第19話:シフォンケーキとジンジャークッキー
どうやら私は本当に三行半を突き付けられたらしい。(結婚してるわけではないけれど)
それが何とも腹立たしいやら情けないやらで、その感情全てを、現在泡だて器に注いでいた。
「梓、電動の物もあるらしいですよ?」
「うん、わかってる。ありがとう壱。でも、今日はこのままでやるね」
「あ、はい」
とびっきりの笑顔で答えたはずだが、壱の固まった表情を見て気づく。
(あ、失敗してるみたい)
今日はシフォンケーキを作っていた。メレンゲは手動。今までは電動でやっていたが、手動も案外いけるかもしれない。
その調子で添える生クリームも手動。あ、やばいかも、手がつってきた。
そうして1時間ほど作業を続け、いつものティータイムが始まるころには、梓の腕はヘロヘロのクタクタになっていた。
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「梓、今日はどうしたんですか? なんだか鬼の形相になっていましたけれど」
梓の部屋でティータイムを楽しんでいる最中に壱がそんなことを言った。
「いや、別に。ただ少し情けなくなって」
正直に、『紅哉から護衛を断られたからイライラしてる』とは、気恥ずかしくてとても答えられない。それに護衛が壱に変わって、本当に嬉しいし、安心した。やっぱり常に傍に居るのは女性の方が気楽だ。
ただ、怖くないとあんなに言い含めたにもかかわらず、一方的にその関係を終わらしにかかった紅哉に少し苛ついたのだ。
(いやいや。元々、あんまり好かれてなかったぽいしね! わかってたことじゃない! 落ち着くのよ私!)
「…昨日何かあったんですか? 紅哉さんと」
おずおずとそう控えめに壱が聞いてくれる。そういえば壱は出掛ける前に何か言っていたではないか。
『今日はもしかしたら嫌な思いをされるかもしれませんが、気を付けて行ってきてくださいね』
頭の中で壱のその声がリピートされる。そしてはっとした。
「壱は街で紅哉さんがあんな扱い受けてるって知ってたの?」
「あ、はい。ここの吸血鬼はみんな大なり小なりアカオニの事は知っていますよ。…やっぱり嫌な思いをしたんですね」
「私は何も、紅哉さんは、多分嫌な思いをしたんだと思う」
帰り際の彼はいつもと変わらず、
(だけど、あんなことを言われて傷つかない人なんていないよね)
そしてそんな紅哉の傷に塩を塗る様に、自分は過去の事を話させてしまったのではないのだろうか。そう考え至って、梓は机を叩くようにして立ち上がった。
「壱、お願いがあるんだけど、良いかな?」
「え? あ、はい」
「これ、紅哉さんに渡して欲しいんだけど!」
しばらくして梓が用意したのは、先ほどのシフォンケーキと、新しく作った得意のジンジャークッキー。そして、
『昨日は付き合ってくれてありがとうございました。いろいろ聞いてしまってごめんなさい』
と書いた簡易な手紙。
それをまとめて一つの紙袋に入れ、壱に差し出した。壱もそれをおずおずと受け取る。
「これを紅哉さんに? 別に良いですが、梓の手作りお菓子なんてあの仏頂面男にはもったいないと思うんですが」
「仏頂面男って…。壱って、紅哉さんにたまに厳しいよね」
「私は昴以外の男はみんな滅んでしまえばいいと思ってるクチですから」
とんでもないこと聞いた。どうやらこの男装の麗人は、男嫌い(昴以外)だったらしい。
「まぁ、紅哉さんは昴と昔からの中なのでまだ平気ですが、他の男共は同じ空気も吸いたくないですね」
「壮絶だね」
「壮絶ですね」
お互いに顔を見合わせて笑いあう。
「確かに受け取りましたが、明日にでも梓が自分で渡しに行かれたらいいんじゃないですか?」
「それは多分、無理っぽいかなー。渡すなら、かくれんぼしないといけなさそうで…」
昨日の言葉からして、同じ屋敷に居ても彼は会わないように接してくるはずだ。紅哉とかくれんぼなんて見つけれるわけないと、梓は苦笑いをした。
「そうなんですか?」
「そうなの!」
首を捻る壱を梓は部屋の外に出す。そして、前回の二の足を踏まないように、壱の代わりに護衛をしてもらう使用人を自ら部屋に引き入れた。
「じゃぁ、行ってきます。多分五分前後で戻ると思いますから」
「よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げて、壱を見送る。
そして、すぐ彼女は戻ってきた。五分と経ってない。
「すぐそこに居たので渡してきました」
「え? すぐそこにいたの?」
「はい。あ、でも、また用事とかですぐに出かけて行きましたけどね」
(それなら自分で渡せばよかった)
後悔先に立たず。まさしくこの事だ。梓があからさまにがっかりしていると、壱が少し笑いをこらえているように見えた。
「どうしたの? 壱」
「はい。紙袋を受け取った紅哉さんの顔を思い出すと、面白くて」
「え? 嫌な反応だった?」
「いえ。ただ、思いっきり変な顔していましたよ。眉を思いっきり寄せて、しかめっ面で、首を傾けて考えるような。初めて見ましたね。仏頂面男にも顔の筋肉があるのだと実感しました」
「そ、そうなんだー」
喜んでいいのか、悲しんでいいのか、よくわからない。まぁ、彼からそんな表情を引き出せたから良しという事にしよう。
そして、その日はそのまま何事も無く過ごした。途中で顔を見せに来た昴とも他愛のない話をし、明日の予定を壱と確認したりした。
そして次の日。
「おはよう」
「へ? 紅哉さん? どうして?」
目の前に現れたのはビニール袋を持った紅哉だった。
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