第4話 二日も寝たきりだったんですよ

丁寧に戸を閉めて帰って行った万吉達の気配が消

えると、幻十郎は常磐津ときわずの師匠を見た。


師匠は目を細めて幻十郎を見つめている。

吸い込まれそうな瞳だ。


「すまない師匠」


「あら、、ぴったし。少し長いかなあと思いま

 したが、丈もちょうどいい」


「おお、この着物も、わざわざすまぬ」


「こうして改めて見ると、やっぱ旦那はいい男

 だねえ」


目を細めてジット幻十郎を見つめる。


「なにはともあれ、師匠、相すまぬ」


「何が相すまぬ?なんでしょうかね」


「血まみれの男が転がり込んで、さぞかし驚い

 たことでしょうね」


「幻十郎の旦那にこんな手傷負わせる人なんて

 、いるんですねえ・・お江戸は広い」


「江戸の広さを感心する前に、驚きましょうや

 ・・師匠」


幻十郎の呆れ声に


「いえね、ちょうど幻十郎の旦那の事考えてい

 ましたらね、外でごそごそ音がしましてね、

 見たら、幻十郎様がいらっしゃるじゃありま

 せんか。ははん、これは神様が私に好きに使

 え・・てくださったんだな・・て思って、家

 に引きずり込んじゃったんですよ」


まるで玩具おもちゃ扱いだ。


「傷の手当ては?」


「私がしましたが、痛みますか」


「え・・師匠が?」


相当の深手だ。

素人が治療できる傷ではない。

さっき触った感触では、治療は完璧だ。

さらしの巻き方など、とても素人の出来る巻き

方じゃない。


医療に心得があったのか

常磐津の師匠は・。


「あまり動き回りますと傷口が開きますよ」


「師匠は、医術の心得もおありなんですか?」


「見よう見まねで」


とろんと語りそのまま、黙ってしまった。


微笑みを幻十郎に投げかけているだけだ。


思わず幻十郎の方から目線を外した。


不思議な人だ。

そばにいるだけで、温かみを感じる。


「師匠、ひょっとして武家の出では?」


フト思いついて聞いてみた。


一瞬暗い顔をしたかと感じた師匠だが、よく見れ

ばいつもの穏やかな顔で


「で・・幻十郎様はどうなさるつもりで?」


と話をすりかえる。


「どうなさるとは?」


「まさか、先ほど、お話されたように、私の為

 に笠岡の親分さんに掛け合いにいかれるわけ

 じゃないでしょうね」


「行くといいいましたから、もちろん行きます

 よ」


「おやめなさい。私ごとき女子に、幻十郎様が

 お関わりなさると、ろくな事はございませぬ」


「そうは申されても、このまま黙って引き下が

 る親分とは思われませぬが」


「殿方の扱いは私は十分心得ているつもり。な

 あに、なんとかなりまする故」


師匠のニコニコ顔を見ていると、本当になんでも

ないような事に思えてしまうから不思議だ。


しかし、捨ててはおけない。


なんにしても常磐津の師匠は命の恩人だ。


こうして幻十郎の命があったのも、案外常磐津の

師匠を助けるために生かされた命なのかもしれな

い。


これはある意味天命てんめいだ。


関わるなと言われても関わらざるを得ない。


「ちょいと出かけてきます」


ひょいと立ちあがった。

痛みが無い。

少し驚いたが、おくびにも出さず、刀を腰にさし

た。


「まだ太刀回りなどできるお身体じゃありませ

 んよ」


あくまでも、冷静に師匠がほほ笑む。ここに及ん

で、何を言っても止めない幻十郎の気質を十分知

っているのか、じっと座ったままだ。


「太刀回りにならぬよう話し合いだけで解決つ

 けてきますから」


「だといいんですが・・」


足早に立ち去ろうとする幻十郎に常磐津の師匠が

近づく。


「ま・・おまじないのつもりで」


火打ち石で幻十郎に火花を打ちつけた。


「あはは、まるで夫婦めおとみたいですね」


「まあ・もったいない・・」

 

襟元の糸屑を手で払いのけ


「御気をつけて」


「じゃ・・行ってきます」


幻十郎は外に出た。


「あ・・旦那」


常磐津の師匠が慌てて追いかけてきた。


「とにかく何かお口に入れられてから、動いて

 くださいね」


「ん?」


「旦那は丸二日間寝たきりだったんですから」


「二日も!」


        続く

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