第7話:再会

厨房の扉から勢いよく飛び出した梓は何かに躓いて派手に転んだ。3回転半はしただろうか。嬉しくもない、痛いだけのトリプルアクセルを決めて、起き上がった梓の目の前にあったのは木だった。

「え? なんで?」

周りを見渡す。視界に入るのは木、木、木。上を見上げると生い茂る葉の隙間からは青空が見えた。

「うそ」

そう呟いていた。無理もない。梓が転がり出たのはどことも知らぬ森だった。振り返ると梓が飛び出してきたはずの扉は跡形もなく消えている。

廊下に通じる扉を開けたら森に通じてました。なんて冗談が過ぎる。

「とりあえず、お父さんの所へ行かなきゃ」

梓の頭の中は焦りでいっぱいだった。どうしてこうなったのかなんて考えている余裕は無い。ただ早く、父に会って彼の身の安全を確かめたかった。

使用人たちの会話が何度も何度も頭の中で反芻される。


『査問会が開かれたらもうおしまいね。梓さんのお父さんはこのまま殺されるでしょうね』


目の前がにじむ。それをぐっとこらえて梓は立ち上がった。膝や服に付いた泥を払い落とす。

右を見ても左を見ても見渡す限り同じ景色。どちらに進んだらいいのかわからないならば、どちらに進もうが同じこと。梓は前に進もうと足を踏み出した。


その時だった。ガサリと目の前の茂みが揺れる。そこからゆっくりと人影が現れた。

20代前半の男だ。べたついた長い髪が頬に張り付いていてその表情は読み取れないが、頬は痩せこけていて顔色も悪そうだ。着ているシャツやズボンはボロボロで裾の方は破れている。

そう、彼を一言で表すなら、ゾンビだ。パニック映画でよく見るゾンビに雰囲気がそっくりだった。

「―――っ!」

梓は息をのむ。足取り重く、ゆっくりと近づいてくるその男の瞳は青く輝いていた。

「みつ、け、た」

壊れた人形のように首を傾げてその男は笑った。にやりとした笑いが気持ち悪い。

「にげるなっ!」

「がはっっ!!」

反射的に逃げようとした梓の体が一瞬で木に縫い付けられる。打ち付けられた衝撃で呼吸が上手くできない。逃げようともがくが、とても梓の力では抜け出せなかった。首にかかる男の手の力が増す。

「はな…し、てっ!」

「み、つけ、た。みつ、けた。み、つ、けた」

顔を近づけ、うわごとのようにそう繰り返す男が気持ち悪い。濁った青い瞳が嬉しそうに笑った。

「いやっ!」

「みーつけた」

至近距離でそう言われる。口を開いた男の奥には鋭い牙が輝いていた。噛まれる!と身を固くして目を閉じる。しかしその瞬間に彼女の拘束は解かれた。

(え? …噛まれない?)

ゆっくりと恐る恐る目を開けると、足元に先ほどの男の頭。梓の目の前にあるのは首のない体だけだった。そこから勢いよく血が噴き出し彼女の体に降りかかる。

梓はその光景に悲鳴を上げるでもなく、ただ呆けていた。何が起こったのか脳が理解できていない。

「大丈夫か?」

血の雨の中、梓の前に現れたのはルビーのような赤い目をした黒髪の男。

そして記憶がよみがえる。なんで今まで忘れていたのか不思議なぐらい鮮明に。

彼は梓が誘拐された夜、血だまりの中に立っていた男だった。あの時は踝まである黒いコートを着ていたが、今はラフな白いシャツに黒いスラックス。服装は違うが間違いない。

「あ、あの夜の!」

「…どうしてお前がここに?」

梓の顔を見た瞬間、その男は訝しげに眉をひそめた。そしてしばらく彼女を眺め、一つ溜息。

「な、なんですか?」

「……」

怒っているのかなんなのか、よくわからない表情で男はゆっくりと梓に近づき、彼女の傍から死体を退かした。そしていつの間にか座り込んでいた梓の腕を掴み立たせ、そのまま引きずるように歩き出した。

「あの、えっと…」

「……」

「どこに私は連れて行かれるんですか?」

「…良いから黙ってついてこい」

そうぴしゃりと言われて一瞬怯む。しかし、そこで黙るような大人しい彼女ではなかった。

「離してくださいっ!」

思いっきり腕を引っ張りながら梓がそう叫ぶと、今度は男にギロリと睨まれた。

「運んでもいいんだが?」

そう低い声で告げられてはもう抵抗のしようが無かった。彼が本気で実力行使に出たら絶対にかなわない。先ほど梓が手も足も出なかったあのゾンビ男を、恐らく一瞬で殺した男だ。梓が今ここで抵抗しても、気絶させられて連れて行かれるのがオチだろう。それならばまだ意識がある分、ついていく方がましだった。

「少し、歩くのが早いです」

「……」

梓が悔しいのでそう注文を付けると、意外にも彼の歩く速度は遅くなったのだった。

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