第8話 地下通路
小夜香は、思ったよりずっと早く、月見櫓へ乗り込んできた。着替えの時間を惜しんだのだろう。今朝、学校で会った時の、レオタードに、ジャージだけ履いた格好だった。
そして、驚いたことに、彼女の後ろには、いかつい体つきに、いがぐり頭の男子が付き従っていた。応援団管理委員会二年の百瀬先輩であった。雅弥が、びっくりしていると、
「こっちへ来ようとしてた時に、たまたま先輩が部室棟から出てくるのに会って、それで一緒に来てもらったの。」
と小夜香がニコリともせず説明した。先輩は、当惑気味の表情だった。なぜ自分がここにいるのかよく理解できない、といった風情である。おそらく小夜香が強引に引っ張って来たに違いない。上級生相手にすげえな、と雅弥は内心で舌を巻いた。しかし、非常にありがたかった。これで、一人で地下へ潜らずに済む。この際だから、百瀬先輩には、道連れになってもらおう。
「すいません、無理言って。」
雅弥は、頭を下げた。
「で?」
小夜香が、腰に手を当てて詰問した。
「私達、なんで呼び出されたわけ?」
雅弥は、返事をする代わり、しゃがみこむと、床板を開けて、二人に示した。そして、かいつまんで、これまでの経緯を語って聞かせた。小夜香と百瀬先輩は、一言も言葉を発しないまま、雅弥と床にぽっかりと開いた穴とを目を丸くして交互に見比べながら聞いていた。
「それで・・・これからどうするつもり?」
雅弥が、一通り話を終えると、我に返ったように小夜香が尋ねた。
「中へ入って調べてみようと思う。それしか、確かめようがないし。あ、頼んだもの、買って来てくれた?」
小夜香は頷き、手に提げたコンビニ袋をがさがささせながら、ビニール紐を取り出し、彼に渡した。
「懐中電灯は、部室の備品を借りてきた。」
百瀬先輩が、懐中電灯を差し出した。
「有難うございます。」
雅弥は、ビニール紐の先を、床下の中へと続いている梯子段の一番上にしっかりと結びつけた。
「こうして結んだ紐を引っ張りながら行けば、戻ってくる時、迷わないと思うんだ。中が、どうなってるかわからないからね。有賀さんは、ここで見張ってて。俺と先輩で、降りるから。百瀬さん、すいませんけど、いいっすか?」
「なんでよ?」
予想通り、小夜香が反対した。
「推薦枠の委員は、私だけど? 私が一緒に行く。これって、特選の仕事でしょ?」
雅弥は、言葉に詰まった。ここで、うっかり「危ないかもしれないから、女の子は・・・」などと口走ってしまったら、相沢団長の二の舞である。
「いや。俺が行くよ。」
そこへ百瀬先輩が、穏やかに、しかし、きっぱりと割って入った。
「これは、長野至誠に直接対峙する行為じゃない。いわば、そのための予備調査みたいなものだ。ならば、俺が応管の一員として協力するのは、何の問題も無い。それに、折角、ここまで呼ばれて出向いて来たのだから、俺も何の役にも立たずに帰るのは、残念だ。だから、申し訳ないがここは譲ってもらえないか?」
理路整然かつ紳士的に諭されて、小夜香も、それ以上、反駁できなかったのか、しぶしぶ承知した。そもそも百瀬先輩を連れて来たのは、彼女自身であった。
先輩は、躊躇うことなく梯子段に足を掛け、さっさと下へ降り始めた。雅弥も、懐中電灯とビニール紐の玉をコンビニ袋に入れて腕に引っ掛け、急いで後に続いた。
「気をつけて。」
小夜香が、頭上で囁き、床板を閉じた。途端に真っ暗になったが、梯子を握って両手が塞がっているので、とりあえずそのまま一段一段、暗闇の中、足元を探りながら慎重に降りた。三段・・・五段・・・十段・・・と、注意深く梯子の数を数えながら、下へ下へと降りていった。
だが、すぐに百瀬先輩の、
「一番下まで、着いたぞ。」
という声がした。十八段降りたところで、雅弥の足も床に着いた。雅弥は、懐中電灯を取り出して、周囲を照らしてみた。そこは、狭い廊下のような場所で、両手を広げると左右に手がつくほどの幅しかない。通路は、そのまままっすぐに続いており、床も壁も、板張りである。二人は、そこを進んでいった。しかし、いくらも進まないうちに、廊下は唐突に行き止まりになった。正面に、壁が立ちはだかっている。
「これ以上、進めないのかな。」
先頭にいる先輩は、呟きながら手を伸ばし、両手のひらで撫でるように目の前の壁を押した。すると、音も無く、すっと壁が押されて外側へ開いた。
「えっ、なんだこれ。」
と、一歩踏み出した先輩の背後で、壁がすっと自動的に閉じた。壁板一枚を隔てて、二人はあっという間に分断されていた。
「わっ!」
いきなり目の前で先輩の姿が消えて泡を食った雅弥は、転げるように前へと踏み出し、なかば体当たりするような格好で壁を押し開け、先輩の隣へ飛び込んだ。背後で、また、自動的に扉が閉じた。
「これ、どうなってるんだ?」
二人はキツネにつままれた様な表情で、顔を見合わせた。懐中電灯の明かりで仔細に壁を点検してみると、そこは、一種の隠し扉になっていることがわかった。一見すると、壁のようだが、雅弥が持っていたビニール紐が、ぴったりとした板目の間からのぞいていた。懐中電灯を近づけて照らしてみると、わずかな隙間がある。ちょうど月見櫓にあった床板の隙間と、同じような細工である。そこに爪を引っ掛けて手前に引っ張ると、扉が手前に向かって開き、二人が降りてきた梯子団へ通じる廊下が目の前に現れた。しかし、手を離した途端、勢いよく扉は閉まる。
「どうやらバネ仕掛けになってるっぽいな。」
扉を吟味しながら、先輩が言った。一旦、閉まってしまうと、一見しただけでは、そこに扉があるとはわからず、完全に廊下の壁の一部にしか見えなくなる。
「おまえが、紐を引っ張ってて良かったよ。」
百瀬先輩がほめてくれた。
「紐が壁から出てなかったら、絶対、どこが仕掛け扉になってるかわからないとこだったよ。」
それから、先輩は、左右を懐中電灯で照らして先の方の様子を伺った。そこは、やはり通路だが一段と狭く、二人が出てきた扉を背にして立つと、左右の両方に続いている。
「先輩、どっち行きましょう?」
「う~ん、じゃあ、とりあえずこっちへ。」
見たところ、どっちでも大して違いはなさそうで、適当に選んだ右の方へ彼らは進み始めた。
けれど、二人がまだそれ程進まないうちに、狭い通路の足元がそのまま小さな階段に変わり、それを上るにつれ、頭上にうっすらと光が差し始めた。それと同時に、ざわざわとした人の気配がした。騒がしいわけではないが、大勢の人の声がする。途端に、ひょいと頭が地上へ出た。見渡すと、高い天井の和風の建物の中に居る。安置された仏像を、人々が頭を垂れて拝んでいる。寺か? ここは、寺なのか? 混乱しつつ雅弥は、自問した。
「ここってさ、ひょっとして・・・」
後ろから登って来た先輩が、ぐるりと頭を巡らし、仏像を仰ぎ見ながら呟いた。声が、若干、うわずっている。
「善光寺・・・なんじゃね?」
雅弥は、きょとんとした。
「えっ、いや、あの、なんでわかるんっすか? まあ、確かにお寺っぽいっちゃ、お寺っぽいっすけど、俺、あんまりそういうの詳しくなくて、見ただけじゃ・・・。」
「いや、わかれよ! 小学校の社会見学で、来たことあるだろーがっ! それに、俺たちが出て来た所を見てみろよ。」
先輩は、二人が出てきたばかりの階段を指差した。
「これって、どう見たって、戒壇巡りだろっ!」
「あっ!」
さすがの雅弥も、ようやく思い当たった。戒壇巡りとは、善光寺の本堂地下に設けられた回廊で、人々は、暗闇の中を手探りで一周し、本尊の下にある「極楽の鍵」と呼ばれる鍵を見つけてそれに触る。鍵に触れることで、極楽浄土へ行けると言われている。
「うわっ、本当だ。善光寺・・・って、えええっ! 善光寺があるのって、長野市っすよ。有り得ない・・・。」
雅弥は、呆然としながら、手に握ったビニール紐の玉を見詰めた。紐は、まだたっぷりと残っている。
「俺ら、この紐を引っ張りながら、何メートル進んだか・・・。紐、まだこんなに残ってるし。」
「ああ。」
「松本と長野って、どれくらいの距離でしたっけ?」
先輩は、ポケットからアイフォンを引っ張り出して、地図を調べ始めた。
「直線距離にして、およそ、五十キロ、ってとこだな。」
「・・・・・・。」
雅弥は、黙り込んだ。床穴から通じる通路に、何かしら至誠高校の行動力・機動力の秘密があるだろうと、ある程度は予想していたが、それが物理的法則をも無視したものであるとは、さすがに予想の範疇外だった。くらくらした。理系選択予定の理学部進学志望者として、これを認めていいのだろうか? いや、こんな事態は、とてもじゃないが受け入れられない!
「おい。」
雅弥のそんな動転っぷりには目もくれず、アイフォンの操作に没頭していた先輩が、画面の地図を目の前に付きつけた。
「見ろよ。ここから、至誠高校まで近いぞ。約一キロってとこだ。連中にとっては、自分達の学校から長野駅に行くより近い。」
二人は、しばし、無言で見詰めあった。様々な憶測と推測が、脳裏で乱れ飛んだが、ほぼ同じ結論へ到達しつつあることが、互いに手に取るように感じられた。
「つまり、これが、」
やがて、先輩が、搾り出すような声で言った。
「長野至誠の秘密ってわけか。そりゃあ、しょっちゅう音和に出没できるわけだよ、これじゃ。楽勝だよ。簡単すぎる・・・。ううむ・・・。で、これから、どうする? 一応、至誠にまで行ってみるか? 確認というか、念のため。」
「いや、先輩、それは、無理っす。」
「どうして?」
雅弥は、二人の靴下を履いただけの足元を指差した。
「靴がないっす。」
「は?・・・あああ!」
松本城の天守に入る時に脱いだ靴は、小夜香に預けてきてしまったのである。
「そっか、城で脱いできちゃったんだっけ。」
「それに、有賀も心配してると思うんで、一旦、戻りましょう。」
「了解。あ、懐中電灯は点けるなよ。戒壇巡りで、そんなの点けてたら、大顰蹙だ。他の人が居なくて良かったよ。俺たち、ずっと懐中電灯点けて歩いてたもんな。」
二人は、大急ぎで再び戒壇巡りの階段を降りて戻り、暗闇の中をビニール紐を手繰って、バネ仕掛けの隠し扉を見つけ出した。そこをくぐりって少し進めば、あっけないほど簡単に、月見櫓へ戻る梯子段に出た。梯子の上まで登って、床板を押し上げると、小夜香が、わっと驚いて、座ったまま後ろへ飛び退った。
「ちょっと、ちょっと。」
どっこらせと床板から這い出してきた二人を、彼女は声を潜めて叱責した。
「いきなり出てこないでよ。びっくりするじゃない。それに、もし今ここに誰か居たらどうするつもり? 見られちゃ、まずいでしょ。ついさっきまで、大勢人が居たんだからね。」
「あっ、そうか。」
雅弥は、秘密の通路の行く先を発見したことにすっかり気をとられ、用心することをまるで忘れていた。
「ごめん、ごめん。次は、床を下から叩いて合図するから。」
「うん。で、どうだった?」
「すごいよ。」
雅弥は、今更ながら沸きあがってきた興奮を抑えきれずに、息を弾ませた。既に彼は、この際、物理的法則は、無視しても構わないという心の境地に到達していた。
「有賀も、来いよ。」
「うん、そうだね。今度は、有賀さんが行って来な。ここの見張りは、俺がやるから。あ、二人とも、靴を忘れるな。」
「えっ、ちょっ・・・待ってよ。行くのはいいけど、どこに・・・。」
戸惑う小夜香を、いいからいいからと雅弥は急き立て、自分の靴の入ったビニール袋を勢いよく引っつかみ、再び梯子段を降り始めた。
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