第10話:言いなりのモルモット
「どうかされましたか!?」
梓の叫び声を聞いて、慌てたように部屋の中に入ってきたのは先ほど出て行ったばかりの久喜だった。
その久喜が目にしたのは、紅哉に詰め寄る梓の姿。その形相に久喜も目を剥く。
「梓さんっ! 何をされてっ!」
止めに入ろうとした久喜の事を静止したのは紅哉の手だった。
「大丈夫だ。…部屋にネズミが出て梓が怖がっただけだ。なんでもない」
紅哉は咄嗟に梓の背中に手をまわして彼女を気遣うふりをする。
「大丈夫か?」
「あ、あぁ! はい! 紅哉さんありがとうございます」
(あ、危なかったー!)
梓の背中に冷や汗が伝う。ここでぼろが出てしまったらおしまいなのだ。久喜を見ると安心したように胸をなでおろしている。
「そうなのですか。安心しました。紅哉様に無体を働く輩はたとえ紅哉様が選ばれた契約者様でも、この久喜、八つ裂きにする覚悟でしたから! 梓さんがそうでなくてよかったです」
そう微笑む彼女の八重歯が人より少し長い気がする。ぶるり、と梓の背筋は震えた。
(そう言えば昴さんがここの街の人殆どが吸血鬼だって言ってたけど、これ多分久喜さんも吸血鬼だー!)
『八つ裂き』という恐ろしい単語にそれを確信する。本当にこの街は吸血鬼の街なのだ。
まだ外を出歩いたことがあまりないから実感はないが、今日初めて軟禁されていた屋敷を出て、そして出会った人物がどれも吸血鬼とくれば、これはもう信じるしかない。
「久喜。父への会う約束が取り付けられるまで人払いを頼めるか?」
「はい! 勿論です紅哉様! 気が回らずに申し訳ございません。 お若い事は良い事ですね!」
「………」
また尋常じゃなく壮大な勘違いをされた気がする。紅哉の眉間の皺が増えていくのを梓は申し訳ない気持ちで見つめていた。
「ごめんなさい」
「もういい」
久喜が再び足取り軽く出て行った後は、もうなんというか、雰囲気は反省会だった。
「『婚姻と同義』とか言われたから、びっくりしてしまって…。声が勝手に…。なんか、色んな嘘をつかせてごめんなさい」
「もういいと言っている。契約の事はこの件が片付いた後に訂正しておく。安心しろ」
「何から何までありがとうございます」
深くお礼を言う。体勢は土下座だ。今までの事を考えれば無理もない。
そんな梓の頭を小突き、紅哉は機嫌の悪そうな声を出す。
「あぁ。そんなことより、これからどうする予定なんだ?」
「どうするもこうするも、査問会に赴いてぶち壊してやる予定です!」
「…先ほど聞いてきた話なんだが、その査問会とやらは明後日だそうだ。査問会に乗り込むのなら明後日までここに泊まれるよう口をきいてやる」
「じゃぁ、もし今から会えるってなっても?」
「会えるのは父だけだな。まぁ、赤の組織の全権限は当主が握っている。どれだけ無理難題だろうが、どれだけ否定的な意見が出ようが、当主が決めたことなら貴族共も従うものだ。つまり当主を説得出来ればお前の願いはかなう」
「じゃぁ、会えた時点で作戦決行します!」
「わかった」
梓は即断だった。そういうことなら査問会に立ち会わなくても立ち会った事と一緒の事だ。父の無条件釈放を絶対に勝ち取ってみせる!と鼻息荒くしてる梓の様子を紅哉は少しだけ心配そうに見ていた。
==========
「よし!」
梓は、その先に当主が待っているだろう襖の前で、自分を奮い立たせるように自らの頬を叩いた。パン、と小気味良い音が廊下に響く。あれからほどなくして2人はここに通された。
先陣は勿論梓がきめる。後ろには紅哉が付いてきていた。何故かその存在に勇気が湧いてくる。
懐の中も確認。大丈夫だ、唯一の武器も持ってきている。
「失礼します!」
「入れ」
その言葉と共に襖を開ける。広い和室。掛け軸だって高そうだし、後ろには日本刀が飾られてある。任侠映画で見たことあるような光景に、そこに座っているだろう人もいかつい初老の男性を想像していた。
しかし、そこに鎮座していたのは、
「ようこそ。君が紅哉の契約者になる子なのかな? …と思ってたけど、君は…」
どこからどう見ても30代前半の男性の姿だった。
「あの、えっと、当主さんは? 紅哉さんのお父さんの丹(あかし)さんは今ご不在ですか?」
「私が、
「え!? だって…」
紅哉と兄弟だと言われた方が納得できるようなその若さ。目元や絹のような黒髪、通った鼻筋など、確かに紅哉と似てはいるのだが、とても実の親子だと梓には思えなかった。
「紅哉、いるんだろう? 説明しとかないと梓さんは混乱してしまうよ」
「……。吸血鬼の老いは20歳からとても緩やかになる。あぁ見えて当主は200歳は超えている。力の強い者ほど寿命が長いんだ」
渋々といった感じで出てきた紅哉はそう梓に説明をする。声色が硬いのは気のせいではないだろう。
梓はその告げられた事実に目を丸くした。
「じゃぁ、本当にあなたが?」
「こんにちは、梓さん。君の事は存じ上げてるよ。災難だったね。
それで、今回はどうしてここに? 本当に君が紅哉と契約をする、という事で訪ねてきたのではないのだろう? 久喜が喜んでいたのに可哀想だ」
全てわかっているというようにその男は笑った。机に肘をつきこちらを試すように見ている。
梓は息をのんだ。柔和な表情を浮かべているが、彼は間違いなくこの吸血鬼をまとめ上げる存在なのだろう。ここからが勝負どころだ。
「単刀直入に言います! 父を解放してください。何の罪にも問わず、何の罰も与えず。無罪放免で!」
「父というのは、君を無断で連れ去った研究者の事でいいのかな? 名前は確か、斉藤信二。といったか」
「はい。そうです。お願いできますか?」
「無理だ」
丹はそう断じた。その一言で場の空気が凍ったようになる。
「君は何千、何億、という金品を窃盗した者に対して同じことが言えるのか? 君にはそれぐらいのお金がかかっていたんだ。それを無罪放免で…、無理があるだろう?」
表情も言葉尻も優しいが、目が笑っていない。怒っているわけではないだろうが、品定めはされている。そんな雰囲気だった。梓も慎重に言葉を選ぶ。
「無理ですか?」
「無理だ」
「どうしても?」
「どうしてもだ」
「なら、こちらにも考えがあります」
そう言って梓がポケットから取り出したのは果物ナイフ。それを見て、丹の表情が初めて崩れた。ほぉ。と少し驚いている。
「そのナイフで私を脅すのか? しかし、恐らくそのナイフが私に届く事は無いよ。こう見えて赤の取りまとめをやってる身だ。君がそのナイフを振りかざすより前に君の五体がバラバラになる」
「…そうでしょうね」
そして冷静に梓はそのナイフを自分の首に当てる。その刃物が皮膚を裂き血が腕を伝った。後ろで紅哉が驚きの為か息をのむのを感じる。
「この距離ならあなたが私を止めるより、私が首を掻き切る方が早いですよね? さぁ。取引をしましょう。丹さん」
「…君は面白い子だね」
ニヤリと本当に面白そうに丹が笑った。
「父を解放してください」
「受け入れなかったら、君が命を落とすと? 私たちにとって君はそんなに重要ではないよ。自分の価値を誤ってはいけない」
「嘘です! なら、私を護衛のついた状態であんな屋敷にかくまうはずがない! 私が青の連中につかまるのが怖いならその場で殺しておけばいいはずですよね? でもあなた方はそうしなかった。なぜなら、“人間になる研究”の材料として、私の事を知りたがっている。…違いますか?」
「…聞いていたより聡い子なのかな? “人間になる研究”なんてのは、“種の保存”の研究のほんの一部だよ。君に期待しているのはもっと幅広い研究の材料としてだ。
だとしても、死んでいても研究に差し障りはないんだよ。君は今回なぜか逃げ出してこれたが、護衛に着かせている壱には、何度か逃亡を図るようなら殺せとも命令している。君の生死はあまり関係ないんだ」
「それでも、“生きているモルモット”と“死んでいるモルモット”では、“生きているモルモット”の方が価値があると思いませんか?」
「では、“言いなりのモルモット”になってくれると?」
「いいえ、言いなりにはなりません! しっかり抵抗させてもらいます! そのかわり逃げません!」
「ほぉ」
「抵抗はします! しかし逃げません! この街から私は自分の意志で出ていきません! 後はあなたたちの好きにすればいい! 追い回して、捕まえて、私を解剖するのもあなたたちの自由です! どうぞ私の研究を続けてください!」
梓と丹の目が合う。丹の迫力に負けないように梓は睨みをきかせた。
「つまり、私が斎藤信二の身柄の解放を約束する代わりに、君はここでモルモットとして生きていく。そういうことでいいのかな?」
「はい。抵抗はさせて貰いますが!」
そう言いきる。言いたいことは全部言った。梓は全身の毛穴から汗が噴き出るのを感じる。
目の前の丹は本当に驚いた顔をして、そして、破顔。声を出して笑い始めた。
「わかった。斉藤信二を無罪放免としよう! そしてこれは私の温情だ。君を軟禁している屋敷に一緒に住むことを承諾する。君は大変親思いの良い子だ。子育てについては学ばなければならないことが多そうだな」
「あ、ありがとうございます!」
梓は安堵からか全身から力が抜け、へにゃりとその場に崩れ落ちる。後ろに倒れ込みそうになったのを支えたのは紅哉だった。その顔はどこか納得しきっていない顔だったが、梓と目が合うとそっと頷いてくれた。
「梓さんがどうして逃げたのかわからないが、恐らく青の奴らが噛んでいるのだろう? 紅哉。お前が連れてきたんだ、今日からの護衛はお前がしなさい。風呂や寝るときは今まで通り壱に頼めばいいが、お前も別室で控えておくこと、いいかい?」
「…わかった」
不服そうに頷く紅哉を見て、梓はなんだか申し訳なくなった。本当に迷惑をかけてしまっている。
「そして、梓さん。君が先ほどの誓いを違えない限り、私がこの街においてその身を保証しよう。流石に一人でというのは了承できないが、紅哉と一緒ならば街の出歩きも自由にして構わない。もちろん違えた場合は…言わなくてもいいね」
「はい! ありがとうございます!」
「いや、これは君の行動の結果だ。誇っていい。
それと、君は先ほど解剖すればいいと言っていたが、私たちはまだそれをする気はない。成人に向けての体の変化も気になるからね。君の血は真祖の物だろうけど、体は人間だ。このまま普通に年を取っていくのか、それとも私たちのように成長が緩やかになるのか、それさえもわからない。だから、少なくともあと、5、6年はいきなり解剖とか、そういう強硬な手段になる事は無いと思う。私としてはそれ以降もそんな手段に出たいとは思わないがもちろんこれは状況にもよるから確約はできない。だが、努力はしよう」
目の前で微笑む丹は先ほどとは打って変わって、本当にただの優しい人に見える。梓もほっと胸をなでおろした。
「私は君の様な性格を好ましく思うよ。本当に紅哉と契約してくれればいいのにと思ってしまうぐらいだ」
「しません!」
『婚姻と同義』その言葉が梓の頭を回って、気が付いた時にはそうはっきり告げていた。
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