第20話 戒壇巡りの鍵

 来客用玄関口から校舎を出ると、二人は植え込みの間に砂利を敷いた庭を抜け、真っ直ぐに校門へ向かった。腕時計にちらりと目をやると、七時五十二分を指している。どおりでもうすっかり暗いわけだ。校門を出て、正面の坂道を下れば、松本城である。自転車があると良いのだが、生憎、松本駅前に置いてきてしまった。走るしかない。夜の静かな住宅街を、ぱたぱたとアスファルトを踏み鳴らして、二人は精一杯の速さで駆けた。すぐに息が切れ、呼吸が苦しくなったが、雅弥は歯を食いしばって頑張った。綾乃は意外に俊足で、息を弾ませながらもきっちりと付いてくる。住宅地の狭い道を抜け、お堀沿いの道に出た。そこからは、ライトアップした城が見渡せる。そして、異変に雅弥の足が思わず止まり、立ち竦んだ。

「お城が、傾いてる。」

半信半疑で、彼は呟いた。隣では綾乃が、唖然として息を呑んでいる。烏城とも呼ばれる五重六階の松本城大天守が、雅弥達の居る位置から右側、すなわち西の方角へと、星のない夜空を背に、奇怪に大きく傾斜していた。その信じがたい光景に、雅弥の脳裏には、以前、相沢団長が話してくれた事柄が蘇った。すなわち、当時の松本城は、明治維新後の混乱で放置され、朽ちるに任せられていた。中でも天守閣は傾き、倒壊の危機にあった。これを憂えて立ち上がったのが、小林先生であった、と。

 今、また、かつてと同じことが起こっているのだろうか? そうだとしたら、なぜ?

 けれど、じっくり考えている時間はなかった。とりあえずは、宗佑と小夜香を探すために、まず月見櫓へ行かねばならない。色々と推測やら憶測やら巡らすのは、その後でいい。

 雅弥と綾乃は、道路を横切り、大型バスの駐車場を突っ切り、庭園に入ると、お堀に沿って、城門へと急いだ。黒門を推すと、そのまますっと内側に開いた。施錠されていないということは、やはり宗佑たちはまだ城内に居るのだ、と雅弥は確信した。天守へ入ると中は案の定真っ暗で、雅弥は携帯を引っ張り出した。

「はい、これ。靴は、ここに入れて、持ってゆくから。」

携帯のバックライトの心もとない明かりで辺りを照らしながら、雅弥は、観光客が靴を入れるためにたくさん用意されているビニール袋から、二つ取って、一つを綾乃に渡した。そして、懐中電灯の明かりを頼りに、月見櫓へと向かった。

 月見櫓に着くと、三方の壁が取り払われてた部屋の構造のため、室内へは城の庭の街灯や、外の街の照明がそのまま差し込み、薄暗がりに慣れた二人の視界に十分な程、中の様子がはっきりと見て取れた。しかし、その有様は尋常ではなかった。床一面にはっきりと濡れた跡があった。一歩、部屋の中へ踏み込むなり、靴下の裏がじっとりと湿ったのに、まず二人はぎょっとした。更に仔細に懐中電灯で照らしながら検分して回ると、床の上に見覚えのある宗佑のナイロン製のデイバックと、小夜香の布製の肩掛け鞄が、ぐしょ濡れで落ちていた。更に、床穴を塞ぐのに置かれていた鐘も横倒しになって、片隅に転がっている。天守閣が傾いたことで、床が斜めになり、鐘はそれで壁際まで転がってきたようだった。床穴の口は、板が跳ね上がったまま、開いていた。手を伸ばして確かめると、梯子は無事なようだ。中を照らすと、明かりの届く範囲では、水は引いているようだ。よし、これならいけそうだ、と雅弥は判断した。

 濡れた靴下を脱いで、靴の入ったビニール袋へ入れ、背負っていたデイバックを肩から下ろした。

「悪いけどこれ、見ててくれる?」

綾乃の足元に荷物を置きながら、雅弥は頼んだ。

「いいですけど・・・、これからどうするんですか?」

心配そうに、綾乃は尋ねた。

「さっき先生に言われた通りにする。水門を開けてくる。」

「一人で行かない方がいいです。私も一緒に・・・。」

「あと、これも持ってて。」

雅弥は、携帯電話を綾乃の手に押し付けながら、彼女の言葉を遮った。

「濡らすと、駄目になっちゃうかもしれないから。それと、俺が戻ってくるまで、絶対、あの床の穴には近づかないで。危ないから。それから、もし、万が一、また水が溢れてきたら、すぐ逃げてね。そして、校長室の先生に知らせて。」

思いつく限りの全ての注意事項を、彼は一息に並べ立て、それから、更に何か言い残したことはないか、見落としていることはないかと素早く頭を回転させた。

「ねえ、あのさ。」

不意に、少し前から心の中に引っかかっていた全然関係ないあることに思い当たって、彼はついそう口に出してしまった。

「藤森さんってさ、どうしていつもですます調で話すの? 癖なの?」

綾乃は予想外の質問にまごついたようにぽかんとし、それから居心地悪そうにもじもじと身動きした。

「いえ、そんなことないです。別に、友達とは普通に話しますよ。」

「ほら、また。」

「いや、だって。」

綾乃は、抗議するように、両手のひらを目の前でぱたぱたさせた。

「だって、何?」

「岩崎君とは、まだ会うのこれで二回目じゃないですか。友達・・・って程、親しいわけじゃないし。なんかそれなのに、ため口っていうのも変かな、って思って。」

友達じゃない、と言われて、雅弥は少しばかり凹んだが、考えてみれば、確かに彼女が言う通りだった。この前、蜻蛉祭で出会い、今日、会ったのが二回目だから、無理もない話だ。むしろ初対面であんた呼ばわりしてくる小夜香のような女子の方が、非常識という気もした。

「それに、最初に会った時、岩崎君が何年生かわからなかったから。ひょっとして年上だったらいけないな、って割と丁寧に口利いてたっていうか。その後、同じ一年ってわかったけど、途中から話し方変えるのも、なんだかきっかけがなくて。」

「えっ、俺のこと、年上って思ったの?」

少々意外であった。どちらかというと、中学生扱いされることの方が、未だに多い雅弥であったのだ。

「でも、多分、藤森さんの方が、年上じゃないかな。俺、三月生まれだから。」

「私もです。」

と、綾乃は厳かに宣言した。

「何日? 俺は三月の二十五日。」

「私は、二十八日です。」

「へええ、俺、同じ学年で、俺より年下に会ったのって初めてかも。」

感慨深げに雅弥は、言った。

「別に、たった三日間の差じゃないですか。」

珊瑚色の唇を、彼女はぷんと尖らせた。

「そりゃ、まあ、そうだけど。あ、じゃあ、まだ十五なんだね。俺もだけど。」

六月生まれの宗佑と、小夜香が七月なので、三人の中で、まだ十六歳になっていなかったのは、雅弥だけだったのだ。

「それならさ、もうため口でよくない? お互い。」

「ええ、まあ、そうですね。」

同意しつつも、相変わらずですます調の彼女が可笑しくて、雅弥は、ついつい吹き出した。なんだか急にそれまで背負っていた悲壮感が軽くなった気がした。肩の力が、ふっと抜けた。

「まあ、そう急には切り替わんないかもしれないけど。」

照れたように、綾乃も笑った。それから、口元を引き締め、まじめな顔になった。

「なんだか、さっきから色々起こっていて、私にはさっぱり訳がわかんないんですけど、岩崎君には、わかってるみたいですよね?」

尤もな疑問だったが、雅弥は、答えるのに、やや躊躇した。

「俺だって、全部わかってるわけじゃないんだ。」

弁解するように、彼は言った。

「でも、一部は、確かに・・・ええと、事情をわかってる。だけど、すごくややこしいんだ。あれこれこんがらがっていて、今は、ちょっと・・・。」

「説明してる時間がないんですね?」

「うん、まあ、そういうこと。」

「いいですよ。」

あっさりと、彼女は引き下がった。「今じゃなくてもいいです。また、今度で。」

雅弥は、ほっとした。

「そうしてもらえると助かる。悪いけど。あとで、ちゃんと・・・出来るだけ、説明するから。」

綾乃は、頷いた。

「それじゃ、俺、ちょっと行って来るわ。」

 裸足で慎重に梯子段を踏みしめながら、雅弥は地下へと降りていった。

「気をつけて。」

という綾乃の声が頭上から降ってきたが、すぐに濃い闇が周囲を覆った。地下の底につま先が着くと、床は浅い水溜りのようになっていて、触れたズボンの裾がたちまち濡れた。彼は屈み込んで、手探りで膝まで裾を折り曲げた。それから、そのまま歩数を数えながら前へ進み、バネ仕掛けの扉を押し開けて潜り抜けた。ここからが戒壇巡りだ。出たところを左に折れて、壁伝いに行く。辺りは相変わらず墨を塗ったように真っ暗だったが、少し歩いた先に、小さな小さな、点のように淡い光が、低い位置から漏れているのに気付いた。と、思ったその瞬間、極楽の鍵に手が触れた。

 鍵には、紐がついていて、壁に繋いである。淡い点のように見えた光の穴は、よくよく闇に透かして見ると鍵穴の形である。極楽の鍵を手に取って、その穴に差し込むと、案の定、ぴたりと合って、鍵を回すと、カチッと確かな手応えがあった。しかし、予想に反して、何も起こらない。鍵穴周辺の壁を念入りに押したり叩いてみたりしたが、依然として、壁は壁のままである。雅弥は途方に暮れ、苦し紛れに鍵を一旦引き抜き、もう一度差し込んで、同じ方向に回そうとしてみたが動かないので、今度は逆に回してみた。すると、再び手応えがあり、今度は木の壁の一部が、かたんと外れて、同時に中からぼんやりとした光が差し込んできた。しゃがみこんで覗き込むと、岩を削り出したような石段が数段、下に向かって続き、一種の坑道がその先へと伸びているのが見て取れた。石段は、水に濡れて光っており、坑道も、半ば水に漬かっていた。目の前を照らすぼんやりとした淡黄色の光は、その水からじわじわと滲み出ているようにも、濡れた岩肌が発光しているようにも見えた。それは、綾乃と共に烈風号に乗って潜り抜けた地下水路の光とどことなく似通っていた。しかし、あの巨大な運河に比べて、岩石を掘り抜いたような坑道は、随分と狭かった。

 雅弥は、用心深く戒壇巡りの壁に空いた隙間をくぐり抜け、石段を降りて、坑道に立った。水の深さは、せいぜいくるぶし程度である。驚いたのは、水が微温水的にほんのりとぬるいことだった。なんだか春の日向水のような感触である。そして、微かな硫黄臭が入り混じっている。足を水に浸したまま、雅弥はそろそろと進み始めた。坑道の岩肌は、滑らかな黄褐色で、所々に白っぽい鉱物の結晶が、薄く、あるいは厚く、張り付いて覆っていた。頭上に、氷柱のような形の小さな石柱が、何本か下がっている箇所もあった。炭酸カルシウムが石灰化したもののようにも思えたが、確信はなかった。ただ単に、鍾乳洞と似た雰囲気に、そうした印象を持っただけかもしれず、よくわからない。少し歩くうちに、ここが人工的な場所なのか、あるいは自然に出来たものなのか、だんだん雅弥には判然としなくなってきた。最初の石段は、明らかに人の手が加わっていたが、そこから先の、今歩いているつるつると滑りやすいトンネルの表面は、あるいは長い年月をかけて、滴り落ちる水と鉱物が自然と作り上げて出来た造形物なのかもしれなかった。そこには、確かな現実感のようなものがあった。烈風号で進んだ地下水路とは、それが大きく異なる点だった。あそこは、しんと静まり返った、無音で、匂いもなければ、風もない、閉じられた場所であった。空間と空間とをつなぐ、非現実的で便宜的で一時的な通路にすぎなかった。けれど、ここは違う。いかに途方もなく現実離れした場所のように見えようと、ここには確かに存在しているのだ、という確信めいた思いが離れなかった。

 歩きながら、雅弥は、先程の極楽の鍵のことを考えていた。最初に鍵穴で鍵を回した時、壁が開かなかったことが心の中でひっかかっていた。一度目に鍵を回した時、確かに鍵が回った手応えがあったにもかかわらず、なぜ開かなかったのだろう。そして、次に同じ向きに鍵は回らず、逆に回すと、壁は開いた。以上のことを頭の中で整理すると、割と簡単に一つの推論が成り立った。すなわち、最初から鍵は開いていた、という予想である。一回目に鍵を回した時、雅弥は開けたつもりだったが、実は閉めたのだとしたら、次に鍵を回した時に、開いた理由が簡単に理解できる。わからないのは、なぜ鍵が最初は開いていたのか、という点だった。

 そこまで考えたところで、水位が随分上がってきたことに、彼はいやでも気付かずにはいられなかった。最初、くるぶし辺りまでだった水が、今はふくらはぎまで来ていて、ばしゃばしゃと歩きにくい。水が増えたというよりも、平坦な部分からゆるやかな下りになっている部分にさしかかり、そこに水が残っているようだった。これは、あまり好ましい兆候ではなかった。坑道の天井は、かなり低く、彼の頭上せいぜい数十センチといったところだった。おまけに凹凸があるので、低いところでは、背の高い宗佑なら、頭をぶつけそうな所も何箇所かあった。道は、だらだらと下り続け、水はふくらはぎから膝へ、膝から腰まで届いた。それはすぐに胸の高さになった。まずいな、と思っていると、前方の天井が大きく下降し、すっかり水没している場所に来た。さて、困った、と雅弥は立ち止まった。ここから先は、どうなっているか、全く予想がつかないが、可能性として、数メートル先で天井が再び隆起しているかもしれない。少なくとも、これまで進んできた部分では、そうだった。となれば、確認してみるしかあるまい。

 さてさて、と雅弥は、素早く思考を回転させた。一番合理的で、効率的な方法は、何だろう?

 夜光塗料を塗った腕時計の文字盤を眺めながら、父からもらった防水加工のしてあるダイバーズウォッチでをしていて運が良かった、と思った。父は、アウトドアでヘビーデュティーなもの、即ち、頑丈で実用的なものを好む傾向があるのだが、それが幸いしたといえよう。ふと、父がこの時計をくれたときのことが蘇った。高校入試の前夜、試験中、やはり時間が判った方がいいだろうと父が以前買ったきり、使っていなかった自分の腕時計を貸してくれたのだ。試験が終わり、帰宅した雅弥が父に時計を返しにいくと、一旦、受け取った父が、何を思ったか、またその腕時計を息子の手の中に返して寄越した。

「これは、あげよう。高校生になったら、腕時計があったほうがいいだろう。入学祝だ。」

「でも、まだ、合格するかどうかわかんないよ? 発表まで、大分あるし。」

「それなら、これまで受験勉強を頑張ったご褒美。実際、随分、頑張ってたもんな。合格したら、入学祝は、また別に何か欲しい物を買ってあげよう。」

父は、そう言って笑った。雅弥は口の中でぶつぶつ呟いて、碌に礼も言わなかったが、しかし、内心、大変、嬉しかった。腕時計がもらえたことが、というよりも、頑張った、と言ってもらえたことが嬉しかった。

 中学のプールの授業で、自分がどれくらいの距離、潜水が出来たか思い出そうとしてみた。せいぜい三、四メートルだったような気がする。高校では、水泳の授業は選択しなかったので今年は泳いでいないし、余り時間はなかった。しかし、今の場合、問題なのは、距離よりも時間だ、と雅弥は判断した。彼は、試しに深く息を吸い込み、秒針の動きを目で追いながら、息を止めてみた。五秒・・・十秒・・・、苦しくなってきたところで、息を吐き始める。二十秒・・・、二十五秒・・・よし、三十秒はいける。ということは、十五秒、水の中を進めるだけ進み、それで駄目なら引き返せばよい。残り時間で、また、空気のあるここへ戻ってこられる。ひどく単純な話だ。ただし、実行するのには、結構、勇気が要る。プールでは簡単なことでも、いつ水が溢れてくるかわからない、得体の知れない地下の坑道でとなると、話は随分変わってくる。そして、彼は、自分を勇敢だと思ったことはかつてないのだ。むしろ、臆病と小心を自認しているくらいだ。

 ズボンのポケットに手を突っ込んで、雅弥は水門の鍵を確認するようにしっかりと奥に押し込んだ。錬鉄製の鍵に触れると、それを校長室で手渡してくれた人の姿が自然と思い浮かび、不思議と気持ちが落ち着いた。あの人が、自分を本当に危険な場所へ送り出すはずがない、という確信めいたものをどういうわけだか彼は強く抱いていた。自分なら出来ると思ったからこそ、先生はこの場所へ自分を送り込んだのだ。ならば、やれるはずだ。でも、泳ぐのは、正直、苦手だ。

 覚悟を決めて、大きく息を吸うと、思い切って水の中に頭から身を沈め、平泳ぎの要領で水を掻きながら、つま先で地面を蹴って泳ぎ始めた。腕時計を見る余裕はなかったので、頭の中で、数を数えた。一・・二・・三・・四・・。ともすれば、はやる心を抑えて、彼は出来るだけゆっくりと数えた。泳ぐ時はいつもゴーグルをかけるので、それなしで水中で目を開けているのは、少し苦痛だったが、我慢した。五・・六・・七・・八・・まだ、あと少し、行ける。奇妙な光を帯びた微温水の中で、小さな泡がひっきりなしに下から上へと浮上してゆく。十一・・十二・・十三・・十四・・十五、彼はそこで足を突き、顔を上げてみた。もし、頭上に空間がなければ、大至急、全速力で元の場所へ引き返さなければならない、とびくびくしながら。余りに勢い良く上げすぎたために、岩の天井にひどく頭をぶつけた。しかし、ああ、そこには空気がある。彼は、安堵の吐息を付いた。肝心なのは、そのことだけだ。足を着くと、水は首の辺りまで来るが、見上げると、天井まではかなり高さがある。背後を振り返ると、数メートル先で、天井が水についていた。どうやら、完全に水没していた箇所は、僅か数メートルとごく局地的に過ぎなかったようだ。

 状況の好転にすっかり気を良くし、雅弥は水をばしゃばしゃ掻き分けながら、懸命に進んでいったので、異変を報せる小さな、けれど不吉な前兆に最初なかなか気付かなかった。それまでじっと溜まっているだけで、全く流れのなかった水が、徐々に坑道の奥へと引き寄せられるようにじわじわと減っていた。水は、次第に下がり、すぐに胸の辺りから腹の辺りにまでしかもうなかった。なんだかいやに楽に進めるような気がしてきたのは、単に水嵩が減って抵抗が減じたという理由からだけではなく、進行方向へ流れが引き寄せているのだと、ようやく彼が理解した時だった。

 それは、突然来た。浸かっていた水が、不意に彼を捉え、大きくぐいっと引っ張られた。雅弥は、よろけ、足を踏ん張ろうとしたが、あっという間に足元をすくわれ、足を滑らせ、転倒した。そのまま大きな水の渦の力で、身体ごともっていかれた。耳元で、ごうごうと水が唸っていた。唐突に、「ほら、お風呂の栓を抜いた時、最後に渦を巻いてゴボゴボってなるでしょ、ちょうどあんな・・・」という小夜香の言葉が脳裏に浮かび、けれど、それ以上考える間もなく、あっという間に雅弥は、激流に飲み込まれた。

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