光。そして、気が付いた時には攻撃はすべては消し炭になっていた。
一瞬の出来事に何が起こったか理解が出来ない梓を尻目に、月玄はどこか高揚したような表情を浮かべる。
「すごいな…プラズマだね。雷って言った方が早いかな? それは僕でもまだ使えない。すごいな…すごい。アカオニの名はやっぱり伊達じゃないね」
「………」
「でも残念。僕の方がすごいよ!」
叫ぶようにそう言い、月玄が今度は両手を上げる。先ほどの数倍の木の枝とガラスの破片が先ほどと同じように紅哉を狙った。
そして、再び閃光が走り、大量のフラッシュをたいた様な光が拡散する。舞い落ちる灰。
「無駄だと言ってる」
「すごいや。本当にすごい」
月玄は思わず手を叩き、感嘆の声を上げた。その表情は本当に嬉しそうだ。まるで飼い犬が芸を覚えたのを喜ぶよう。
そんな月玄の様子に紅哉は眉間の皺を深くした。
==========
強い光の中、上手く視界が確保できない梓は、必死に戦いの様子を見ようと目を凝らしていた。
三回目の強い光。
二人の様子から今度は来るのが分かっていたので、顔を隠して目が眩むのを避ける。そして、閃光が止み、目を開くと、先ほどまで紅哉を攻撃しようとしていたものが灰の雨となって降っていた。
黒い灰の雨の中、対峙する二人。
睨み合う彼らはまるで呼吸さえも忘れているかのような緊迫感が漂っていた。
その時、紅哉の背後の土の中に光るものを梓は見つける。
(あれは…)
「紅哉さんっ! あぶなっ…!」
そう叫んだ時には紅哉の背中に刃物が深々と突き刺さっていた。
「くっ…。銀か…」
「そう。銀のナイフだ。これは奥の手だったから使いたくなかったんだけど、さすがだね」
紅哉が背中のナイフを抜くと、どぷり、と血が溢れた。それは止まる様子を見せずに流れ続ける。
「銀は吸血鬼にとって今でも有効な攻撃手段だよね。特に君の様な先祖返りには堪えるだろう? この辺一帯の地面に銀のナイフを埋めてある。いつでもどこでも不意打ちで君を狙えるよ」
「くそっ…」
ふらりと、紅哉の体が傾く。
「あぁ、言い忘れてたけど、このナイフにはシロに作ってもらった毒を塗ってるんだ。すぐに死ぬような毒じゃないけど、効き目は…上々ってところだね」
冷や汗を浮かべる紅哉を見て月玄はそう言う。
「立つのもやっとってところかな? その様子じゃ、さっきみたいな雷は出せないね」
「………」
「仕上げにかかろうかな」
月玄は先ほどと同じように腕を振り上げた。しかし、今紅哉を狙っているのは木の枝やガラスではなかった。二十本の銀のナイフ。それが土から現れ、紅哉を囲むようにずらりと並ぶ。
それが一斉に紅哉に襲いかかった。
「紅哉さんっ!」
咄嗟に庇おうと梓の足は前に出る。しかしそれが間に合うわけも無く、勝負は決した。
三本。
それが紅哉に刺さった銀のナイフの数だった。残りの十七本は折られたり、弾かれ木に刺さっていたりしている。しかし、それが勝敗を分けたわけではなかった。
月玄はずぶりと嫌な音を立てて、紅哉の腹部から腕を抜く。その手は真っ赤に染まっていた。
「くそっ!」
「おっと、そんな力が残ってるとはね…」
紅哉が月玄を引き裂かんと繰り出した腕は寸でのところで飛びのいて躱される。月玄の頬には一筋の切り傷。それを気にする風もなく彼は十メートルほど先の岩の上で紅哉を見下ろした。
「終わりだね。アカオニ」
「―――っ!」
「やめてっ!」
梓が二人の間に割り込む。その手には銀のナイフ。その切っ先はまっすぐに月玄に向けられていた。
「どけっ!」
梓の背に庇われる形になった紅哉は、膝をつき苦しそうに肩で息をしているが、それでもそう怒鳴った。
「嫌ですっ!」
「梓っ!」
「嫌ったら、嫌です! 吸血鬼には銀のナイフが有効なんでしょ? それなら月玄にだって効くはず!」
「梓、もしかして君が僕を倒すつもりなの? ほんとに? ふふ、ふふふ…」
途端、月玄は心底楽しそうな声を出して大笑いした。目に涙まで溜めているように見える。
「君は本当に最高だ! あのアカオニが倒せなかった僕を君が倒すのかい? そのナイフ一本で? 無理や無謀を通り越してる!」
「…やってみなくちゃわからないわ!」
「わかるよ! 無理だよ梓。君には無理だ。君は普通の人間だ! 僕を殺せるのはせいぜいそのにへたってるアカオニぐらいだろうね!」
「………」
「無理だ。無茶だ。無謀だよ。君はそのナイフで僕を傷つける事も出来ないよ」
そう笑いながら話す月玄を梓は睨みつける。その背後でドサリと音がした。
「紅哉さんっ!」
慌てて振り返ると、紅哉が虫の息でその場に蹲るように倒れてしまっていた。その体を助け起こすとべっとりと腕に赤い血が付く。
「あーあ、本当に死んじゃうね。もうちょっと血を飲んで来れば僕に勝てたかもしれないのに、なんだか残念だな」
「………」
「…まぁ、いいや。梓、行こう。他に何個か隠れ家があるんだ。そこなら絶対に見つからないし」
「近寄らないで!」
梓は再びナイフを月玄に向ける。
「だから、君じゃ僕を傷つけられないよ」
「…じゃぁ、こうするまでよ」
梓はナイフの刃を自分の手首に這わせた。そして思いっきり切り裂く。血が溢れ手首を伝った。
「なっ! 何をっ!」
驚いたような声を上げる月玄を尻目に、梓はその手首を紅哉の口に持って行った。
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