第16話:スミダ珈琲店

鉄骨を傍に置き、紅哉は座り込んでしまっている梓を立たせる。そして、青ざめ、尻餅をついている店主に手を伸ばした。

「大丈夫ですか?」

「ア、アカオニッ!」

紅哉の手を払いながら後ずさりをする。冷や汗が彼の頬を伝った。

「たまに間違われるんですが、俺はアカオニではありませんよ」

そう言って紅哉は髪の毛をかきあげる。黒い髪の毛の奥に見える双眸は暗い朽葉色。それはあらかじめ紅哉がつけていたコンタクトレンズの色だった。

しかし、店主はそのことには気づかず、彼の朽葉色を見て、ほぉっと安堵の息を吐く。そして紅哉の手を握って立ち上がった。

「な、なんだよ兄ちゃん! 驚かせんじゃねぇよ! さっきまでアカオニの話をしてたもんだからさ、すまなかったな!」

「よくあることなんで大丈夫です。では、俺は連れと約束がありますので。また」

「おう! あー! 兄ちゃん! 兄ちゃん! これ化物なんかと間違えたお詫びだ。もらってやってくれ!」

そう言って、店主は去ろうとした紅哉を呼び止めて、手のひらに果物の入った紙袋を渡す。

「…いいんですか?」

「おう! 悪かったな! あと、嬢ちゃん助けてくれてありがとさん!」

「ありがとうございます」

紅哉は軽く会釈をして去っていく。終始、物腰が柔らかい青年そのものを演じていた。

その後姿を見ながら店主は梓の背中をポンと叩く。

「よかったな、通りすがりの兄ちゃんがいい奴でさ!」

「…はい」

「で、嬢ちゃん。買うのかい? 買わないのかい?」

「おじさんごめんなさい! 私、あの人に改めてお礼言ってきます!」

「え? 嬢ちゃん? ちょっと!」

梓は店主が呼び止めるのも聞かずに去っていった紅哉の後ろ姿を追っていった。

全速力で大通りを抜ける。その背中が脇の小道に入ったところでその後ろ姿を捉えた。紅哉のシャツを思いっきり引っ張って彼を止める。振り返った彼はいつもどおりの仏頂面に戻っていた。そして梓の姿をみとめた瞬間、眉間に皺が寄る。

「…なんで追ってきた? もう買い物はいいのか?」

「いいの! 大丈夫! それより紅哉さんに…」

「腹は減ってないか?」

梓の言葉を遮るようにそう言われ、梓はきょとんとしてしまう。そして、一呼吸の後、こっくりと頷いた。そういえば時刻はもう十二時になる。

「なら、こっちだ」

そう言って、紅哉は梓を置いて小道を進んでいく。

「あ、待ってください!」

梓も慌てたようにその後を追った。


==========


商店街のハズレにその喫茶店はあった。どんぐりのような丸いフォルムに、土壁のような色の壁。木で作られた扉にはCLOSEの文字がついた板がかけられていた。

『スミダ珈琲』

ドアのとなりの看板にはそう小さく書かれている。

紅哉はCLOSEと書かれているにも関わらず、その喫茶店の扉を開けた。梓が咄嗟に止めに入ったが、それも無視して彼は中に進む。

「あらーコウちゃん! 早かったわね! 待ってたわよ。半年ぶりかしら」

そこで待ってたのは、金髪の青年。見た目は紅哉と同じか、少し上ぐらいだろう。昴と同じぐらいに見える。髪の毛はオールバックにしてカチューシャで留めていた。

ファッションは普通のカフェの店員のそれだが、

(なんというか、頭がど派手な人)

というのが梓の最初の印象だった。

「あ、紅哉さんお待ちしてましたよ! 好きに座ってくださいー!」

次に出てきたのは元気で明るそうなボブカットの女性。少し大きめのいちごのヘアピンが特徴的な女性だ。見た目は20歳前後。こちらはいたって普通の印象だ。

彼女はおずおずと入ってきた梓に目を留めて、急に距離を詰めてくる。そしてその手をむんずと捕まえて、上下に激しく振った。

「梓ちゃん? だっけ? 私、姫路いちごっていうの! 同じ人間同士仲良くしようねー」

「え!? そうなんですか! 私てっきり、あなたも吸血鬼なんだと!」

「違う! 違う! 私は普通のか弱い人間よ。タケルなんかと一緒にしないで!」

「なによー。もー。いちごったらその言い方はないんじゃない?」

タケルと呼ばれた青年は口を膨らませながら、梓に近づいて握手を求めた。

「コウちゃんから話は聞いてるわ。よろしく梓ちゃん! 今日はここ貸切だから思う存分ゆっくりしていってね」

その握手に応じると、タケルは歯を見せてにこりと笑った。

「ついででいいんだけど、いちごとも仲良くしてくれると嬉しいわ」

「あ、はい!」

「さ、席ついてー。コウちゃんはいつものでいいの? 梓ちゃんはメニュー見てゆっくり決めていいからねー」

そう言って窓際の席に通される。その席にはもう紅哉が座っていて、頬杖をついて窓の外を眺めていた。その正面の席に梓はおそるおそる腰掛ける。

「怪我はなかったか?」

座った瞬間に目だけ梓の方を見て、そう聞かれる。彼の瞳はいつの間にか赤い色に戻っていた。コンタクトを外したのだろう。

「あ、はい。大丈夫です」

「そうか」

「あの、ここは紅哉さんの行きつけなんですか?」

「たまに来るだけだ。行きつけというほどでもない」

「そうよねー。行きつけとは言わないわよねー。コウちゃんこの前来てくれてから半年ぶりぐらいじゃない? 私、寂しかったわー」

声のするほうを見ると、タケルがコーヒー二つとメニュー表を机の上に置いてくれてるところだった。

「………」

「常連でもない人に、大切なお店を貸切にさせてあげる私って、やさしー。そうよねー、行きつけじゃないわよねー。行きつけなんかじゃないわよねー」

「…行きつけだ」

「はい。よろしい」

ニンマリと満足そうに微笑むタケル、諦めたように溜息をつく紅哉。そんな二人の光景を、まじまじと見つめていた梓に、タケルはそっと耳打ちをした。

「梓ちゃん、コイツほんと押しに弱いから覚えといたほうがいいわよ? 聞きたいことがあるんでしょ?」

タケルの顔を見ると、頑張れというように親指を立てて去っていった。

梓は改めて居住まいを正す。そうだ聞きたいことがあるのだ。

「紅哉さん、聞いていいですか?」

その言葉に紅哉も頬杖をやめて梓に向き合った。

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