第4話

出会いはカフェだった。カフェ・ドゥ・マゴ。同じ名前のカフェは日本にもある。すなわち、それだけ有名で、それだけ老舗のカフェで一種の観光スポットでもあった。サン=ジェルマン・デ・プレというかつての文化の中心であった町にそのカフェはある。ヘミングウェイやピカソ、ヴェルレーヌといった文化人たちがこのカフェでコーヒーと時間を食した。美しいマホガニーの机で、アプリコットのケーキと多少の憂慮をたたえたコーヒーをミリは飲んでいた。恋人も机を挟んで、コーヒーを難しい顔をして飲んでいた。夕食の店を探すために、ガイドブックを真摯に読んでいた。


隣の席に彼はいた。名前は、ジェイムズといった。ゴールドのカールした髪と憂鬱さを讃えた眉間のシワが彼の特徴だった。その憂いをみた瞬間、ミリは恋に落ちた。本当の恋に堕ちると、人は何かを失う。恋に堕ちる前と後では世界が変わるのだ。まるで、それは日常にある形而上的な落とし穴とさえも言って良い。何かを潜ってしまったがごとく人は、その後で違う世界を生きることになる。ミリは、彼に恋をした。しかし、目の前には恋人がいる。ジェイムズも携帯を触っている。このままでは何も起こらない。3分、ミリは考えた。どうすれば、私はこの男性と話ができるだろう。その人が英語を喋るかどうかなんて考えもしなかった。でも、眼の前にある彼を無視して、男性に話かけるほどの野蛮さも持てなかった。そんな時、ジェイムズが席をたった。それからミリは5秒考えた。正確に表現するならば、考えるというよりも、助走をとったのかもしれない。「ごめん、お腹いたいので、ちょっとホテルに一回かえるね。1時間後にホテルで待ち合わせしましょう」と言って、ミリは席を経った。彼は「え、大丈夫?」と言った。立ち上がろうとする彼をミリは右手で制した。時に女性には踏み込んではいけない領域がある。それは、生理であったり、美容の世界であったり、あるいは、女性同士の関係性であったり。そういう時にミリは常々、誰も入り込めない領域を作っていたので、彼も「そういうものか」と座り直した。「もしかしたら生理がきたのかもな」とでも思いながら。ミリは、そのまま視線の先で男性を置いながらカフェを出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る