第21話:望まぬ変化

麗らかな午後。春の風をいっぱいに浴びながら、壱と梓は屋敷の庭に設置されている机と椅子で今日もティータイムを楽しんでいた。

「今日も呼び出されるとか紅哉さんも大変だねー」

「毎週水曜日はそういう事になっているみたいですよ。ほら、この前いなかった時も確か水曜日だったじゃないですか?」

「あー確かに。ここ最近曜日感覚とかないんだよねー。学校もないし」

ぐーっと梓は伸びをする。背中はぽきぽきと音を立てた。

梓がここに来て早二ヵ月が経とうとしていた。正直、変わらない日常に嫌気がさしている。

変化といえば、紅哉がこのお茶会に参加するようになったぐらいだろうか。

最初は男嫌いを発動して、紅哉の事を嫌悪していた壱も日が進むにつれて慣れたようで、今では普通に受け入れている。紅哉に対して辛口なのは相変わらずなのだが。

変わったことといったらそれぐらいで、あとは毎日変わらない淡々とした日常を過ごしている。正直変化が欲しかった。

「梓は学校に行きたいですか?」

「え? そうだな。行きたくないって言ったら嘘になるかな」

でも梓は正直諦めていた。一人で外出も許されない身なのだ。学校なんて夢のまた夢だろう。

そんな感情からか、梓が困ったように笑うのを見て、壱は申し訳なさそうに口を開いた。

「すみません。梓」

「いいの、いいの。 大体、壱のせいじゃないし! 私、頭悪かったしね!」

「あずさ…」


壱が何か言いかけたその時、突然、カンカンカン、と鐘を叩くような音が屋敷から鳴り響いた。

非常時を告げる音だ。梓にもそれが瞬時に読み取れた。

はっとしたように壱が顔を上げる。そして、すごい勢いで梓を抱えて二階の窓まで跳躍した。

「私が良いと言うまでここを動かないでください!」

「うん」

二階の窓から梓を部屋に降ろし、壱はそのまま屋根の上へ登る。上から様子を見る算段なのだろう。

1分も経たない間に壱は血相を変えて戻ってきた。

「梓、青の奴らが攻めてきました! 動物の眷属が大量に! 逃げます。ついてきてください!」

差し出された手を梓が掴むと、そのまま先ほどのように抱きかかえられる。

「きゃっ!」

「少し上下します。舌を噛まないようにしてください」

窓から大きく飛び出す。20メートル先の木の枝まで飛び移り、そこから同じように飛び移って移動を繰り返す。

「あのっ! 飛んだりは…きゃっ!」

「あぁ、紅哉さんがしてたやつですね。私がそんな芸当をやって、それから戦おうと思うなら昴から大量に血を貰ってこないといけないですね」

「戦う?」

「それも視野にいれとかなければ…いけ…ない、で、すね…」

壱の語尾がだんだんと微睡むように小さくなっていく。梓はその事に気が付いたが、先ほどから続くジェットコースターのような上下運動がその事を聞くことを邪魔する。

「壱っ!だいっじょ…っうぶ?」

「はい。問題ありません」

その声色はいつもよりずっと固く、機械的に聞こえた。


==========


20分ぐらいそんな移動を続けただろうか。急に、梓は地面に降ろされた。

降ろされた場所は鬱蒼と茂る森の中。

「壱、ここどこ?」

「………」

梓を降ろした壱はそのまま立ったまま動かなくなっている。目もどこか虚ろで遠くを見つめていた。

なにかとても嫌な予感がする。

「壱っ! 大丈夫? お願い応えて!」

「………」

壱の体を必死に揺さぶるが返事が無い。梓の体を冷や汗が伝った。


「そんなに揺さぶったらかわいそうですよ。私の毒で今彼女の意志は檻から出られない状態なのですから」


冷たい声がした。

梓が恐る恐るその方向を見ると、そこには長身、長髪の男が立っていた。透き通ってる銀髪は半ばで括られているが、それでもふくらはぎまである異様な長さだ。

切れ長な細い目の奥に青い光が見えた。間違いない。青の奴だ。

「貴方は誰ですか?」

恐る恐る梓がそう聞くと、彼は酷く丁寧な仕草で礼をしてくる。

「お迎えに来ました、梓サン。抵抗をしない方がいいのはお分かりですね?」

そう言って見せつけられた彼の長い指に蜘蛛とムカデが這っている。どうやら虫を使って何かをするのが得意な奴らしい。

「壱はどうなるんですか!? 毒って、私がそっちに行ったら抜いてくれますか?」

梓はとっさに聞く。彼は毒と言っていたのだ。何よりも壱の身が心配だった。

すると彼はにんまりとわらって軽快に応える。

「なぁに、あと二日もあれば自然に抜けますよ。大体命を取るものではありませんし。私がしたかったのは意識の支配ですから」

「意識の支配?」

「貴女が最初に森の中に落とされた時、どうして彼女が貴女を一人にしたと思いますか?」

「…っ! もしかして…」

厨房の扉から出たら森だった時のことを思い出した。あの時は単に、彼女がだんだん自分に信頼を寄せてくれてるからだとばかり思っていたが、どうやら違ったらしい。

そういえばあのときに現れたのも蝶だった。虫だ。

「そう。あの時に毒にかけたんですが、ここまで精神を支配するのに時間がかかってしまうとは予想外でした。

あの蝶綺麗だったでしょう? 自信作でしたからね。あの蝶には彼女に毒を仕込む事、貴女に幻影を見せる事。そして、その身をもって転送魔法を使える扉を作る事、という三つの仕事をさせましたから」

うっとりとした顔でそう微笑まれる。そうしてまだ彼は続けた。

「あの、アカオニが貴女のそばに今日いないと教えてくれたのも彼女だったんですよ?」

「そんなっ」

「意識が無い時間を作るのは、ここまで毒が回れば容易な事ですよ」

くつくつと嬉しそうに銀髪の彼は笑った。その様子に身の毛がよだつ。

「お察しの通り、私は虫と毒の扱いに長けてまして。虫を使うとこんなことまでできるんですよ」

ぱちんと指を鳴らす。すると彼の周りに二対の光がゆっくりと現れる。その数はどんどん多くなっていき、10秒も待たずに数えきれないぐらいの量になっていた。

二対の光、それは野犬の瞳だった。小さい物から狼と見間違うぐらい大きなものまで様々だが、多くの野犬が彼の後ろで梓に向かって唸っている。その姿に悲鳴を上げ、腰を抜かしそうになったが、どちらも堪えた。怯むわけにはいかない。

ここでこうして待っていればいつか紅哉が見つけてくれるはずだ。梓はそう思っていた。

「ノミにもこんな使い道があるんですよ。すごいでしょう?」

「………」

先ほど壱が『動物の眷属が大量に!』と言っていたがこの事だったのだ。

「そして、もっと面白いのが、この後ろに居る百倍以上の子達にたった一つの命令をしているんですよ。なんだと思います?」

「知りません」

「『百目鬼紅哉を殺してこい』って命令しました。すごいでしょ?」

「―――っ!」

ニヤリと弧を描く口から長い舌がぺろっと顔を出す。梓を嘲笑うかのようなその表情はまるで蛇のようだ。

「残念。王子サマはいくら待っても来ませんよ」

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