第6話 矢七登場

矢七は、幻十郎が料理をおおかた平らげたころ、

現れた。


気のつく男だ。


お盆に、徳利とっくりを二本乗せ、「いきますか」と飲む

仕草をしながら入ってきた。


昔は名の知れた盗賊だったが、ある事件をきっか

けに、きっぱり足を洗っている。


今では、女将が褒める程の板前だ。


「相変わらず矢七さんの料理は旨いよ」


「女将さんが言ってましたよ。旦那は御世辞が

 下手だと」


「何が?」


「その料理は安があつらえたやつで」


安とは矢七の弟子だ。


「ひどいなあ、せっかく矢七さんの料理が食べ

 られると思ってきたのに」


「あはは、すいません。冗談です、あっしです。

 あっしが作りました」


矢七は幻十郎の前で胡坐あぐらをかくと、二人の間に徳

利が乗ったお盆をおいた。


「殿様がご心配されてますよ」


「またまた、矢七さんまで厳衛門げんえもんさんみたいな

 ことを言って。もう勘弁してくださいよ」


「ま・・一献」


矢七がついでくれたお酒を飲み干すと、


「うま・・い」


「でしょ。朱鷺の熊酒ですから」


「ああ・・道理で。じゃ、矢七さんも、まずは一

 杯」


「へい・・すみません」


一気にあおると、目を細め、しばらく酒の味を楽

しんでいたが、やがて目をあけ、口元を緩め


「で・・あっしに用とは?」


「この二日程で、浪人者の死体が五つほど出た

 って噂聞かなかったですか」


矢七の目がキラリと光った。


「浪人者の死体が五つ・・また、物騒な話ですが

 、さあ、とんと聞いたことござんせんが」


「そうですか。やっぱそんな話はありませんか」


どうやら、幻十郎が切った浪人どもの死骸は誰か

が運んで行ったようだ。


「そのお腹の傷と関係ある話なんですか」


幻十郎の膨らんだ腹を見ながら矢七が尋ねた。


もう一杯、今度は手酌で酒を注ぎ、ぐいと飲み干

す。


「わかりますか、この傷」


「着物の隙間から、真っ白なさらし、そりゃ目

 立ちますよ。で・・傷の方は大丈夫なんで?」


「死にそこないましたよ」


「出歩いて大丈夫なんで」


「常磐津の師匠に助けられましてね」


「常磐津の師匠に」


一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに元の表情にもど

ると、酒を幻十郎にすすめた。


そこで、常磐津の師匠の一件を、ざっと話してみ

た。


「旦那が常磐津の師匠の家に倒れ込んだ話は、

 しちゃ、いただけないんで」


いや、その件は私にも皆目わからないんだ。


そう言うと、幻十郎は、覆面の浪人に襲われたく

だりも、矢七に話した。


矢七に隠し事は、初なっからするつもりはない。


「どう思います。矢七さんは?」


「そうですねえ・・それだけでは・・なんとも」


「で、ちょっと調べてもらえないかと」


「常磐津の師匠の件、それとも旦那を襲った浪

 人の件」


「いえね、私が思うにはこの二つの事件、なん

 だか関わり合いがあるように思えて、ですか

 ら、どっちを調べていっても最後は同じとこ

 ろに行きつくんじゃないかと」


「なるほど。わかりやした。で・・旦那はこれ

 から、笠岡のところに行くおつもりで?」


「もちろん行きますよ。なんたって常磐津の師匠

 は命の恩人ですから」


「なんなら、あっしも」


「いや・・私一人の方が」


「そうですか・・」


矢七は心配そうに幻十郎をみつめた。


       続く

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