第10話 小夜香の打ち明け話
善光寺まで戻る道すがら、二人はそれぞれの自分の物思いに耽りながら、言葉少なに歩いた。
山門をくぐり、本堂へ上がったところで、奥の内陣にある戒壇巡りに入るためには、料金が六百十円かかると判明した。
「結構、高いなぁ。今日は、松本城の本丸に入るのにも、お金払ったのに。」
雅弥は、ポケットから財布を引っ張り出しながら、ぼやいた。月の小遣いが五千円の高校生には、地味に懐が痛い。それを聞いて、小夜香がふと考え込む顔になった。
「もしかして、それで長野至誠は、いつも朝、早くを狙って音和に来るのかな。」
と、ポツリと呟く。
「どういうこと?」
と、雅弥。
「料金所に人が居ない時間帯なら、入場料払わなくて済むじゃない。」
「ああ、確かに。ただし、そのためには、閉まっている門を通れなければならない。それは即ち、連中が松本城の門や天守の鍵を持っているってことになる。」
「音和は、お城の鍵をもってるじゃない。それなら、長野至誠だって、持ってるかもしれない。」
「成程。」
雅弥は、頷いた。彼女の言う事には、一理あった。ちゃんと筋が通っている。
「旗は、いつも早朝に置かれていたでしょ。お城もお寺も開いてない早い時間帯に来て、戻っちゃえば、お金かからない・・・あっ、でも、今日は、違ったか。あんたが、至誠の生徒を見つけて追いかけたのは、昼頃だったわけだし・・・。」
「いや、今日は、例外だったんだと思う。」
考え考え、雅弥は言った。
「なんでそう思うの?」
「パルコの一番上の階に、フリースペースみたいな所があってさ、時々、催し物とかやってるんだけど、今、そこで何やってるか知ってる?」
「さあ? パルコでは、服とか鞄とかしか見ないから、わかんない。」
「ガンダム展やってるんだよ。原画とか色々展示してて、あと販売コーナーで、関連グッズも売ってる。」
「・・・それ、なんか関係あんの?」
「だからさ、あいつら、ガンダム展が見たかったんだよ。」
じれったくて、雅弥の声がついつい大きくなった。
「パルコが開くのは、十時じゃん。多分、長野から朝早く、お城の料金所の人が来る前に、音和に来たんだよ。そして、旗を置いてから、少し時間を潰して、ガンダム展に行った。折角、松本まで来たんなら、そりゃ行きたいと思うだろうな。その後、パン屋から出てきたのを俺が見かけた時、一人がパルコの袋、持ってたのを覚えている。そして、それには、二千八百円で買った何か、おそらくは、ガンプラが入ってた。」
「ちょっと、ちょっと。どうしてそんなことわかるわけ?」
小夜香が、わけがわからない、という顔をしている。
「さっきの国語準備室の屑篭にレシートが捨ててあったから。それに、」
雅弥は、やや得意げに胸を張って付け加えた。
「俺も、昨日、弟とガンダム展、行ってきたばかりだから。売り場に、それっぽいプラモがあったし。」
雅弥としては、満を持しての緻密な推理の披露であったが、しかし、小夜香はそれほど感銘を受けた様子は見せなかった。まあ、そうかもね、程度の薄い反応で、彼としては少し期待はずれであった。
二人は、再び戒壇巡りの入り口から地下通路へと潜った。
月見櫓へ戻ると、百瀬先輩が待ちかねていた。雅弥と小夜香が、早速、至誠高校が松本城の鍵を持っている可能性について尋ねてみると、先輩は、思いがけないことを言い出した。
「音和の校長室には、善光寺の本堂の鍵があるよ。」
「はい?」
これには、雅弥と小夜香もびっくりした。
「校長室に松本城の鍵があるのは知ってるだろ? あそこには、他にもたくさん鍵があるんだけど、そこに『善光寺本堂』って札が付いてるのがあった。書庫の鍵の隣にあるから、覚えてたんだよ。なんでそんなもんがあるんだろうって不思議には思ってたんだけど。」
「・・・まじっすか。」
「うん。こうなってみると、あの鍵は、地下通路を通るために備えてあったのかもしれないな。」
先輩は、考え考え、続けた。
「音和に松本城と善光寺の鍵がある、ということは、長野至誠も同様にと考えることは出来るだろう。実際、至誠の今までの行動から考えて、その可能性は高いと思う。」
三人は、これからどうするか話し合った末、とりあえず音和に戻って、事の次第を報らせることにした。
地下通路発見の報告に、相沢団長は狂喜した。
「でかした!」
両手で机をバシッと叩き、喜色満面、彼は叫んだ。
「素晴らしい! 応管特別推薦枠始まって以来の快挙だ! これで長野至誠の鼻を明かしてやれる!」
松本城と善光寺を結ぶ地下通路発見などという荒唐無稽な話を、団長が疑いもせずいともあっさり受け入れたことに、雅弥はむしろ驚いた。しかし、これまで散々煮え湯を飲まされてきた至誠に一矢報いる機会がついに訪れたという僥倖を前にして、団長の頭からは、全ての常識や懐疑や疑念は消し飛んでしまったらしかった。科学的に説明がつかないって? だが、それがどうした? 人類は、燃焼という現象が酸化反応であることを理解する遥か以前から、火を利用してきたではないか? ならば、原理はわからないが二つの地点を異様に短距離で結んでしまう通路が存在していたら、それを利用して何が悪い? そのメカニズムは、別にまたゆっくり解明すればよいだけのことだ。なんなら、音和の物理学研究会の部員達を派遣しても良い。しかし、それは打倒至誠が成功してからの話である。そもそも、あの城のお堀には龍が生息しているのだ。これまた生物学的に全く説明がつかないではないか。ならば、その城に物理学的に説明のつかない地下通路があったといって騒ぎ立てるのも、今更であろう。団長の主張を要約すれば、およそこのようなことであるらしかった。
そうと決まれば、早速、作戦会議だった。色々検討した結果、決行は、五月の連休明けと決まった。
「連休中は、至誠の生徒もあんまり登校しないだろし、全校生徒が揃ってないと、折角の音和の反撃も印象が薄くなる。それでは勿体無いからな。休みが終わって、学校が始まったところで、一発がんと決めてやれ。」
というのが、団長の要望だった。
「必要な品物の一覧が出来たら、こっちで手配するから遠慮なく言えよ。まあ、詳しいことは、丸山弟も揃ってから決めればいい。とにかく派手に、華々しく盛りだくさん頼む。連中の度肝を抜いてくれ。」
団長は上機嫌で高らかにそう宣言し、その場は一応、お開きとなった。
応管の部室を出て、雅弥はこれから棋道部へ行こうか、いや、結局、昼食を食べ損なったままだから、先に腹ごしらえをするべきか迷いながら歩き出すと、一緒に部室を出てきた小夜香に、
「これから部活?」
と、訊かれた。
「うん、まあ、そのつもりだけど。」
「ふうん。ねえ、あんたさ、部活、楽しい?」
「へ? ああ、うん、すっげー楽しいけど。」
コンビニで弁当を買うか、自販機でパンを買ってしのぐか考えながら、幾分上の空で彼は答えた。だが、それは彼の心からの本心だった。、
「そうなんだ。」
小夜香の沈んだ口調に、何かを感じて、雅弥は食べ物のことを考えるのをやめ、横を歩く彼女をしげしげと眺めた。心なしか、いつもの覇気が無いように見えた。雅弥は戸惑った。どこか具合でも悪いのだろうか?
「有賀は、部活、楽しくねえの?」
遠慮がちに尋ねると、小夜香は肩をすくめ、ぶらぶらと自販機の前に行って小銭を入れ、お茶のボタンを押した。ゴトンとペットボトルが受け口に落ちる。
「何か、飲まない? 奢るけど。」
そう言われて、ますます雅弥は当惑した。
「え、いいよ。俺、自分で買うからさ。」
「奢るって言ってるでしょ。」
すごまれて、彼はおびえた。
「あっ、そ、そう? ありがと。じゃあ、ミルクティ。」
二人は、渡り廊下の片隅に並んで、しばらく黙って飲み物を飲んだ、やがて、小夜香はぽつりぽつりと話し始めた。
音和高校には、無闇矢鱈とたくさんの部活が登録されている。風変わりなものも多かった。例えば、独逸語研究会、カント研究会、インド哲学研究会、ヨガ修行会、仏語愛好会などなど。だが、入部する生徒がいない場合も多かった。音和の奇妙なところは、これらの部員が居なくなり実質的には活動を停止している団体も、登録が抹消されないことであった。名目上は存在し続け、春に新入生らへ配られる部活紹介の冊子にも、名前は掲載される。そして、誰かが入部届けを出せば、それはほぼ自動的に受理され、すぐ活動に入ることが出来るのであった。
小夜香が入った西洋古典舞踊研究会も、そうした名前だけの部活の一つだった。
「でもさ、なんでそんな人が居ないようなところに入ろうと思ったの?」
雅弥としては、その点がそもそも不思議であった。
「だって・・・。」
なんでも、彼女が子供の頃から通っているバレエスクールが、音和高校のすぐ裏にあり、以前、そこに通っていた音和生が、高校の部活でもバレエをやっていて、それが西洋古典舞踊研究会である、という話を講師の先生から聞いたのだった。
「折角、音和生になったんだし、高校のバレエ部なんて珍しいし、だから、入ってみようかな、って。」
つい魔が差したのだ、と彼女は言う。
しかし、それでも入部にあたって、現在、西洋舞踊研究会には部員が一人も居ないことを知った彼女は、入部登録をするのにあたってさすがに多少の不安を覚え、念のため、生徒会を訪ね、「こういう場合、どうなるのか?」と直接、問い合わせてみた。
「別に、全然、構わないけど? えっと、あそこは、一昨年以来、部員はいなかったみたいだけど、でも、今年、新入部員が入れば活動出来るでしょ?」
と生徒会長に、爽やかにそう返され、うかつにも「それも、そうか」と思ってしまったという。
以来、小夜香は体育館の大きな鏡のある壁の前にぽつんと陣取って、柔軟運動や基本のバーレッスンを一人で黙々とこなしながら、入部希望者を待ち続けた。手製の宣伝ビラも作ったし、ポスターも貼った。孤独な作業だった。しかし、いくら待っても入部希望者は、現れなかった。放課後も休日も、体育館で、誰とも口を利かずに、すぐ隣で新体操部の部員達が、音楽をかけて一緒に練習しているのをただ眺めているしかなかった。
「それは・・・何と言うか・・・、キツイね。」
一通り話を聞き終えて、雅弥は気の毒になった。この二週間ばかり、棋道部で、自堕落な先輩や自分と同じ新入生らに囲まれ、肝心の囲碁・将棋そっちのけで麻雀に興じ、カラオケでアニソンを歌いまくり、やれボーリングだコンパだと浮かれて過ごした我が身と引き比べ、小夜香がそれとは全く対照的な孤独な毎日を過ごしていたのかと思うと同情を禁じえなかった。
「でも、今から、他の部に入るというてもあるんじゃない? ほら、ストリートダンス愛好会だっけ? ヒップホップみたいなの踊ってる、ああいうのとか。」
雅弥は提案してみたが、小夜香は首を振った。
「別にバレエは、今通ってる教室でやれるから、いいの。ただ何ていうのかな、同じ学校の子達と踊ってみたかったんだ。そういう仲間が欲しかったの。うちのバレエ教室で高校生になってもまだ続けてる人って、かなり真剣にやってるのね。コンクール目指してたり、週末は、東京までレッスン通ったり、みたいな。でも、私は、大学にも行きたいし、そこまでやるのは無理なんだよね。そしたら、だんだん稽古場でも浮いてきちゃって。だからね、部活で、同じ学校の子達と一緒に稽古したり、舞台やったりできたらいいな、って期待してたんだよね。そういうこと、したかったの。自分と似た人をここで見つけたかった。」
ふう、っと彼女は、息を吐いた。
「他のダンス系の部活に入り直す、っていうのも、考えなかったわけじゃないんだけど・・・でも、どういうわけか応管の推薦枠で委員になっちゃったでしょ。だから、ま、もう、いいかなぁ、とも思うんだ。」
どういう意味かよくわからず、?と思って、雅弥が小夜香の顔を見ると、彼女はちょっと笑った。
「応管って、変なとこだし、妙なことばっかりやらされるし、訳わかんないことが起きるけど、でも、なんだかちょっと・・・ワクワクするじゃない。だから、もう部活は応管だけでもいいかな、って思って。あんた達も居るし。」
意外なほどさばさばとした表情で、小夜香はお茶を飲み干すと、空になったペットボトルを自販機の隣のゴミ箱へ、勢い良く放り込んだ。
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