第15話:縮まらない距離

梓は考えていた。この状況をどう打開しようかと。

「紅哉さん。やっぱり一緒に歩きませんか?」

『いや大丈夫だ。問題ない』

梓は思わず溜息をついた。親睦を深めようと思ったのにこの様だ。

街の商店街の中で梓は一人だった。いや、正確には一人ではなく、一人と一匹。梓の足元には黒猫が座ってにゃーと可愛らしい鳴き声をあげる。


屋敷から出るまでは良かったのだ。屋敷は街から外れた高い丘の上に立っており、その周辺には木が生い茂り森のようになっていた。そして、そこから車で街に降りる所までは紅哉は一緒だった。車から降りるときになって梓にどこから出したのか黒猫を預けてきたのだ。


『昨日捕まえておいた。何かあったらこいつに言えばいい』


そう言って、本人は梓が止めるのも聞かずどこかに去ってしまった。そして今に至るという訳だ。


「この子は使い魔とかになるんですか?」

猫に向かってそう話しかけると、猫の可愛らしい口から似つかわしくない低い男の人の声が聞こえてくる。

『まぁ、そんな感じだ』

「紅哉さんは今どこに居るんですか?」

『半径500メートル以内にはいるようにしている。なにが起きても駆けつけられる。だから安心しろ』

「………」

本当に来る気が無いようだ。

(一緒に歩くのも嫌がられるぐらい嫌われているとは思わなかった)

梓は項垂れる。確かに、思い返してみれば色々と迷惑をかけているのだ。嫌われたって仕方がない。

紅哉の中のカテゴリーで、梓は『めんどくさい女』などではなく『嫌いな女』だったのだ。その事に思い至り、溜息が自然に漏れる。

なんだか少し悲しくなってきた気分を吹き飛ばす様に、猫を抱き上げ背中に顔を擦り付けた。太陽の匂いがする。

『おい。視界がぶれる』

「うるさいです。もういいです、私一人で散策しますから! 猫はこのまま抱っこしていっちゃいます!」

『別にいいが、何で不機嫌なんだ?』

「しりません」

『?』

口を尖らしたまま辺りを散策する。

本当に普通の街だった。住宅街や商店街があり、普通に肉や野菜が売られている。最初はパック詰めの血が売られているのではないかと思ったのだが、そんなこともなく、ただただ普通。ここが吸血鬼が住む街だといわれても普通は信じれないだろう。

「本当に吸血鬼の街ですか?」

『あぁ、この街の大体8割ぐらいが吸血鬼だ。残り2割は吸血鬼と人間の間に生まれた人間だったり、人間の協力者だったりする』

「吸血鬼の子供でも吸血鬼じゃない人もいるんですね」

『正確にはダンピールと言うんだがな。能力的には人間とさほど変わらない。体力的に少し上というぐらいだ』

「そうなんですね。でもみなさん普通の人間に見えますね」

『見た目はそんなに変わらないからな』

淡々と会話が進んでいく。しかし、会話の目的がはっきりしているためか、梓にはいつもよりまともな会話に感じられた。下がっていた気分が少し上向きになる。

「もし、普通の人が観光でこの街に来たとしても気が付きませんね」

『普通の人が入る事はほぼない。ここは地図にも載ってない街だ。政府や役所に入り込んでいる仲間がここの隠匿と戸籍やその他のデーターの改竄をしてくれている』

「なんか大がかりな事を聞いてしまった気がする」

げんなりした。つまりここは陸の孤島なのだ。衣料品や生活雑貨などの物品搬入はどうしているのかとも聞きたくなったが、返ってくる答えはなんとなく予想できた。

「この街を支援するために、多くの吸血鬼が人間の街で働いているんですね」

『あぁ、助かっている』

知らなかった。もしかしたら隣のアパートのおばさんとか、あの口が悪い近所のお兄さんも吸血鬼だったのかもしれないという事だ。


『今日はこれからどうするつもりなんだ?』


怖い事実に行きついて少し顔を歪ませていた梓に、猫、紅哉はそう問いかけた。

「あ、はい。今日は帰ってきた父にフルーツタルトを作ろうかと思って、果物を買おうかと!」

『頼めば持ってきてもらえただろう?』

「だって、果物は自分で選ばないと納得できないじゃないですか!」

色や形、大きさ、糖度、同じ果物でもいろいろあるのだ。果物を選べる機会があるなら自分で選びたい。

梓は手元にある、壱が描いてくれた手書きの地図を見る。果物を買うならここがお勧めだと、あらかじめ教えてもらっていたのだ。

「これによると、ここにある本屋の隣…って、本屋さん無いな。」

教えてもらった場所に本屋はなく、何か大きな建物が工事中とのことだった。迷ったのかと、梓は首を捻る。

『ここは元々本屋だった気がするぞ』

工事中の建物の方を向いて、猫がそう言う。

「そうなんですね! 何か違う建物に変わるのかな?」

そう言いながら梓がその隣を通ると、普通の人間に見える男性が、何百キロもありそうな鉄骨を担いでゆうゆうと歩くのが目に入った。

「やっぱりここは吸血鬼の街なんですね」

『さっきからそう言っているが?』

「いえ、実感しただけです」

重機なんていらないんじゃないだろうかと思う。

「あ、ありました! ここですね!」

『………』

工事現場の隣には小さな八百屋さんがあった。小さい割には果物が沢山並んでおり、種類も豊富そうだ。梓がその果物を眺めていると、陽気で人のよさそうなおじさんが声をかけてきた。

「あ、いらっしゃい! お嬢ちゃん! あれ? …見かけない顔だね?」

「こんにちわ! あの、私は丹さんのところでお世話になっている人間なのですが!」

事前に昴と壱に口酸っぱく、自分の事情は明かすな、といわれている梓はそう答えた。この答えも、もし聞かれたらこう答えるようにと二人に準備してもらったものだ。

「あぁ、そうなんだね。丹様んとこで! ここは良い街だからまぁゆっくりしてってね!」

「ありがとうございます」

八百屋の店主は白い歯を見せながら、にこりと笑う。恰幅の良さも相まって、すごく気のいい人に見える。いや、実際いい人なのだろう。

「さて、何が欲しいのかな?」

「今日はフルーツタルトを作ろうかと思って、イチゴはありますか? あと、缶詰でいいので白桃とか。そのオレンジもください!」

「はいよ! おまけしとくね!」

「ありがとうございます!」

そう言って店主が袋に入れてくれたのは赤く熟れた林檎。

嬉しくなって、その林檎を猫の前に見せて梓は笑った。

「見てください紅哉さん! 貰っちゃいました! 紅哉さんの目みたいですね!」

『………』

その梓の言葉に店主の顔が強張った。

「あんた、今、“コウヤ”って言ったかい? もしかしてその猫? 丹様んところのコウ…」

にゃーぉ。

店主の言葉を遮る様にして猫は鳴いた。そして梓の腕から飛び降りて、下で毛づくろいを始める。その様子に店主は安堵したようだ。ふー、と大きく息をつく。

「そんなわけないか。お嬢ちゃん驚かせないでくれよ。アカオニかと思っちゃったじゃねぇか」

「アカオニ?」

「そうそう、丹様んところの二番目の男の子。赤い瞳の、血を吸わない吸血鬼。だからアカオニ。この街じゃ有名だぜ? まぁ、都市伝説みたいなもんで、もう20年近くも街の方じゃぁ見たことないって噂だけどな」

安堵したためか彼は饒舌だった。

「赤い目の化け物とも呼ぶやつもいたな。若い子たちは知らない奴もいるだろうが。俺らの世代はそりゃ本当に怖かったもんだ。なんせ力だけなら丹様と同等だって噂もあるぐらいだしな! まぁ、それに人徳も伴ってりゃ、いい当主になれただろうに。あいつは同族殺しだ。一番いけねぇ」

「同族殺し?」

「あの化け物、自分の兄貴殺してやがるんだよ! 丹様の温情で何にも罰せられなかったけどな! まぁ、今Fの処分ほとんどアイツに任せられてるって噂だ。同族の血が大好きな化け物にぴったりの仕事だね」

鼻息荒くそう言い切った彼はどこか満足そうだった。梓はその話をうまく呑み込めていないようで、眉を寄せて聞いていた。

「………。あの! やっぱりこれ買いません! ごめんなさい!!」

「え? お嬢ちゃん?」

突然梓はそう言い、店主に紙袋を押し返す。その時だった。

「あ、あぶないっ!!」

頭上で聞こえたその声に梓は上を向く。すると、眼前に迫っていたのは太い鉄骨。その奥に青ざめた工事現場の男の人が見える。恐らく彼が不注意で落としたのだろう。

梓は思わず目をつぶる。しかし、訪れるはずの衝撃は来なかった。

そうだった彼が居るんだった。梓はその声を聞いて彼の存在を思い出した。

「大丈夫か?」

目を開けると紅哉が居た。腕で鉄骨を支えている。

落ちてきた鉄骨は自重により紅哉の腕を中心にくにゃりと曲がってしまっていた。

「うわぁああぁぁあぁ!!!」

その紅哉の姿を見止めた瞬間、店主の叫び声が街に木霊した。

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