第18話

クモマシンに近づくと、その側面の一部に丸い穴が広がった。裂け目があるとかいう感じではなく、小さい穴が大きく広がったのだ。どういう物質なのか良く分からない。

「おお」

 私は思わず驚き声を漏らす。中は大きな部屋になっていた。明らかに外から見たクモの胴体よりはるかに広い。シノの工房と同じ原理だろう。壁も天井も床も全て真っ白で方向感覚が良く分からない。私たちの居る壁の反対側に大きなモニターがありその前にドゥが居た。そして部屋の真ん中にはどうやら完成しかけている宇宙船と、もくもくと作業するシノが居た。

「ようこそお来しくださいました。歓迎いたします」

「とうとう追い詰めたぞ。さぁ、シノは返してもらうからな」

 そう言いながらもツグミさんは警戒を怠らなかった。ここまでほぼすんなり通したからには相手には何らかの策があると見るのが妥当だろう。それが何かさっぱり分からない以上うかつな行動はできない。

「そうですか。でも、彼は帰る気はないみたいですよ」

 シノは本当に黙って作業を行っている。実に真剣であり、その手際は素晴らしく効率的だった。あのシノと同一人物とは思えない。

「気持ち悪いですね。あんなに仕事をするシノさんは」

「ていうか、もうほとんど完成するじゃないか。あれから一日経ってないぞ。本気出せばこんなにすぐ完成したんじゃないか」

「ま、まぁ、それは置いておきましょう」

「そうだな。おい! シノ! さっさと帰るぞ!」

 ツグミさんの呼びかけにシノはしっかり反応した。顔を上げ私たちを見る。信じられない真顔だ。何の感情も浮かんでいない。いつもの頼りない表情は微塵もない。

「ここまで来たんだね。でもすまないね。もう僕には帰る気がまったくなくなってしまったよ」

「薬を打たれたようだな。本当に感情を失ったのか」

「うん。もう僕はただこの船を完成させるだけさ。そしてギャラクティカが何なのかドゥに見せるんだ」

「馬鹿な事を言うんじゃないよ。お前そんなことをしたら彼女さんの遺志が無駄になるだろうが。それでいいのかお前は」

「良いとか悪いとかじゃないよ。それを任されたんだから従うだけさ」

 そう言いながらもシノは作業を続けている。実に素早く無駄のない動きだ。

「お前は本当に彼女さんへの感情が消え失せているのか」

「ああ、そんなところのようだね。僕が彼女に強い感情を持っていたことは覚えてる。でも、もうその感情そのものはまったくなくなっているんだ」

「そんなことがあるのか。人間の感情は、心はそんな程度のものなのか」

 ツグミさんは実に悔しそうだった。確かに、私も愛とか夢とか、絶望とか希望とか。そういうものは絶対なのだと、私たちの心は確かに揺らがないのだと信じたくはあった。でも、多分そんなことはないだろうとも思う。心というのは結局あやふやなものだ。

「そのとおり、そんな程度のものなのですよ。心とは」

 そしてドゥもそういう考えのようだった。

「結局脳内の分泌物や電気信号に手を加えればいくらでも変わってしまうものでございますよ。精神病になれば本来ありえない感情の揺れが生まれます。脳に欠損ができると性格まで変わってしまいます。そういう類の信じるに値しない不確かなものなのでございますよ」

 私たちが自分たちの土台で自分たちの全てだと思っている喜怒哀楽や、強い意思。誰かを思うこと。そういったものはいくらでも外部から操作できるのだ。シノの星ほどでないにしても私の星の精神安定剤でさえ、人間の感情を操作している。先程まで感じていた恐怖が消え失せる。逆に薬が切れるとまた恐怖が戻ってくる。極論お酒で酔うのだってそういうことだ。普段ありえない感情や思考が生まれる。いくらでも揺らぐのだ心は、私たちという存在は。一体何が本当なのか分からないくらいだ。

「なので、感情を持っているザルネも持っていないザルネも大した違いはありません。どちらにしろ同じなのですよ。心なんてあってもなくても同じなのです。すがりつくほど絶対的なものではありませんよ。それよりも平穏や安定にこそ意味がある。生まれて生きて、死ぬことにこそ意味がある。それ以外はどうでも良いのです。ですから、そういう意味でも私は私の星の社会制度はなんら問題はないように思います」

私は、あんまりそれを否定できなかった。

「違う。それは多分違う」

 しかし、ツグミさんは言った。

「何が違うのです」

「心はやはり絶対的なものだ。私達自身だ」

「ですからそれが絶対的なものではないと、私の薬は証明していますよ」

「違う。お前の薬で変わるのは心の表面だけだ。お前の薬は私たちの核心を変えてはいない」

「核心? それは何です」

「人格・・・・、いや、違うか。何というか、本当の意味での私たち自身だ」

「はて、本当の自分自身とはなんですか。怒ったり、悲しんだりする感情のことではないのですか。こうしたいと思う意思のことではないのですか」

「どうだろうか。どうも違うと思う。それは私たちがどんな病気になろうが、どんな状況になろうが変わらないものだ。それは確かにあるんだ」

「良くわかりませんね。私にはあなた方はいくらでもその本質を失ってしまっているように見えますが」

「違うんだ。やっぱり違うんだ。残念ながら言葉では言えないが確かに違うんだよ」

 ツグミさんはのどに何かがつっかえているような、どうにもはっきりしない感じの口調だった。言いたいことがどうしても言えないといった感じだ。

「理屈で説明できないものを信用するのは得策ではありません」

「そうだな、それはそうだ」

「いい加減はっきりしない問答にも付き合えませんよ。ザルネ」

 ドゥが言うとシノが顔を上げた。

「ああ、今完成したよ」

「結構でございますよ。さぁ、『ギャラクティカ』を」

「ああ、今データを開けるよ」

「止めろシノ!」

「悪いね。もう従おうとしか思えないんだ。やっぱり君の言う心ってやつは完全になくなってしまったのかもしれないよ」

 シノは船のメインコンピューターにメモリを差し込んだ。結局あのメモリにはギャラクティカの解読方法が書かれており、読み取るにはそれに書かれたあの船を作らなくてはならないらしかった。前にシノが言っていた。船がデータを読み取り、ホログラムを投影した。

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