第26話
20分ほどで海岸に着いた。シノはこっちまで電車で来るのは初めてだったようで、そこそこ興奮していた。完全に中心市街地から離れた国道の脇にショッピングモールがあったことに一番驚いていた。入江は徒歩では行けない崖に囲まれた場所にあるのでそこまでは瞬間移動装置を使った。
「さて、あれか」
海岸の片隅、なるべくひと目から避けるように入江を囲む崖に寄せて宇宙船はあった。見た目はメカメカしい大きな球体といった感じだ。窓はない。下部にブースターはついているがその大きさから本当に補助程度の役割だと思われた。
その周りで船をいじくっている男たちが居た。
「やぁ、作業は順調かい」
「ああ、ちゃんと飛ぶだろう」
「でも油断は禁物ですよ」
黒服たちだ。といっても今はありふれたシャツと短パンという格好だ。二人しかいない。残る一人は放心状態の男で、いまもシノのアパートでぼーっとしているのだそうだ。自由を喜んだ男はこの星に残るらしい。戸惑っている男はシノと一緒に帰り、行く末を見届けるのだそうだ。私たちは、もう何度も一緒に作業をしているので軽く挨拶を交わした。
「じゃあ、僕もあと少しの作業を手伝うよ」
シノは工具を持って黒服たちと何やら船をいじり始めた。最終調整には今しばらく時間がかかるようだ。私たちは木陰になっているところに移動して腰を下ろして待つ。暑さに関しては街の中より随分ましである。
「あんな念入りな調整などしなくとも、私が指示したのですから問題などあるはずがないのですがね」
私の手元のドゥが言った。
「お前のは頭の中だけだろうが。現場で直にああいう作業に携わっているシノ達の方が詳しいと思うがな」
「頭の中だけで十分ですよ」
「そんなことはないね。直に見て触らないと分からんことというのは確実にある」
「そうですかね。我々はこのやり方で何万年とやってきましたが不都合はありませんよ」
「それは、お前らが不都合を不都合と認識してないだけだと思うね。頭ん中だけで分かることなんてほんのひと握りだね。お前らは結局人間とか、心というものが分からずじまいじゃないか」
「また心ですか。興味がないと言っているでしょう。所詮不確定要素の一つに過ぎませんよ」
「お前はその不確定要素に敗北したんだろうが」
ツグミさんは悪意のこもった笑いを漏らす。ドゥは僅かに怒気を含んだ唸り声を漏らす。二人は半年間実に折り合いが悪い。いや、意図的に理解しあうことを避けているふしがあるかもしれない。特にツグミさんは。
「お前は正直なところ、薬の呪縛を打ち破ったシノをどう思ったんだ」
「言ったでしょう。イレギュラーに過ぎないと」
「それは、強がりだろう。お前らは『分からない』に対しては徹底的に思考するはずだ。それを潰しに潰してここまで発展してきたんだろう。私の予想では、ああいう『分からない』は初めてではなかったんだろう。何回かあって、その度に思考してきたがまったく答えが出ないんだろう。だから、お前らはあれを『不確定要素』として認識する以外に対処できないんだろう」
「・・・・・・」
ドゥは黙っていた。
「図星か」
「そうですね。『人間』に関わると必ず遭遇することになります。何度となく対面してきましたよ、先日のような場面には。しかし、どれほど思考しても観察しても私たちにはあの状況を作り出す原因が分かりませんでした。『人間』は普段一定の法則に従って動いているように見えます。欲望や命、それらを基準に生きていて、我々はそれらを利用して人間を思うように行動させようとします。しかし、あるとき必ず、その法則から逸脱する行動を取るものが現れる。それはどれだけ試行錯誤しても発生しました。その原因があなたの言う心であり、我々にはそれが理解できないと結論づけたとき、我々は、ならば心を無くせば問題が解決するのではないかと思い至りました。その結論の証明という目的もあったのですよ、ザルネの文明の維持を引き受けたのは」
その発言は実に倫理観を疑う内容だったが、ツグミさんは特に異論を挟むこともなかった。
「ですが、結局また『心』は現れました。カロイやザルネが薬をもってしてもその存在を完全に打ち消すことはできないと証明してしまった。あの時、薬を増やせば問題は解決すると言いましたがあれは強がりでした。母体に繋いがってはいませんでしたが、私個人としての回答はすでに出ていましたよ。我々に『心』は理解できないのだと」
ドゥはため息を漏らした。
「我々の宿願は、宇宙の全てを理解することなのですが、それが不可能だという結論が出てしまった。しかし、私が出した結論を母体は受け入れませんでした。今も繋がりが切られています。種の存在意義が失われる答えですからね。受け入れらるはずがないのは当たり前です」
「じゃあ、ドゥさんも存在意義を失っているんですか」
私は口を挟んだ。ドゥはこれといって態度を変えることなく答えた。
「ええ、もう何にもありませんよ。答えは出て、種からも切り離されて、もう何もありません。ただの板切れです」
ドゥは自嘲気味に笑った。それはお決まりの演技のような笑いだった。
「そうか。まぁ、順当な罰だろうな。お前のしたことから考えれば」
「あなた方の価値観から言えばそういうことなのでしょうね」
ツグミさんは冷たかった。いや、私が甘いのだろうか。目の前のドゥは星の数ほどの人間の尊厳を踏みにじり、もはや友人とも言えるシノの恋人を殺したのだ。ついでに私たちも殺されそうになった。そんな相手に同情心を抱いている私はやはり甘いのだろうか。
「だが、せっかく自由になれたというなら、あらためて自分を見直す機会とも言えるかもしれんがな。今までとはまったく違う視点になるだろうしな」
「違う視点ですか」
「種の宿願とやらじゃなく、お前の宿願はないのか」
「私の宿願ですか」
ドゥはしばし考えた。
「そうですね。結局『この世の全てを理解する』という種の宿願が私の宿願であると思います。なので、やはり理解できないことを理解しなくてはならない。やはり知り続け、考え続けることが私の望みです。そうですね。考えてみればその通りです。種の宿願が消えたところで私の宿願が消えるわけではない。そうですね。それでいいのかもしれません」
ドゥは「ふむ」と何かに納得したようだった。すさまじい知への執念を感じた。
「だが、理解できないものがあると悟ったんじゃなかったのか」
「そうですね。ですが心以外は理解できるかも知れない。知れないこと以外はやはり知りたいところです」
「そうか」
ツグミさんは素っ気なく言った。なんだかドゥを諭すようなことを行った割には冷たい態度でツグミさんの真意は良くわからなかった。
「あなたはどうお思いなんですか。『心』とはなんだとお思いですか。オリオン船団はその研究の果てにPSサーキットを完成させたのでしょう。その使い手のあなたはどう思うのですか」
「そうだな。改めて言葉にするとなると難しいな」
ツグミさんは顎に手を当てて考えこんだ。
「あなたは『変わらないものがある』とおっしゃっていましたが」
「まぁ、私はサーキットを作る実験の被験者なんだがな。その過程でいろいろ地獄を味わった。うん、あれは言葉通りの地獄だった」
ツグミさんの口調は平坦だった。
「地獄みたいに苦しくて、真っ暗な絶望に襲われていて、生きる気力とかいう上等な感覚を思い浮かべることさえなかった。ただ、苦痛にさらせれ続ける毎日だった。だが、そんな中でも変わらないものがあった。うまいものを食ったらうれしいとか、人と居ると安心するとか、寒い部屋で暖かい暖房に入れると落ち着くとか、苦痛はクソだ、とか」
「・・・・それが心ですか。良く分かりません。もっと具体的になりませんか」
「注文の多いやつだ。そうだな、強いて言葉にするなら『あったらうれしいもの』かな。自分の中にあることを感じてもうれしいし。自分が対している相手にあると分かってもうれしい。多分私たちに必要なものなんだろう」
「・・・・・そうですか」
ドゥは黙り込んだ。考えているのだろう。理解するのは不可能と納得したという割にはまだ諦めていないようだ。本当に知に対する執着心がすさまじい。ツグミさんも何も言わなかった。しばらく、シノたちの作業の音と、波の音だけが響いた。
「おーい! 準備完了だ! 行けるぞ」
と、シノの号令がかかった。いよいよ発射だ。ここまで長かった。なんだか急に名残惜しくなってきた。と、ドゥがそこで口を開いた。
「あなたの話だけではまだ良く分かりませんでした。しかし、考えようと思います」
「そうか、好きにしろ」
ツグミさんはそのまま歩く。しかし、途中でドゥに言った。
「だが、私はお前にも心のようなものを感じたんだがな」
「そうですね。実を言うと私もあなたの話を聞いて少し思い当たる節がありました」
「そうかい」
ツグミさんは少し笑った。
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