第11話 音和高校、反撃す

 五月の連休明け、長野至誠高校の生徒達は、登校するなり、あちこちに賑やかな異変を見つけて仰天した。

 サッカーゴールに、金鵄を描いた旗が何本もぐるりと立てかけられ、「祝! 松本山雅、J1昇格」と大きく書かれてた垂れ幕が、中央に掲げてあった。松本音和高校の校章である蜻蛉が、縁取りとして描き添えてある。相沢団長の要請を受け、美術部員達が腕を振るったのである。ついでに更なる華美さを演出しようと、ゴールポストの枠には七色の吹流しも景気良くひらひら結び付けてあった。

 中庭にある小林宇也先生の胸像は、百円ショップのパーディーグッズコーナーで手に入れた水玉模様のとんがり帽子を頭にかぶり、顔には面白愉快な鼻眼鏡、首には真紅のハイビスカスで出来た造花のレイを二重三重に恭しく巻きつけられていた。  

 最後の仕上げとして、雅弥と小夜香と宗佑の三人は、至誠高校応援団の部室に忍び込み、赤、ピンク、青、白、黄色・・・などの風船をぎっしり詰め込んだ。

 「至誠の応援団部室は、ここだ。」

校内の見取り図を指差しながら、相沢団長は特選委員の一年生に説明した。

「あー、私達が探した所の反対側にあったんだ。」

図面を覗き込みながら、小夜香が悔しがった。

「いいなぁ、僕も行きたかったのに。」

宗佑は、しきりと残念がる。彼は、雅弥達の冒険談を後で聞いて、羨ましがることしきりであった。どうせすぐまた三人で行くことになるのだから、と雅弥が慰めても、

「でも、一番最初に発見した時の感動とか興奮は、もう味わえないじゃないか。」

と拗ねる。

「いや、別に感動も興奮もなかったけど。強いて言うなら、驚愕体験というか。」

正直に雅弥は言うが、宗佑は納得がいかない顔をしている。

「でも、この校内の見取り図、どうやって手に入れたんっすか?」

雅弥が尋ねると、ふっふっふ、と団長は不気味な含み笑いをし、胸を張った。

「実は、至誠にはわれわれのスパイが居るんだ。」

意外な言葉に、一年生達は、驚いて目を見張った。

「スパイって、至誠の生徒の中にですか?」

宗佑が問うと、団長はニヤリとして、首を振った。

「いいや、教師だ。」

「教師!? って先生っすか!?」

「ああ。去年まで音和にいた東山先生という物理の先生が、この四月から至誠で教えてらっしゃるのだ。そこで、協力を仰いだ。」

「でも、いくら以前は音和の先生でも、今は至誠高校の先生なんですよね。それって、いいんですか?」

小夜香がやや非難がましく追求したが、団長は平気だ。

「全く、問題ない。なぜなら、元を正せば、先生ご自身が音和高校出身だからだ。つまりは、うちの身内、当然、母校のために尽力してくださる。ついに音和の反撃の時が来たとお知らせしたら、大層喜んでおられた。だから、おまえらも先生の期待を裏切るなよ。」

「はあ・・・。」

一年生達は、曖昧に頷いた。

 東山先生の手引きは完璧で、至誠応援団の部室の鍵まで用意してくれた。これは、もう法に抵触する行為なのではないかと、雅弥は危惧したが、

「我々は、至誠にいかなる危害も損害も加える意図はなく、あくまで人畜無害な冗談を遂行するに過ぎない。その前提がある以上、これは決して犯罪行為には当たらない。音和と至誠との間の戦いは、常に両者の良識と信頼関係を前提に行われてきたのだ。だからこそ、かくも長きに渡って受け継がれているのだ。」

と、団長は後輩達を前に高説を説いた。

「それに、向こうの部室から、何かを持ち出そうって言うんじゃない。逆だろ? 置いてくるだけだ。考えてみろ。西洋諸国の宗教的祝祭日に活躍する例の赤服の爺の行為が、法に抵触しないというなら、俺らがやろうとしていることだって、正当化できるはずだ。」

団長のこの強引な法解釈は、明らかに詭弁であったが、しかし、誰もあえては反対は唱えなかった。実際問題、鍵がなければ、この作戦の遂行は不可能なのである。ちなみに、百瀬先輩の話によれば、相沢団長は法学部に進学希望だそうである。ゆくゆくは、法律関係の仕事をしたいらしい。雅弥は内心密かに、近い日将来における日本の法曹界での法律遵守精神を危ぶんだ。

「至誠の部室の鍵を使うのは、今回の一回だけと東山先生には約束したんだ。だから、事が済んだら、すぐに先生へ鍵は送り返す。うちの校長室に備え付けてある鍵とは、また話が違うからね。」

この説明に、一同はようやく多少は安堵し、納得することにした。しかし、それにしても、と雅弥はふと改めて不思議に思った。校長室にある色々な場所のたくさんの鍵は、一体どうしてそこに収められているのだろう? 

 このような経緯を経て、三人は首尾よく至誠の応援団の部室に忍び込んだのだが、それから風船を膨らます作業が、予想以上の大仕事であった。狭いとはいえ、一部屋を直径三十センチに満たない風船でぎっしり満たすのである。冗談ではない数の風船が、必要だった。運搬の都合上、あらかじめ膨らませた状態の風船を持ち込むのは、不可能だった。だが、全ての風船を膨らませるのは、時間との戦いとなった。膨らましても膨らましても、終わらない。心急く余り、小さなプラスチック製の空気入れで、あまりギュウギュウ、空気を送り込むと、パンっと景気の良い音を立てて破裂してしまう。最初は薄暗かった朝の空に、日はどんどんと昇ってくる。窓から差す光で周囲が急速に明るくなる中、三人は黙々と作業に熱中した。

「先輩達が、空気入れを用意してくれてよかったよ。これ、いちいち息を吹き込んでたら、絶対間に合わなかったよね。」

と宗助。

「確かに。」

と、雅弥も同意した。

「そんなことになったら、全員、ほっぺたが筋肉痛になって、きっとひどいことになる。いや、その前に酸欠でぶっ倒れるな。」

「ほら、あんたたち、喋ってないで、どんどん手を動かしなさいよ。」

小夜香が、叱る。

それでも、頑張って作業に励んだおかげで、用意した全ての風船をなんとか時間内に膨らまし終えた。風船で埋め尽くされた部屋は、壮観であった。色とりどりの風船が、数え切れないほど室内にぎっしりひしめき合っていた。仕上がりに満足しながら、風船をひとつ手にとって空中に放り上げると、ふわふわ漂いながら落ちてくる。それをバレーボールのトスの要領でまた打ち返すと、再びフワリと宙に浮かぶ。両手で風船をすくって、パシャパシャ水をはねるように手を動かすと、いくつもの風船が天井めがけて舞い上がる。三人は、しばらく遊んだ後、自らが達成した成果に満足し、部室の扉を閉めると、手早く外から鍵をかけた。

 素早く校内を抜け出し、五月の早朝の清冽な空気の中、街中のどこかでしきりと鳴くカッコウの声を聞きながら、彼らは弾むような足取りで善光寺へと駆け戻った。息を切らしながら山門をくぐり、周囲にまだ人の姿がないのを慎重に確認してから、音和の校長室から持ち出した鍵で、本堂の扉を開け、中へ入ると再び内側から閉めた。百瀬先輩の予想通り、その鍵は、本堂の扉の鍵穴にぴたりと合致していた。

 地下通路を抜け、松本城の月見櫓へ帰り着くと、そこには相沢団長と百瀬先輩が待ち構えていた。

「首尾は、どうだ?」

団長が、声を潜めて囁いた。

「ばっちりです。完璧です。」

雅弥も、小声で応じた。

「よし、ご苦労。こっちの準備は、もう出来てる。」    

団長が指す方には、大きな金属製の吊り鐘が置かれていた。これは城門の脇にある市立博物館から、運び込まれてきたものであった。以前はどこかの寺で使われていたのが不要となり、博物館に寄付され、館内の倉庫に長く保管されていたとのことである。これを応援団管理委員会が博物館の学芸員の人に頼みこみ、手配してもらったのだそうだ。勿論、その学芸員の人というのも、松本音和高校のOBであり、その上、応管の特別推薦枠委員経験者だという。

「だから、こちらの事情も心得て、快く了解してくれたよ。」

と、相沢先輩は教えてくれた。

「無論、この地下通路の話はしてないけどね。秘密を知る者の人数は、少なければ少ないほどいいからな。ただ、それでも、どうして至誠がこうもしょっちゅう音和に乗り込んでこれるのかというのは、代々の推薦枠委員みんなが持っていた疑問だからね。その至誠の動きを封じるためだと遠回しに匂わせたら、先輩はすぐに了解してくれたよ。あるいは、もしかすると・・・」

ふと相沢団長は、考え込むように言葉を切り、ゆっくりと首を振った。

「先輩は、ひょっとしたら何か知ってるのかもしれないね。知っていて、でも、知っていることを俺たち後輩にも内緒にしているのかもしれない。それは賢明なことだし、俺たちもあえて問いただすべきではないだろう。さあ、これを動かしてしまおう。」

団長と百瀬先輩と雅弥と宗佑の男子四人が、鐘の縁に手を掛けて、「いっせーの、せ」で、そろそろと慎重に持ち上げた。その間に、小夜香が半畳分ほどの大きさの茣蓙を一枚、床穴の蓋の部分に相当する床板を覆うように敷いた。四人は、歩調を合わせて鐘を運び、茣蓙の上に据え付けた。この鐘で、地下通路への出入り口を塞いでしまおうという計略であった。

「これでいいだろう。こうやって置いておいても、展示品っぽいし、不自然じゃない。悪くないよ。」

先輩は、満足げに鐘の表面を撫でた。

「こうしとけば、下から鐘ごと床板を持ち上げるのは、無理だろうし。至誠の進入路を塞いでやったわけだ。完璧だな。揺るぎなき音和の勝利だ。」

団長は、宣言した。

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