第22話 帰路
「でもさ、さっきも聞いたけど、なんでおまえ、ここに居るの?」
隣を歩く康治に、雅弥は歩きながら尋ねた。さっきまでは、水門を開けることで頭がいっぱいだったが、そろそろこれまで起こった事の事情をあれこれ理解して、きちんと整理しておくべき時期だと思った。
「だから、言っただろ。おまえから電話があってさ、で、善光寺まで様子を見に行ってくる、ってさ。」
「それはわかったけど、その後、どうした? 何が起こった?」
康治は、肩をすくめた。
「戒壇巡りに参拝客のふりして普通に地下に降りたんだ。そしたら、床がびっしょり濡れていて、何か妙なことが起こってるなということは、およそ見当がついた。そしたら、極楽の鍵の所まで来たら、鍵穴から光が漏れててさ。」
ああ、そうか、と雅弥はそれでおよその成り行きを察した。
「こりゃ、いよいよ様子が変だと思って鍵を開けて中へ入ったら、あそこ、最初の入ってすぐのところが段になってるだろ。下の方はすっかり水に浸かってて、おまけになんか一面、光ってるし。水が光ってるんだか、岩が光ってるんだかよくわかんないけど、こんなことこれまでになかったし、聞いたこともなかったから、こりゃ、地底湖まで行ってみるかと・・・。」
「ちょっと待て。」
息も止まりそうにびっくりして、雅弥は遮った。「おまえ、あそこ湖があること知ってたの?」
「え? そりゃ、知ってたよ。何、音和のおまえらは、知らなかったの?」
暢気に康治は問い返す。
「知らなかったよ。何黙って今まで内緒にしてんだよ。」
「だってさぁ、特に聞かれなかったしぃ。」
にやにやしながら、康治はのらりくらりとかわした。
「それに、だいたいさ、手の内を明かさないのなんて、お互い様でしょ。おまえらだって、俺に話してないこと、色々ありそうじゃん。諏訪清涼高校のこととかさ。あの音和の校長室の前の合図のこと。あれ、俺は今日まで知らなかったんだぜ?」
そう言われてしまうと、音和生達も、返答に困った。康治の言い分は、もっともであるように思われたからだ。
「まあ、それはとにかく。」
と、雅弥は急いで話を逸らした。
「湖があることは、知ってたんだね?」
「ああ、知ってた。至誠に入学して、応援団の特別推薦枠の委員になって、最初にあの地下通路のことを教えられた時、極楽の鍵を開けた向こう側が、地底湖に通じてるっていう話も聞かされた。ただ、原則、そっちへは行かないようにって、きつく言われたけど。多分、安全上のことを考えてのことじゃないかな。」
「じゃあ、これまでここへ来たことはなかったの?」
雅弥が念を押すと、康治の口調が、急に歯切れ悪くなった。
「うーん、それは、まあ・・・その、正直に言うと、一回だけ・・・来たことがある。姉貴に連れられて、な。懐中電灯持って。その時は、ここ、真っ暗だったんだぜ。一度、ちゃんと見ておいた方がいい、って姉貴の考えだったから。至誠の先輩達にも内緒にしとけ、って言われたけど。」
「じゃあ、お姉さんも、ここに来たことあるのかな?」
「はっきりとは言わなかったけど、多分・・・というか、絶対、来てると思う。姉貴は、あれこれ、俺が知らないことも随分知ってるっていう気がするな。口が堅いけど。秘密主義なんだ。」
「ふうん。例えば、龍の話とか?」
「ああ、それな。」
康治は、笑った。「でも、さすがにそれは、姉貴だって信じてるとは思わんぜ?」
しかし、雅弥としては、それは笑い話どころではなかった。とはいえ、今、それを康治に説明する時期ではない、と思った。
「それで? それから、どうした?」
「いや、ただ、地底湖まで行っただけだよ。」
「途中、水は大丈夫だったの?」
「何箇所か、かなり溜まってるとこはあったけど、通れないほどじゃなかったな。深くて膝の辺り、ってとこで。それで、水門へ登って、湖の方を見ていたら、後ろで音がして振り返ったら、俺が通って来た洞窟から凄い勢いで水が噴き出してた。そして、水の中に人の形が見えたから、やべえと思って駆けつけたら、」
と康治は、振り返って、後ろの宗佑と小夜香を顎で指した。
「こいつらだった。」
「成る程。」
だいたいのことに納得しながら、雅弥は頷いた。これで、最初に極楽の鍵を開けた時に、鍵が逆に閉まった理由もわかった。康治が、先に開けて、そのままにしてあったからだ。
「それで、おまえらの方は、どうだったの?」
雅弥は、宗佑と小夜香に尋ねた。けれど、二人は、互いに困惑した顔を見合わせた。
「それが・・・、実は、よくわからないんだ。」
躊躇いがちに、宗佑が話し始めた。
「月見櫓から、岩崎に電話したよね。あの時、僕は電話を小夜香に代わったのは、床穴のすぐ下まで上がってきていた水が、急にどんどん引き始めたからなんだ。それで、僕はよく見て確認しようと思って、穴の縁にしゃがみこんだんだ。そしたら、突然、凄い勢いで、水が噴き出してきて、僕はびっくりした拍子に立ち上がろうとしたんだけど足を滑らせたところまでは覚えている。それで、水に飲み込まれ・・・ような、気がする。目を覚ましたら、至誠のそいつに、」
と、宗佑は康治を目で指した。
「あの洞窟の前の池の中から引っ張りあげられてるところだった。岸には、先にこいつに助け上げられてた小夜香が倒れてた。」
「レディ・ファーストだ。」
横から、康治が重々しく口を挟んだ。「すげえ、重かったけど、頑張った。」
後ろから、小夜香が康治のふくらはぎを蹴りつけた。
「痛ってええ。ひどいな、命の恩人に。」
「別にあんたに助けられなくったって、死んじゃいないわよ。」
冷ややかに小夜香が、言い放った。
「・・・っていうか、普通、死んでる。月見櫓から、あの地底湖がある地下までの距離を流されてきたら、確実に水死しちゃうはずだよ。」
愕然としながら、雅弥は断言した。
「でも、現にこうして無事なんだから。文句ある?」
小夜香は凄まれて、雅弥はもごもごと口の中で反論めいたものを呟いたが、誰にも相手にされなかった。
「それで、その後、どうしたの?」
気を取り直して、雅弥は康治に続きを促した。
「どうって、別に? 洞窟の入り口がすっかり水で塞がれちゃったから、どうしようもなくてさ。時々、間欠泉みたいに、ぶわって水が噴き出すから、上の方のさっき居た岩棚で、三人で待機してた。そしたら、大分経ってから、何度目かの水が噴き出して、それと一緒にお前が流されてきた。」
そう話を締めくくってから、康治はふと周囲を見回した。
「なあ、なんだか前より、暗くなってきてね?」
彼の言うとおりだった。坑道を満たしていた、淡黄色の弱々しい光が、先程と比べると、随分と薄れていた。濡れた岩から滲み出していたのか、水そのものが発光しているのか、相変わらず光源は判然としないが、確実に、急速に、明るさが減っていた。
「急ごう。」
宗佑の一言に背中を押されるように、一同は足を速めた。最後の石段にたどり着いた頃には、もうほとんど物陰の区別もつかないほどになっていた。
四人は、石段を上がった向こうの岩の隙間に開いていた木戸をくぐり抜けた。しんがりだった、宗佑が手探りで極楽の鍵を握り、辛うじてそれをわかる鍵穴に挿して、かちりと回した。
戒壇巡りにまで無事に帰り着き、ようやく彼らはほっと胸を撫で下ろした。相変わらず、そこは墨を塗ったような暗闇の世界であったが、勝手知ったる馴染みの場所であった。壁を手で伝いながら、彼らは歩き始めた。
「まだ、少し、濡れてるな。」
という康治の声が隣から聞こえてきた。確かに、足の裏に触る床の感触が、水でびしょびしょに濡れいてる。
「あれ? っていうか、なんで? おまえはこっち側じゃねえじゃん。反対側に回らないと。」
ふと雅弥は、康治が一緒に居るのが変であることに気が付いた。「このまま俺たちと来たら、お城側に出ちゃうぞ?」
「いいんだよ。だって、俺、本堂の鍵持ってないから、この時間にお寺側に出ても困るのよ。長野駅から直接、善光寺に行って、学校に鍵取りに行く時間なかったからさ。」
「じゃあ、松本から電車で帰る?」
「いや、もう草臥れたから、帰るのは明日でいいわ。今晩は、姉貴んとこに泊まらせて貰う。下宿に居れば、だけど。最近、バイト忙しいみたいなこと言ってたからなぁ・・・でも、ま、なんとかするわ。」
「お姉さんの下宿ってさ、どこ?」
宗佑が、割って入って尋ねた。
「蟻ケ崎。」
「そう。だったら、僕んち、開智だから、もし、どうしても駄目だったら、うちに泊まれば?」
親切に彼は、そう申し出た。
「私も、うちに連絡しないといけないのに、困った。今日は、早く帰るって言ってあったのに・・・携帯、水没しちゃって電源、入らなくなったっぽいし。」
「月見櫓まで行けば、俺の携帯、貸すよ。預けてあるから。」
雅弥は、そう小夜香を慰めた。
そんなことを話しながら進むうちに、彼らは仕掛け扉をくぐり抜け、梯子段を上って、とうとう月見櫓の床穴から、順番に這い出した。
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