第10話 初心な幻十郎と勝気な女剣士

「おお!!」


道場中がどよめいた。


一番驚いたのは幻十郎だ。


自分が思う飛びあがった距離と、実際の距離があ

まりにも違ったからだ。


2間(3・6メートル)程も跳躍したのだから、

幻十郎自身も驚いた。


うそだろ!

思わずつぶやく。

人間業じゃないぞ・・これは。


それでも跳躍途中に、木刀の切っ先を、男のこめ

かみに当てる事は忘れなかった。


男は、もんどりうって転がった。


額からは、うっすらと血が一筋したたり落ちていた。


あまりにも高く飛び過ぎ切っ先を、かろうじて男

に当てるのがやっとだった。


しかし、この跳躍は男の度肝を抜いた。


あきらかに戦意を喪失している。


「く・・くそ・・覚えておれ」


なんとも間抜けな捨て台詞を吐き捨てると、男は

こめかみに手を当て、よろけるように道場から出

て行った。


みさとが、ススッと幻十郎の傍に寄ってきた。


「幻十郎様・・」


素の女の声だ。


「すまぬ。いらぬ手助けをしてしまい」


「いえ・・そんなことより、今の技は・・どう

 なされた。すごい跳躍でございましたが、と

 ても人技とは思えませぬが」


驚いているのは、幻十郎とて同じだ。

なんで急にあんな跳躍が出来るようになったんだ

・・


(決まってるでしょ、私が手助けしたんだよ)


又も、頭の中で声が響く。

しかし、声の詮索は後回しだ。

まずはみさとに、今の現状を聞く必要がある。


「あの男に心当たりは?」


「知りませぬ。いきなり道場に現れ、門弟に因

 縁をつけはじめ、見かねてとめに入った大前

 様の胴に木刀をめり込ませたのです。」


「道場破りにしては解せませぬな」


「そう言えば、幻十郎様、立会の最中、異なこ

 とを仰せられておられましたな」


みさとが思いだした風に尋ねてきた。


「私の腕を折るつもりだとか」


「そうです。あの男、しきりにみさと様の右腕

 を打ちすえよう、打ちすえようと、魂胆が見

 え見えでしが」


「私も感じていました。なぜ、私の右腕を狙う

 んでしょうね」


「さあ、それは、私にもわかり申さぬが、みさ

 と様には、お心当たりがありませんか」


みさとは、首を振った。

まったく身に覚えがないのだ。


「それにしても、嬉しい、幻十郎様が訪ねてこ

 られるとは」


また、素の女だ。


まさか、門弟に連れられて来たとは、言いにくい

雰囲気だ。


嬉しそうに、乱れた髪を束ね直すと、しっかりと

、幻十郎を見据えた。


純粋な乙女の顔が笑っている。


「お茶でもお入れします」


「あ・・いや・・私はこの先用があって」


嘘ではない。

笠岡の屋敷に行かなければいけない。

常磐津の師匠の件、落とし所を探ってこなければ

いけない。


「駄目です。お茶は絶対飲んでいってください」


「わ・・分かり申した。

 もちろんお茶は喜んで頂きますよ」


こうなったら、お茶でも飲まないと、到底この屋

敷から出してもらえそうにない。


「世吉。お茶の用意をしてください」


みさとが奥に向かって大声を放った。


その声を合図に、場に居合わせたそれぞれは、散

会し始めた。


「さ、幻十郎様、行きましょう」


「あ・・はい」

        続く

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