第5話:斉藤梓という少女
元来、難しい事を考えるのは嫌いな
性格と見た目のミスマッチ感は言うまでもなく、見た目は大人しくおっとりしてそうだとよく言われる。良くも悪くも。
座右の銘は『案ずるより産むがやすし』
成績は下から数えたほうが早いが、体育の成績は常に上位をキープしていた。
高校に入ってから始めた剣道は全国大会に出れるまでに上達していたし、他の部活の練習試合の助っ人には、その運動能力の高さから常に引っ張りだこだったりする。
早くして母を亡くした彼女にとって料理や裁縫も生活の一部だった。なので家庭科の成績もさして悪くない。
そして一番得意なのは金勘定で、数学は出来ないが消費税の計算は得意中の得意だった。
税込2000円ピッタリに買い物するなんて朝飯前。
勝気な運動神経抜群の家庭的な守銭奴。それが、壱が報告書で知る“斉藤梓”という少女だった。
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最近、壱は少し悩んでいた。3日前に彼女に与えられた仕事はなんだったのだろうかと現状を見て思う。
確か『斉藤梓という少女の護衛および監視。身の回りの世話も含めていろいろサポートすること。逃げだすようなら強行手段に出てもいい(手足をもぐぐらいならOK)』というものだったはずだ。
穏やかというよりは殺伐としたその命令に壱は泣きわめく少女をロープでぐるぐる巻きにする自分を想像していたのだが、現状は想像の真逆を行っている気がする。
「壱さん。冷めないうちにどうぞ。今日は出し巻き卵にしてみたんですよ」
「はい」
目の前に出された料理にその言葉しか出ない。元々口数が少ないのは自覚しているが、今日のこれは違うと思った。
梓は早朝から厨房でエプロンをつけて朝食作りに励んでいた。それも鼻歌交じりに。
壱は少し頭を抱えそうになった。全く持って予想外だ。
確か1日目は大人しくしていたはずだ。普通に軟禁状態の可哀想な少女Aだったはず。2日目から庭にジョギングに行きたいと言い始め、逃げ出そうとしているのかと警戒もしたがそう言った事もなく、そのまま晩御飯も作りたいと言い出した。そして現在、朝食を作っている。
元々朝食を作る筈だった使用人達もどうしたらいいのかわからずそのまま見守っていた。
この屋敷の敷地内なら自由にしていいと最初から許可を貰っていたので好きなようにさせていたのだが、なんというか…好きなようにし過ぎだと思う。
「というか、梓さん。昨日も思いましたが、どうして私の分も作っているんですか?」
「え?出し巻き卵嫌いですか?」
「…そういう訳じゃないですが…」
お味噌汁にご飯、焼き魚に出し巻き卵、青菜の漬物も置いてある。完璧な日本の朝食が2人分。
「吸血鬼の皆さんは普通にご飯とかも食べるんですよね?」
「はい。人によって様々ですが何もなければ吸血の頻度は平均して2~3か月に一度ぐらいで十分です。あとのエネルギーは食事で賄っています」
人と混じり合ってしまったしまった為か、力の弱い者ほど吸血の頻度は少なくなって食事でも賄えるようになっていた。平均して2~3か月。力の強いものでも1か月は空いても平気だ。
それを彼女の告げたのは1日目の時。そういえばあの時根掘り葉掘りいろいろ聞かれた気がする。
その時から今日の事を考えてたとするなら1日目の可哀想な軟禁少女Aというのもだんだん怪しくなってきた。
「ならどうぞ」
「………」
なにが『なら』なのだろうか。普通自分を軟禁状態にしている奴に食事をふるまわないだろう。肝が座ってるというかなんなのか。
「一緒に食べてください。1人の食事はつまらないですから。…今は父も居ませんし」
「…わかりました」
いただきます、と手を合わせて壱は食事を口に運ぶ。梓も隣に座り食事を始めた。
梓の父親(だった)人は最初の話し合いが終わった直後に昴に連れて行かれた。それから彼女も壱も彼には会っていない。恐らくこれから査問会にかけられるのだろう。
青の奴らが独断でやったとはいえ、元々は吸血鬼を人にするための共同研究だったのだ。研究したものを外部に持ち出した。赤もその責については問う事が出来る。
その事に関しては壱も同情していた。自分をこれまで育ててきた人は他人だと、しかも自分は研究で出来た人間だと言われたのだ。もし自分が同じ立場だったら信二を恨むに違いなかった。
でも、彼女はどうなのだろうか? ふとそんな疑問が頭をよぎった。彼女は先ほど、信二をまだ『父』と呼んだのだ。もしかしたら、そう思ってしまう。
恨んでいるに違いないのに、答えなんて決まっているのに、壱の疑問は口をついて出ていた。
「梓さん。信二さんのことを恨んでいますか?」
「…父をですか?」
少し驚いたように目を見開いて、彼女は止まった。そして
「当たり前です!」
梓はそう言いきった。やっぱりな。と思っていると彼女は頬を膨らましながらこう続けた。
「大体、娘が『自分の事を娘だと思っているか?』って聞いたらすかさず、『そうだよ!』って抱きしめるのが親じゃないですか? 遺伝子的には違うしな。とか、俺が娘だと思っていると言ってもいいんだろうか。そんな資格あるんだろうか。とか、そんな小難しい事考えずにガバー!と来てくれればいいものの! 今度会ったら叱ってやるつもりです! 昔っから父さんはそうやって物事を難しく考える帰来があるので! この際、正して貰おうかと!」
「それは…恨んでいるというより、怒っているんじゃないですか?」
「そうですね。そうともいいます!」
「そうしか言わないですよね?」
なんというか、想像の斜め上だ。梓が顔を真っ赤にして怒っているのを見て壱は少し笑ってしまう。
「それに、あの時は混乱してあんな風に言っちゃいましたけど、父が私を本当の娘じゃなくても、本当の娘のように愛してくれたこと知ってるんです。最初は結構ぐだぐだ考えちゃったりしたんですけどね」
はにかむように笑う。今度は優しい表情になって話し始める梓を壱は黙って見つめる。
「父さんああ見えて犬とか大嫌いなんです。けど私が野良犬に襲われた時、身を挺して庇ってくれて、その時腕を噛まれて何針も縫う怪我しちゃったんです。犬を追い返した後血だらけの腕で抱きしめてくれて、何度も何度も『大丈夫か?』って聞いてくるんです。自分が一番大丈夫じゃないのに、救急車にも私を乗せようとして、隊員の人に止められてて。…そんな父を思い出したら、『娘だと思っているのか』って聞いた私が馬鹿みたいで。あ、これはちゃんと謝らないと」
「あなたは、…面白い人ですね」
気が付いたら笑っていた。梓はそれを不思議そうに見つめている。何が可笑しいのかわからないのだろう。
「そうですか?」
「はい。あなたが斉藤梓さんでよかったとそう思いました」
どうせ一緒に居るのなら好きになれそうな人が良い。これからどうなるかはわからないけれど、嫌いな人と終始一緒に居るのはあまりにも苦痛だから。
「私も壱さんが護衛でよかったですよ?」
その返しに薄く微笑んで味噌汁を飲む。ふわりと香った味噌の香りに少し心が和んだ朝だった。
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