バスト・バトル! 巨貧に貴賤なし!

黒淵メガネ

第1話プロローグ「帝国防衛戦」

俺は小雨降る森の中を走っていた。

 愛刀を握りしめた右手の感覚が無い。もう何人も斬った。刀身は既に血に濡れ、雨がそれをゆっくりと洗い流していく。周囲に立ちがる敵影が無いことを確認すると、「ふぅ……」と、俺は小さく息を吐いた。

 戦は有利なのだろうか。俺が率いる精鋭騎士団八百人が、敵主力六千の猛攻を城外の森を巧みに使って耐え抜いているとはいえ、敵軍を統率する軍師の存在を考えると、どうしても気が気ではなくなる。

 それに、耐え抜いているといえば聞こえはいいが、副将軍である俺が戦場に出ざるを得ない状況だということは、既にこの戦いが我々の敗北で終わろうとしていることを物語っている。

 副将軍になって初めての戦いだったが、まさかこのような事態になってしまうとは、帝国の軍人としてこれほどの屈辱はない。

 自責の念に一瞬だけ気を取られた瞬間。空を裂く鋭い音に、俺は気が付けなかった。

 ――ヒュンッ

 気付いた時には既に遅かった。わけも分からず、俺は泥濘に頭から突っ込んだ。泥の苦い味が……じわりと口内に広がる。

「ぐっ! ま、魔法矢かっ!?」

 激痛を発する左脚を睨みつける。左太ももには、紫色に発光する魔法矢が深々と突き刺さっていた。魔法矢は、光を屈折させて不可視にする魔法で編まれた矢だ。空気抵抗も魔法によって最小限に留めているため、音も通常の矢より小さい。

 この曇天の、しかも森の中での狙撃……油断した。まさか、敵がすぐそこまで接近してきているだなんて!

「くそっ! 撃たれた……くらいでッ!」

 諦めない。全身に、残った力を注ぎ込む。

 辛うじて上体を起こすと、俺は腰に差した剣を鞘から抜き放つ。鍛え抜かれ、多くの戦場を共にしてきた戦友が、血の涙を流しながら雨の中で鈍く光る。

 その時に聞こえたのは、またしても微かに風を切る魔法矢の音だった。

 聞こえた時点でもう遅い。抜き放った剣が、凄まじい衝撃によって吹き飛ばされる。刀が、音を立てて泥濘の中に落ちた。

「っぐ!」

 一瞬。右腕が吹き飛んだのかと思った。だが、吹き飛んだかに思われた右腕は、今までに経験したどんな痛みよりも鋭い激痛を俺に訴えていた。

 体勢を崩された俺は、先程と同じように再び地面に倒れた。

 帝国軍の証である黒のコートが、無残にも泥土に塗れる。

 その時。前方から人の気配がいくつか現れた。同時に、雑草を掻き分けて歩いてくる足音も聞こえる。

 ばしゃり。と、水たまりを踏む靴音が、俺の顔のすぐそばから聞こえた。俺は憎むべき怨敵を睨み上げる。

「……はっ。残念だったな。俺は主力を誘き寄せる囮だ。ざまあみろ」

 深緑色のローブを身に纏った敵の表情は読めない。でも、俺にはその顔が嘲笑っているように見えた。

「ふざけるなよ……この害悪共が!」

 叫んでも、敵は言葉を一つも発さない。その様子が限りなく不気味で、まるで戦場跡を彷徨う怨霊のようだ。

 ローブを着た敵の腕が、俺の頭へと伸びた。殺される。そう思った俺は、最期の力を振り絞って叫んだ。

「俺は、帝国の平和を乱したお前ら貧乳軍を許さない!」

 敵の手が触れた瞬間。意識が、ふわっと揺らいだ。まるで、眠りに落ちていくかのようだ。

 刹那。ローブの中が僅かに見えた。綺麗な黒髪の奥に見えたのは、美しい顔を歪めた少女の顔……。

 それが、帝国の副将軍である俺……トキ・シルクレイドが見た最期の光景だった。


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