第13話:さみしくて泣いたウサギ

弥生が死んだ。


雨の中、黒い服をまとった近所の人たちがパラパラと斉藤家に入っていく。

その奥に、暗い目をした梓が居た。

赤色の傘を差しながら彼女は掌を見つめている。その掌の中には何本かのクローバー。それをぎゅっと握りしめ、辛そうに顔を歪めていたが、その瞳に涙はなかった。

時折大人達が彼女の様子を窺いに来ていたが、気丈にも彼女は笑顔で振るまう。

紅哉は静かに雨に打たれながら、その様子を遠くで見守るしかなかった。


==========


それから数日後。梓を誘拐すると決めた日が来た。

しかし、紅哉にはそんな気が起きないでいた。

彼女と関わりすぎていたからだろうか。あんな寂しそうに顔を歪める小さな女の子を更に痛めつけるような事はしたくなかった。

まだ報告もしていない。今なら彼女の前から姿を消し、丹には『見つからなかった』と報告すればいいだけの話なのだ。

しかし、そのあとはどうするのか? 青の奴らがやってきて彼女を攫っていくかもしれない。それならまだこちら(赤)側に居たほうが安全だ。


「おにいちゃん」


公園のベンチでそんなことを考えていた紅哉はその声にはっとして顔を上げる。

そこには梓の姿があった。彼女はにっこりと笑っている。

「あずさ、おにいちゃんとの約束やぶってごめんなさい。今日はそれだけ言いにきたの」

「大丈夫なのか?」

口からそう勝手に漏れる。梓はその言葉に少し考えるようにしていたが、いつもより少し元気の無くなった声で応えた。

「おにーちゃんなんでも知ってるんだね。…おかーさんはお空のお星さまになっちゃったけど、あずさはその分元気に生きなくっちゃ!」

「そうか」

大人が彼女を励ます為に『お母さんの分まで元気に生きなくっちゃね』とでも言ったのだろう。彼女はそれが母親の為になると思っている。そして無理をしている。

「俺の母親が亡くなったとき、俺は泣いた…と思う。感情のままに周囲に当たった。お前は偉いな」

「うん」

紅哉は自分の母親が亡くなった時の事を思い出す。まだ吸血鬼として覚醒する前の事だからかなり前の事だが、今でも鮮明に思い出せる。自分を大切にしてくれた親の死の辛さは分かっているつもりだ。

「だか、別にこういう時は偉くなる必要はないんじゃないのか?」

「うん」

「泣いてもいいぞ」

「うん」

俯く梓の肩が震える。必死に目元を擦る彼女は、まだ泣かないようにしているようだった。

「だめ。あずさ泣いちゃったら、もう本当におかーさんに会えない気がする」

必死に出てくる涙を押し込めようと彼女は両手で顔を覆う。しかし、彼女の輪郭から一筋の涙が伝う。

その頭を紅哉はなでる。それがきっかけだった。両手を顔から離し、梓は泣きじゃくった。大粒の涙が次々と頬を伝う。

子供らしい、盛大な泣き方だった。


==========


公園に誰も居なくてよかったと紅哉は心の底から思った。

周囲から見れば大の大人が子供を泣かしているのだ。あの時は何とも思わなかったが、もしかしたら通報されていたレベルかもしれない。

小一時間泣いた梓は目を真っ赤に腫れさしながら、何処かすっきりしたような顔になっていた。

「おにーちゃんのおかーさんもお星さまになったんだよね? いつか悲しくなくなる? おかーさんが死んだこと忘れられる? おにーちゃんはどうだった?」

隣のベンチにすらる梓はそう話しかけてきた。

「忘れてもいないし、思い出すと今でも悲しいが、大概の事は時間が何とかしてくれる」

「そーなの?」

「そうだ」

「そっか」

どこか納得したように梓は笑った。先ほどまでの張り付いた笑顔とは違う、子供じみた笑顔だった。

「おにーちゃんって、やっぱり優しい…ね…?」

「ん?」

紅哉の顔を覗き込んだ梓の表情が固まる。

「赤いの? おめめ?」

「―――っ!」

紅哉は咄嗟に片手で両目を隠して距離を取る。どこかでコンタクトレンズを落としてしまったらしい。気づかなかった。

びっくりしたような表情で固まっていた梓は距離を取った紅哉に、ずずずいっと近づいた。

「きれいね! おにーちゃんのおめめ!」

「…は?」

正直、泣いて怖がられると思っていた紅哉は拍子抜けした。

血を飲まなくても赤いその瞳は先祖返りなのだそうだ。強い力と濃い血を持つ証。

しかし、その瞳は生まれた時から妬みや蔑みの対象だった。同族の吸血鬼にさえも忌み嫌われ、恐れられる瞳なのだ。人間ならばなおの事、恐怖で大概の者が足がすくんで動けなくなる。

当然そういう反応だと思っていたのに、目の前の彼女は目をキラキラさせて、隠している手の隙間から紅哉の両目を見ようと必死になっていた。

「やめろ」

「宝石みたいね! おにーちゃんのおめめ! るびーって宝石みたいね!」

「………」

紅哉はこの子の感性が心配になった。揶揄されたことならいくらでもあるのだが、ルビーと言ってきたのは彼女がはじめてだった。大人になるにつれて治ればいいのだが。

「おにーちゃんもたくさん泣いたの? だからそんな風に赤くなったの? ウサギさんはね、寂しくていっぱい泣いたから赤いんだって! おにーちゃんも?」

「…そうだ」

否定したとして、その後この瞳の事をどういえばいいのかわからなくなった紅哉は、その梓の話に乗る事にした。

「そうなの?」

「あぁ」

「あずさのおめめも少し赤くなってるから、もっと泣いたらおにーちゃんみたいになるかな?」

梓はポケットから手鏡を出して充血した自分の目元を確認している。まだ4歳なのに手鏡を持っているところが、やっぱり女の子なのだなと変なところで感心してしまった。

「おすすめはしない」

「おにーちゃん。おとうさんいなかったの?」

「…いない」

正確には丹が居たのだが、丹は父として接するより当主として接する方が昔から多かった。沢山の妾の中の一人だった紅哉の母親のところに丹が父として訪れるのは月に1回程度。通常の父と子の関係とはあまりにもかけ離れていた。

「だからか! おにーちゃん寂しかったんだね! いいこ。いいこ」

「………」

突然4歳児に頭をなでられて、紅哉はどうしたらいいかわからず固まる。

「あずさもね、おとーさん居なかったら、おめめ真っ赤になってたと思う。おかーさんが死んだときも、ずっと、おとーさんぎゅってしてくれてて。おとうさんも居なくなったら、あずさのおめめ絶対真っ赤っかになる!」

「………。そうか、お父さんとは離れたくない、か?」

「うん! あずさ、おとうさんが居なくなっちゃったら、おめめ真っ赤になって大変だと思う!」

「そうか、それは大変だ」

その言葉を聞いて、紅哉は踏ん切りがついた。梓は拉致しない。少なくとも今はまだ。

紅哉は立ち上がる。いつか来るかもしれない青への対処をするなら早い方がいい。彼女を密かに監視できる人物を探さなくては。

「俺は用事を思い出したから帰る。お前も暗くならないうちに帰れ」

「うん! またね! おにいちゃん!」

「…あぁ」

もう会うことはないかもしれない。そうであってほしい。

そんな希望をこめて『またな』とは言わないでおいた。


それから13年後。梓と紅哉はそんな願い虚しく再会する事となったのだった。

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