第14話ファイヤーストーム

 それから、雅弥と綾乃は、一緒に美術部や書道部、写真部の展示を鑑賞し、茶道部で薄茶と干菓子をご馳走になり、登山部が教室内に設営したテントに入って中で無意味に体育座りをしてみたりした。次に、再び、中庭へ戻り、弓道部がやっている輪投げをして遊んだ。雅弥は、的を狙うのが下手だったが、綾乃は結構上手で、小さな熊のぬいぐるみがついたストラップを景品として手に入れた。更に、卓球部の屋台に並び、みたらし団子を買って食べた。団子を食べ終えると、綾乃はそろそろ帰らなくてはならない、と言い出した。

「でも、まだこれから後夜祭があるよ? ファイアーストームとか、バンド演奏とか色々。」

このまま別れてしまうのが少し名残惜しくて、雅弥は控えめに、けれど彼なりには精一杯、引き止めてみたが、あまり遅くなるといけないから、と綾乃は考えを変えなかった。なので、彼もそれ以上、しつこく言うのは控えた。代わりに、彼女を登竜門と呼ばれる校門まで送っていった。門は、杉の葉を束ねて作ったアーチで飾られ、ダンボールをトンボの形に切り抜いたものをいくつも貼り付けてあった。周囲には、出身中学ごとに結成される「郷友会」と呼ばれる組織の有志が作成した灯篭や大きな張りボテが点々と置いてある。灯篭には、すでに明かりが点してあった。気が付くと、空は夕暮れの色に変わりかけている。

 綾乃は、雅弥に向かってぺこりと頭を下げ、駅へ向かう下り坂を歩いていった。彼女の小さくなってゆく後ろ姿をしばらく校門から見送った後、雅弥は、ゆっくりと校内へ引き返した。これからどうしようか、棋道部へ一応、顔を出してみるかと考えながら、携帯をポケットから出してみると、何やら着信がたくさん入っている。全部、小夜香からだった。雅弥は、しばし画面をじっと見詰め、片方の眉を吊り上げた。そういえば、講堂での演奏会を聞きに行く時に、マナーモードにしてそれっきり忘れていたのだ。メールも何通か来ている。これまた、小夜香からだ。読んでみると、膝から力が抜けた。

 一通目、「ねえ、ちょっと、その子、誰?」

 二通目、「もしかして、彼女?」

 三通目、「私達、今、剣道部のメイド喫茶に居るから、連れてきなさい。」

 四通目、「いい加減、電話に出ろっ!!!」

 五通目、「これ以上、無視したら、ただじゃおかない。」

パチンと携帯を閉じて、雅弥はうめいた。

「これは・・・まずい。非常にまずいことになった・・・。」

まさにその時、マナーモードを解除したばかりの彼の携帯が鳴った。画面を見ると、小夜香である。彼は、びくびくしながら応答した。

「も、もしもし?」

「ちょっと、あんた、今、どこにいるのよ?」

目一杯不機嫌な声が、耳元でした。

「あ、いや、その、校門のとこに。」

「は? まさか、帰るんじゃないでしょうね?」

「いや、帰らない、帰らない。知り合いが、ついさっき帰ったとこで、見送りに・・・。」

「・・・それなら、私達、中庭の焼き蕎麦の屋台のとこに居るから、今すぐ来て。」

それだけ言って、彼の返事も待たずに電話は切れた。雅弥は、溜息をつき、重い足どりで、とぼとぼと中庭へと歩き出した。


「ふうん。」

雅弥の言い訳を一通り聞き終えると、小夜香は、焼き蕎麦ソースのついた箸を脅すように振りまわしながら、目を細めた。隣では、宗佑が、そ知らぬ顔で、水飴を割り箸で練る作業に、一心に集中している振りをしている。

「まあ、その子が彼女じゃない、っていうのはわかったけど、でも、連絡先くらいは聞いたんでしょうね?」

「連絡先?」

思いがけないことを聞かれて雅弥は、ぽかんとして、彼女の言葉を鸚鵡返しした。

「だからー、携帯の番号だとか、メアドとか、ラインのIDとか。」

じれったそうに、彼女は畳み掛けた。

「・・・・・。」

ようやく自分のうかつさに思い当たって、雅弥は額に手をあてた。

「全然、思いつきもしなかった。」

彼は、呟いた。

「呆れた。ほんと、呆れた。」

心底そう思う、という口ぶりで、彼女は繰り返した。

「あんたみたいな間抜け、見たことない。」

「まあまあまあ。」

宗佑が、見かねて割って入った。

「岩崎だって、別にナンパ目的で声を掛けたわけじゃないんだから。」

小夜香は、返事もせずに、黙々と焼き蕎麦を口に運んでいる。

「でも、なんだかよくわからない話だね。諏訪清涼高校って、音和と特にこれといった交流があるとか聞いたことないしさ。うちの学校の校長室によその学校の校章を掛けるなんて、どういうつもりなんだろう。」

「別に、意味なんて特にないんだと思うな。」

焼き蕎麦の入っていた白い紙皿を、ゴミ箱代わりに設置されたダンボールの中へ放り込みながら、小夜香が決め付けた。

「きっとその子、部活の先輩達にからかわれたのよ、多分。」

「でも、それにしちゃ、少しばかり手が込み過ぎてない?」

雅弥は、反論した。

「どうだか。世の中には、暇人も多いと思うけど。」

小夜香は、肩をすくめた。

「それより、もうそろそろファイヤーストームの点火式じゃない? 見に行くでしょ。」

さっさと先に立って歩き出した彼女の後を、雅弥と宗佑も追って、校庭へ向かった。

「ねえ、ところでさ。どこで俺と藤森さんのこと見掛けたの?」

こっそり雅弥は、宗佑に囁いた。

「演奏会の後、着替えてから、荷物をロッカーに仕舞いに教室へ行こうとしたら、岩崎とあの子が中庭でクレープ食べてるところを、小夜香が気が付いたんだよ。ほんと、そういうことには感心するくらい、目敏いのな。そのまま飛んでって、直接話しかけようとするのを必死で止めたんだから、感謝して欲しいよ。でも、なんで、ずっと携帯に出なかったの?」

「音、消してたんだよ。」

雅弥は、言い訳した。男子二人で、そんなことをこそこそ言い合っているうちに、三人は校庭へ入った。もう既に、ぽつぽつと人が集まりかけていた。男子生徒の多くが、海パン着用でゴーグル装備である。

「あんたたちは、着替えないの?」

からかうように小夜香に聞かれ、雅弥と宗佑は、ぶんぶんと首を振った。

「やだよ、汚れたくないし。」

「そうそう。それにこの後、中庭に踊りに行くでしょ。」

何故、少なからぬ数の海パン・ゴーグル姿の男子生徒がうろついているかといえば、ファイアーストーム終盤で、泥水のぶっかけあいをするからだ。なぜ、そのようなことをするのか、理由ははっきりしないが、一説によれば、ファイアーストームを最後に鎮火するため、また、万が一の火の用心のため、バケツや放水用のホースをあらかじめ多数用意しておく習慣が、やがて、ファイアーストーム周辺の土の校庭にやたらと水を振りまき、泥水をぶっかあうという野蛮にして狂乱なる宴に発展したと、いう事であるが、真実かどうか定かではない。

 当然のことながら、この風習は、一部の生徒、特に女生徒立ちに評判が悪く、祭りの熱気に興奮しすぎた、あるいは悪乗りしすぎた海パン男子生徒が、泥かけの参加者ではない、ただの見物人にまでうっかり被害を及ぼしてしまう事例が、過去、たびたび報告された。そのため、しばらく前から、後夜祭の会場は、校庭と中庭の二箇所に分けられることになった。校庭では、応援団管理委員会によるファイヤーストームが、古式ゆかしく泥まみれで執り行われ、それと並行する形で、中庭には、屋外ダンス会場が設えられ、軽音楽部のバンドによる演奏が、生徒会主催で行われる。中庭に居れば、泥水の被害に会わずにすむし、生徒達は、自由にこの二箇所を行き来することが出来た。

 校庭の片隅では、今日の学園祭での役目を終えた宣伝の立て看板やポスター、使用済みになった様々な飾りつけなどと一緒に、組み上げた廃材が用意され、学生服にマント、袴や白襷の正装姿の応援団管理委員会の委員達が、今もせっせとそこに色紙で作った鎖や、不要になったチラシ、裂いたダンボールなどを更に積み上げていた。

「あっ、あそこ、百瀬先輩が居る。」

と、宗佑が言う方を見ると、確かにそうである。三人が手を振るのに、先輩は軽く頷き、それからまた、テキパキと作業に戻った。

 まもなく、松明を手にした相沢団長が、点火した。燃え上がった炎に、周囲から歓声が上がり、薄暗くなった夕暮れの空を背景に、ファイアーストームが始まった。応援団が円陣を組み、応援歌をいくつか声高らかに歌った後、相沢団長が進み出て、こう叫んだ。

「よおーし、おまえらー、言いたいことのある奴は、前に出ろっ!」

それを合図に、燃えさかる焚き火の前に次々と進み出て、

「松本音和高校、万歳!」

「蜻蛉祭、最高!」

「水泳部、県大会、入賞目指すぞー!」

と、次々に喉も裂けよと絶叫を始めた。

「我が青春に、悔いなーし!」

「大学、受かりてぇー!」

「山本先生、物理の単位くださーい!」

「地球温暖化、反対!」

そして、その次に炎の前に、進み出たのは、百瀬先輩だった。何やら顔に、悲壮な決意の色を浮かべている。

「美咲先輩好きでーす。ツキアッテクダサーイ!」

瑠璃色の空に、咆哮が響き渡った。

 雅弥と宗佑は、愕然として顔を見合わせた。

「今の・・・って、告白・・・だよな?」

恐る恐る、雅弥は判りきった質問をしてみた。

「うん、多分。美咲先輩って、確か応管の三年生だよ。」

「百瀬さん、年上の人が好きだったんだな・・・。」

隣では小夜香が、涙を流さんばかりに笑い転げている。

 その時、校舎を隔てた中庭の向こうから、スピーカーを通してバンドの軽快な音楽と歌声が流れてきた。

「あっ、始まった。」

うきうきと小夜香が、二人を振り返った。ファイヤーストームの周辺では、早速、海パン男子達が音楽に合わせて踊り始めた。一方、校庭にたむろしていて見物していた者たちは、ぞろぞろと中庭の方へ向かって歩き出した。泥かけで、とばっちりの飛沫を浴びたくない者達の避難の開始だった。

「ねえねえ、私達もあっちへ移動しよ!」

小夜香に促されて、彼らも中庭へ向かった。男子二人の先に歩く小夜香のミニスカートから、すらりとした足が伸びている。早くもステップを踏むように楽しげに、軽やかな足取りだった。

 中庭では、既に屋台は取り払って片付けられ、代わりに中央に特設の小さなステージが設けられて、その上では、髪をピンク色に染め上げた歌い手が、照明に照らされ、元気良く飛び跳ねながら、声を張り上げていた。ドラムの髪は緑色の髪を鶏冠のように逆立てで、ベースは真っ青な長髪だった。この蜻蛉祭の時期、音羽高校の軽音楽部の部員達は、毎年、髪を奇抜な色に染め上げる。そして、松本駅前を通りがかるたび、その目立ちすぎる頭髪故に、そこにたむろす不良に絡まれる。しかし、部員達は、あえて危険を承知の上、蜻蛉祭での晴れ姿のために、あえて危険をも辞さない真の猛者達であった。

 狭い中庭は、人でぎっしり埋まり、ちょっと身動きするだけでも、隣と肩がぶつかるほど込み合っていたが、そんなことは少しも気にせず、皆力一杯、踊りまくっていた。一曲終わるごとに、拍手と歓声が上がり、軽音楽部員は、声をからしつつも、のりのりで歌い続けた。

 突然、ステージ上へ、黒いマント姿の人影が、よじ登った。翻るマントの下は、海パンのみで、顔にはゴーグル装備である。泥かけ参加者のひとりが、悪乗りしての乱入か?と、誰もがそう思ったその時、彼は軽音楽部のピンク頭の手からマイクを奪い取ると、大音声でこう叫んだ。

「長野至誠高校参上! 松本音羽高校の諸君に、挨拶を送る!」

皆あっけに取られ、ドラムもベースもギターも演奏の手を止めて、辺りは水を打ったようにしんと静まり返った。

 すると、その瞬間、校庭の方から、ひゅーっというロケットでも飛ぶような音がして、それに続いて、パーン、パーン、パーンと続けざまに何かがはぜる音と同時に、校舎の屋根よりも上に、赤と緑の花火が、華々しく打ちあがった。

 人々の驚いた視線が、華麗に彩られた夜空に釘付けになっているその隙に、海パンマント男子は、特設ステージからさっと飛び降り、人混みの中を無理やりかいくぐって逃げ出した。

「あ、逃げるぞ!」

と、誰かが叫び、それを合図に全員が浮き足立った。

「おーい、みんな走っちゃ駄目だ。」

拡声器のキーンというノイズと共に、物柔らかな声がした。生徒会長の丸山(兄)先輩の声だった。

「危ないから、押し合わないようにね。移動したい人は、歩くように。あ、軽音部は、演奏続けて。」

気が付くと、生徒会長は、いつのまにかステージ袖に拡声器を手に立っていた。

 ざわざわと驚きと興奮の入り混じったざわめきが辺りを包んだが、丸山先輩の穏やかな中にもきっぱりとした物言いに、皆は徐々に平静さを取り戻していった。軽音の部員達も、改めて楽器を持ち直すと、再び曲を弾き始めた。ボーカルが咳払いし、皆も身体でリズムを刻み始めた。

 しかし、雅弥と宗佑の肩に、小夜香の手が後ろからそっと触れた。振り返ると、彼女は、「行・こ・う」という形に口を動かした。男子二人は、頷いた。彼らは、はやる気持ちを抑え、つとめてゆっくりとした足取りで、人々を掻き分け、中庭を抜けた。

 人ごみを抜けた所で、彼らは無言のまま走り出した。渡り廊下を横切って、校庭側へ出た途端、

「あっちへ行ったぞ。」

「追い込め。正面へ回るんだ。」

という叫び声と共に、三人の前の校庭を、脱兎のごとく駆けてゆく人々の群れが目に飛び込んできた。その先に、マントを翻して走る二つの人影があった。どうやら逃走中の彼らを、応援団管理委員の委員達がばらばらと追い縋ろうとしている真っ最中であるらしかった。

「あっ、先輩!」

雅弥は、口の中で小さく呟いた。追跡者の群れの中で先陣を切っているのは、相沢団長と百瀬先輩であった。雅弥達も、慌てて後を追う。先輩達は、もうほとんど逃亡者たちを捕らえんとしていた。あとちょっとで手が届く、というところまで距離を詰めたところで、驚くなかれ、追跡者たる先輩達は、なんと逃亡者達を追い越した。そして、校門へ向かって懸命に駆ける。校門に辿り着くと、相沢団長と百瀬先輩は、門の前に両手を広げて立ち塞がった。その時、向きなおった団長は、暗がりの中、ファイアーストームの踊る炎の光の中、特別推薦枠委員の三人の後輩達の姿を認めた。

「丸山、岩崎、有賀、早くこっち来い。捕まえろ!」

団長が、喚いた。その時になってようやく、雅弥は以前、団長に言われたことを思い出した。

「生憎と、俺らは、両校の揉め事に、直接参加できないんだ。規則上、禁じられている。それが出来るのは、推薦枠の委員だけなんだ。」

先輩達が、どうして自らの手で、侵入者を捕らえようとしないのか、ようやく理解した。団長達は、直接手が出せないのだ。音和高校代表である自分達以外、至誠高校の代表らしき二人を捕らえることはことは出来ないのだ。

 はじかれたように三人は、駆け走り出した。しかし、遅かった。至誠の二人は、音和生らが身を挺して行く手を阻まんとするのをかいくぐり、門の外へと走り出た。そこに、白い軽自動車が、エンジンをふかして待ち構えているのに、音和生達は、初めて気が付いた。あっという間に逃亡者達は待機していた車に飛び乗り、「長野至誠高校万歳!」と最後に一声、夜空に響けとばかりに叫ぶや、バタンと扉が閉まり、車は勢い良く急発進し、夜の住宅街へと走り去っていった。

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