2、Ranbaーランバー
僕はあの人をアナログじじいと呼んでいる。
あの人の家には電話は黒電話、テレビは段ボールみたいな形をしていて洗濯機も手で回すハンドルが付いている。それに何より、アナログじじいの家には掃除機が無かった。
ある日、アナログじじいのために僕と母さんで最近流行りの、自動清掃用ロボットをプレゼントしてあげた。母は、アナログじじいに電話で
『あなたの為に掃除機を買いましたからね。もう、独り身なんだし腰も曲げるの辛くなってきたんだから、掃除機だけでも機械に頼ってよ。最近の掃除機は自分で充電してくれるのよ。』と言い放つと返事を聞かずに母は受話器を置いた。
「お母さん、おじいちゃんの所に掃除機送っても受け取ってくれないんじゃない?」
「あの頑固じじいでも、届いたものを送り返すような常識外れのことはしないわよ。最近の掃除機は凄いのよ~。」
アナログじじいは僕の知る限りは、怖いけど優しい目をした人だった。
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うるさい娘じゃ。いつになっても、妻に似て勝手に行動を起こしてしまう。
何も考えてないような作業を繰り返す家の呼び鈴がピンポンと聞こえづらくなった私の耳に届いた。
「珍しいなあ。」
そうだった。娘が掃除機をよこしてくるんだっけか。私は思い腰を上げてゆっくり玄関まで歩いてドアに手をかけて愛想良く笑う宅配業者が渡してきた預かり証明書に名前を書いて、荷物を受け取った。荷物?これが、掃除機なのか。
私も老眼にはなってはいたものの、幻覚が見えるほどの重症だとは思いもしなかった。
「もはや、わしもボケたか。」
そこには灰色の大きな馬が玄関の扉から半胴体を露わにしていた。歳のせいだろうか、ちょっとやちょっとの事ではあまり驚かなくなっている。
「これは、どういった品物なんでしょうか?」
「こちらの、配送物名でしたらRanba《ランバ》と書いていますが。」
「あっ、そうですか。どうもどうも。」
「それでは失礼します。」
宅配業者は、にこやかに出て行った。行かせてしまった。これが、最近の掃除機なのだろうか。いや、わしはアナログじじいと孫に命名されるほどのアナログ人間だ。ハイカラなことはよく分からない。しかし、これが娘からの贈り物だとしたら、その気持ちを無下にするのも気がひける。まぁ、一度くらい最新の掃除機を試してやっても悪くはない。
しかし、ここで一つ問題が上がる。このデカイ馬が自動清掃用ロボットだとしてコンセントやらで充電する必要があるのは考えられる(以前、孫からゲーム機は充電が必要で、最近の電化製品は充電するものが多いと聞いている)。それ以前に、このデカイのが家の電力の全てを食い尽くしてしまうのではないのか疑問だった。どうしたものか。頭を悩ませていたら、ランバが玄関の中まで入って来ようとしてきたので急いでランバを止めて、靴下を2足スキー用の物を持って来て丁寧に履かせようとした。蹴ったら、怒るからな。そう言って脚を上げさせられていても灰色のランバは目をクリクリさせていた。
「ヒヒーーーン。」
やっぱり、これ馬じゃろ。どっからどう見ても。分かりきったことかもしれない。馬をヒヅメのままでフローリングの床を歩かせるわけにもいかない。数十年前に愛しき妻とスキーに行った時に履いていた分厚い靴下を2足懐かしい。ヒヅメで歩きにくくならないように、しっかりと履かせることには成功した。馬は嬉しそうに廊下に出て行く。配送業者が馬と一緒に置いて行った小包みがあった。ビリビリと破くとさっきの若者が言っていた、Ranba《ランバ》と大きく書かれた10ページほどの薄い説明書が一冊のみ、ご丁寧に入っていた。
「Ranba?の説明書だと。」
説明書改め飼育方法でも書いているのか。半信半疑で薄っぺらい説明書を開き、適当にページをめくるが老眼で読みづらい。『Ranbaには人参を与える』と書いていある。やはり、これが、この馬がRanbaなのだと。私は説明書を置くと早速、重い腰を上げて近所のスーパーまで人参を沢山買いに行ってきた。娘よ、自分で充電するというのなら、あの馬に人参を買って来いと言えというのか。のびのび育て過ぎた我が娘に軽く心の中で文句を言い放つ。
「ラァンバとかやら、私の話し相手ぐらいにはなってくれよ。」
それに応じたかのように、馬はブルルっと鳴いた。
次の朝、慣れた手つきで人参を四当分し、馬に手で渡す。立派な歯が目の前で見事なくらいに人参を噛み砕いていく。よく見ると、毛並みも良い。それほど老いた馬ではないのかもしれない。この若馬を老人の家なんかに送り込んで配送元の会社はどうするのだと馬に対する同情心まで湧きそうになる。
しかし、居間にはホコリ一つ無い。
私の家に届いた自動清掃用ロボットは灰色の馬だった。いや、そのはずで、いつ居間を掃除した?
「おい、ラァンバ。いつお前は掃除した?」
質問むなしく、馬は目をクリクリさせているだけだ。愛くるしい瞳は分かったから、意思疎通できぬものだろうか。
「ラァンバ、頼みがあるのじゃが寝室を掃除してくれぬか?」
私はとりあえず、この馬がどのように掃除をするのかということに興味だけはあった。何とかして首を優しく撫ぜて、かつて愛しの妻と寝ていたダブルベッドのある寝室へ馬を誘導した。
「ヒヒィーーン。」
馬はあいからわず元気良く鳴くと寝室の奥へ行くと、座り込んだ。そして、これまた愛くるしく腰をフリフリさせてきたのだ。自分の尾を箒の代わりにしていたのか。見てて飽きないが、そんな事を繰り返していたら腰に悪そうである。老人の私が気にかけるのも変なことだが。
それから、アナログじじいは馬と仲良く生活しだしたそうです。お風呂で毛並みを整えたり、一緒にテレビを見ながら食事をしたり、馬と日向ぼっこをしながらおしゃべりをしたり、いつも一緒にいました。そして、数日が経ったある日のことでした。アナログじじいと馬は、いつものように居間でベランダを開けて日向ぼっこをしていました。
「ラァンバ、散歩ついでに私をお前に乗せてくれないか。」
「ヒヒィーーーーーン。」
馬は、心を通じあわせたかのように嬉しそうに鳴きました。
馬に
馬は、初めて緊張した面持ちでアナログじじいを乗せて立ち上がったのです。
ラァンバにとって、何より驚いたのはアナログじじいが手綱を付けずに見事に自らの上に乗っているからです。
ゆっくり、家の周りを一周だけ歩きました。しかし、アナログじじいにとっては馬と共に草原を吹く風のように感じていました。
見事に、乗りこなして庭に一人と一頭は戻ってきた。
「馬、私は若い頃競馬の騎手をしていた。丁度、お前みたいな色をした綺麗な馬でな。百戦錬磨を勝ち続けてきたよ。しかし、ある日馬と走っていた時、地面に窪みがあって。それにひっかかり、馬は転び私も落馬した。」
馬は、優しい瞳でアナログじじいを見つめている。
「馬はもう、走れなくなってしまったが私は骨折程度で済んだ。しかし、私は相棒としか走らないと決めていてな。私も引退したのさ。」
珍しく馬は私をを引っ張って、居間の角にある木製の棚の扉を開いた。そこには、輝くトロフィーが沢山並んでいた。トロフィーなど、輝いているはずが無い。長くそこは、開かずにホコリを被っているはず。いや、今、私の横には優秀なラァンバがいたのだった。
「ありがとう。お前はロシャービにそっくりだな。その瞳も色も。そうかそうか。」
私は、涙を流し灰色の胴体を抱きしめた。その翌朝、優しい風が私を包み昔の戦友であるロシャービが私を迎えに来たようだった。私の横にラァンバが肩を寄せて気持ちよさそうに寝ている。
「そうか、時間か。お前に似た優しい名馬だったぞ。」
その夜、アナログじじいは安らかな眠りについた。寿命だったそうだ。庭で馬が高らかに鳴き続け、近所の人が文句を言いに来てアナログじじいは発見された。
アナログじじいが亡くなって数ヶ月、僕は新聞の一面に目をやった。
そこには、『負傷から2ヶ月、帰ってきた名馬 皐月賞で猛威の一着』と書かれていた。
そして、記者のコメントに『親の七光もありますが、怪我から親の伝説の名馬ロシャービのように引退にならなくて良かった。ブランクの感じられない素晴らしい走りだ。』と書かれていた。
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