第5話 金鵄の旗
日曜の朝ではあったが、校内は既に平日と同様の活気を帯びて騒がしかった。先週から、各部では朝連が始まりっていた。校庭では白球が飛び交い、吹奏楽部は、音出しをしていたし、体育館では、バスケ部やバレー部の部員達が、準備体操に余念がなかった。そんな騒がしさの中、三人は渡り廊下を抜け、部室棟へと足早に向かっていた。
「失礼します。」
と、声を掛けながら、彼らが遠慮がちに中へ入ると、奥で頭を寄せ合って話し込んでいた数人が、一斉に振り返った。
「ああ、ご苦労様。悪いね、朝からあちこち引っ張りまわして。早速だけど、これ、見て。」
相沢団長は、そう雅弥達をねぎらいながら、手にしていた大きな布を、彼らの目の前に広げた。
それは、旗だった。優勝旗位の大きさで、手製なのか、旗竿部分は、ホームセンターの園芸売り場で売っていそうな細いプラスチックである。旗の部分は、黒い生地に、枝にとまった鵄(とび)の意匠が金色で描かれていた。
「あっ、これ!」
つい無意識に、雅弥の口から勝手に言葉が飛び出した。
「これって、至誠高・・・校・・・の・・・。」
皆の視線が一斉に自分に注がれるのに気付いて、雅弥はドギマギしながら、口ごもった。
「その通り。」
相沢団長が、勢いよく頷いた。
「長野至誠高校の校章だ。今朝、校門のところに置いてあったんだ。ほら。」
団長は、旗竿に結び付けられた幅広の白いリボンを引っ張って、一年生達に示した。そこには、跳ねるように流麗な筆跡で、
「長野至誠高校、ここに見参!」
と書かれていた。
「これって、どういう意味なんですか?」
と、宗佑。
「特に意味はない。」
きっぱりと団長は答えた。
「単なる嫌がらせだ。我々への挑発行為だ。連中の示威行為だ。要するに、音和を馬鹿にしているのだ。今年もやるぞという、連中の意思表明、宣戦布告だ。」
長野至誠高校は、松本音和高校の積年のライバルと言われている。両校は常に競い合い、その争いは、模試での成績争いに始まり、東大・京大への進学者数、各部活の県大会の結果、果ては文化祭の女装コンテストの優勝者が、どっちがより可愛いか、などというおよそ不毛な争いに至るまで、ありとあらゆる分野に及んだ。
至誠高校の前身は、長野県初の旧制中学校で、小林宇也先生は、まずそちらへ赴任したのだが、数年後、この学校は、師範学校へ改められた。旧制中学は、長野市から松本市へと移ることとなり、旧制音和中学が創設され、この変革に伴い、小林先生も松本へ転任、以来、退職まで校長として職を全うした。いわば、この両校は、等しく小林先生の薫陶を受けた兄弟校でなのあり、設立当時から現在に至るまで、延々と兄弟喧嘩を繰り広げる犬猿の仲なのであった。
「諸君、これは、明らかに我々を愚弄する行為である。」
団長は、苦々しげに団員達へと語りかけた。
「早急に、対策を立てんといかん。ただちに反撃せねば、音和の名誉に関わる! あいつらには思い知らせる必要がある!」
「異議なし!」
「異議なし!!」
団長の演説に、先輩達は、口々に賛同を示したが、一年生達は、状況についてゆけず、ぽかんとしたままだった。入学したての彼らに、愛校精神は、まだまだ乏しい。
「しっかりしろ。」
団長は、頼りない一年生達を叱咤した。
「君ら推薦枠の役目だぞ。」
「は・・・?」
三人は、依然として戸惑ったままである。話の流れが、まるで見えない。
「えっと、あの、それは一体どういう・・・?」
おずおずと雅弥は、問いかけてみたが、なんとなく嫌な予感に襲われた。そろそろ、話の流れが読めるようになってきた自分自身が、情けなくも恨めしい。
「我が校の応管と、至誠のそれとの争いごとは、特別推薦枠の委員達のみに委ねられるている、という意味だよ。だから、実際に行動するのは、君達なんだ。」
「なんでですか?」
噛み付かんばかりの勢いで、小夜香が詰問した。
「先輩達だって、応管の委員じゃないですか?」
団長は、重々しく首を振った。
「生憎と、俺らは、両校の間の揉め事に、直接参加はできないんだ。規則上、禁じられている。それが出来るのは、推薦枠の委員だけなんだよ。」
「だから、それは、なんでなのか、って訊いてるんですっ。」
小夜香の眦が、釣り上がっている。
「そりゃね、収拾がつかなくなるからだ。」
彩香の剣幕にも少し怖じず、相沢団長は、落ち着き払ってあっさりと答えた。
長野至誠と松本音羽の間の競争心は、明治以来の長きにわたる。学校間のこの闘争心は、これまでにも種々雑多な揉め事を引き起こし、特に戦前の旧制中学の生徒達は血の気が多いのか、場合によっては、互いに鉄拳を振るい合う乱闘騒ぎすら辞さなかったという話もあるほどだ。そうした騒動が何度か繰り返された挙句、さすがにこれはいかんと、両校の代表間で、話し合いが持たれ、結果、直接争ってよいのは、双方で選ばれた学校代表の生徒のみ、しかも決して腕力に訴えてはならず、知力を尽くして戦うべし、と厳しく取り決められた。
「その代表が、私達だっていうんですか?」
「そういうこと。両校の応援団に、特別推薦枠委員があるのは、そのためなんだよ。至誠は、どういう訳か、代々書道部員から、応管特別推薦枠を選ぶらしいけど。妙な習慣だよね。だが、まあ、話を戻すと、君達は、音和の代表なんだ。至急、今後の対策を考えておいてもらいたい。単刀直入に言えば、反撃しろという意味だ。ただし、あくまで平和的に。穏便な手段で。なおかつ、出来るだけ相手を悔しがらせる方法で、よろしく頼む。」
言いたいだけ好き放題注文を並べたてると、団長は壁にかかった時計を見上げた。
「さてと、今日のところは、以上だ。悪いが、これから生徒会との打ち合わせがあってね。失礼する。」
団長は、さっさと部室を出て行ってしまった。面倒なことになった、と雅弥は内心、溜息を付いた。
「えっと、あのう、僕も、もう帰っていいですか?」
宗佑が、先輩達の誰にともなく、質問した。
「うん、いいよいいよ。お疲れ様。」
百瀬先輩が親切に言ってくれたので、宗佑は他の先輩達に軽く目礼して立ち去り、小夜香はつんと頭をそびやかして、不機嫌そうに無言のまま部室を出て行った。
雅弥も、帰ろうと思ったが、気になることがあって、ぐずぐずとその場に残っていた。が、やがて、意を決して、百瀬先輩に近づいた。
「あの、先輩・・・。」
「ん? どうかした?」
「えっと、その、ちょっと、聞きたいことが・・・。」
言いながら、彼は他の先輩たちの方へ、ちらりと視線を投げた。百瀬先輩は、素早く察して頷いた。
「ああ、わかった。外へ出ようか。」
プレハブの部室の外へ出て、二人は並んで、渡り廊下をぶらぶらと歩き始めた。
「それで? どうしたの?」
先輩が、促した。それは、どちらかといえば、親切な口調だった。歌練で初めて見た時は、ひどくおっかない人物に思えたが、今はそうでもない。
「百瀬さんが、俺のこと、特別推薦枠に選んだんですよね?」
「ああ、うん。六組の担当だったから。」
「それで、あの・・・なんでかなって、思って。つまり、その、どうして俺だったのかな、って・・・ええと、だから・・・。」
言葉に詰まった一年生を先輩は、面白そうに眺めた。
「ああ、そういうこと。どうして、俺が、岩崎を選んだのか、知りたいんだ?」
「ええ、まあ。」
もごもごと言葉を濁しながら、雅弥は、こくこく頷いた。
「団長からも聞いてると思うけど、あの日、応管全員が籤を引いて、三人が当たった。俺は、そのうちの一人で、それはつまり俺の担当の六組の中から誰かを選ぶという事だった。誰を選ぶかは俺の自由だけど、一応、選考の基準というか、指標のようなものは、あらかじめ言い渡されていた。何だかわかる?」
雅弥は、まごつきながら首を振った。先輩は、いかつい顔をにやりとさせた。途端に素朴な愛嬌が、こぼれる。
「なるべく、つまんなそうな顔をして、やっかいごとなんてご免だ、っていうようなやつを選べ、って言われたんだ。」
「なんすか、それ?」
思わず、雅弥は抗議した。
「俺、そんなつまんなそうな顔してました?」
「してたねぇ。」
先輩は、愉快そうに答えた。
「今、ここの教室の中で起こってることなって、俺には全然関係ない、早いとこさっさと終わってくれ、みたいな顔して座ってたよ。やる気のなさが、駄々漏れだった。」
雅弥は、自分の頬がて赤らむのを感じた。図星すぎて、反論の言葉が出ない。
「ただ、まあ、そう思ってたのは、何もお前だけじゃなかったと思うよ。多かれ少なかれ、みんなちょっとはそんな感じだったんじゃないかな。」
「だったら、なんで俺だったんです?」
ぶすっとむくれて、雅弥は追求した。
すると、先輩は、おもむろに雅弥の襟元を指差した。
「これだよ。」
「・・・・・?」
「ここにさ、おまえ、あの時も校章付けてたじゃん。今みたいに。」
雅弥は、面食らった。
「はあ、まあ、付けてましたけど。でも、それが何か・・・。」
「歌練の時から、おまえには目ぇ付けてたんだよな。おまえ、初日から、全然、やる気なさそうだったから。でも、その時、校章つけてるのに気が付いててさ。なんで、いっつも付けてんの? 私服にそんなん付けてる生徒って、いねぇだろ? 俺も、応管で学ラン着る時にしか、付けねえしさ。」
「いや、あの、好きなんで、なんとなく。」
自分が幼児期からの筋金入りの文様マニアであり、記号・家紋・校章・記章、道路標識に至るまで種類を問わず、記号という呼号を愛好しているとをざわざわここで告白するのも面倒で、彼は曖昧に言葉を濁した。
「ふうん、まあ、いいや。でもさ、俺、それ見て、いいな、と思ったんだよね。なんとなくおまえの愛校精神を感じた。やる気はなさそうだけど、見所はあるかなって。」
いや、先輩、それは大いなる誤解です、俺には、愛校精神と呼べるような立派な代物は、かけらもありません、と彼は主張したかったが、また話がややこしくなりそうなのでやめておいた。
「あと、もうひとつ。実は、俺、お前のことを知っている。」
「えっ!」
「小学校の時、緑色のランドセル背負ってたろ?」
「いえ、抹茶色です。」
間髪を入れずに、雅弥が訂正した。単なる「緑色」と「抹茶色」とでは、雲泥の差であると常々考えていたので、その点ははっきりさせておかねばならない。
「うん、まあ、どっちでもいいけどさ。あの色、結構、目立ってたからね。それでなんとなく、顔に見覚えがあったんだよ。学年は、一つ下だけど。」
小学校入学前、両親とランドセルを買いに行った彼は、売り場にあった抹茶色のランドセルが一目で気に入てしまった。
「でもねえ、他の男の子達は、きっとみんな黒のランドセルだと思うけど。」
これが欲しいと主張する彼に、母は渋い顔で危ぶんだ。当時、カラーランドセルは、流行り始めたばかりの頃で、まだまだ珍しかったのだ。結局、自分が気に入ったものなら、きっと大切にするだろうから、という父の最終的な判断で、雅弥は、その抹茶色のランドセルを買って貰えた。入学してみると、案の定、新一年生の男の子達は、ほとんど黒のランドセルで、わずかに青色の子が数名いただけだった。しかし、元来、あまり周りを気にしない性質ではあるし、女の子の中には、ピンクやオレンジのもっと派手なランドセルを背負っている子達も居たので、それ程、目立っているという自覚はなかった。
「いや、相当、目立ってたし。でも、まあ、いいじゃないの、鶯色。渋くてさ。」
「抹茶色です。」
重ねて、雅弥は訂正した。
「じゃあ、百瀬さん、小学校、同じだったんですね。なら、近所、ってことですね?」
「おう、弘法山古墳のすぐそば。中学も一緒だよ。千鹿頭(ちかとお)中だもん。な? こんだけ色々、重なったら、おまえのこと選ぶだろ? あ、そういうわけだから、郷友会も一緒な。おまえ、来年、代表やれよ。今年、俺やってるから。」
「勝手に決めないで下さい。っていうか、郷友会って、何ですか?」
「入学式の後、説明あったろ。出身中学ごとの団体だよ。千鹿頭出身は、そんなに人数多くないけどな。毎年、四・五人ってとこ。」
「・・・はあ。」
話が、大分逸れている。
「まあ、だいたい、そんなわけだ。とりあえず、頑張れ!」
先輩は、ぽんぽんと雅弥の肩を叩いて、笑った。
それから、真っ直ぐ帰宅すると、いつものように母が、出迎えた。
「お帰り。合宿、どうっだった?」
国宝の城に、不法侵入して一夜を明かしてくる、ともまさか言えないので、母には、委員会の研修で、学校で合宿する、と誤魔化して伝えてあった。
「疲れた。」
「お腹すいてる? なんか食べる?」
「朝ごはんは、みんなと食べてきた。先輩が奢ってくれた。」
「あら、良かったわねぇ。」
母は暢気にそう言うが、雅弥としては、あまり心から素直に賛成する気になれない。
「でもさ、なんか、音和って、変な学校だよ。変わってる。」
ぼそっとこぼすと、母は、
「そりゃそうよ。」
と我が意を得たりとばかり、頷いた。
「だって、信州って、紅白饅頭にお赤飯入れるような、信じられない所よ? そんなの変に決まってるじゃない。」
雅弥の保育園の卒園式で、お祝いの紅白饅頭の中に、甘く炊いた赤飯が入っていて、名古屋出身の母は、強い衝撃を受けたという。
「紅白饅頭なら、普通、小豆餡でしょう! お米をお饅頭で包むなんて信じられない! それって、パンにご飯を挟んで、はい、サンドイッチ、っていうようなもんじゃない! 」
母は半ば憤慨しつつ、今でも折に触れてそう力説する。
「だからね、ここではどんなに変な事が起こったって、ママは、ちっとも驚かないな。」
母の主張する通りかもしれないな、と雅弥は考えた。とにかく、入学して以来、これだけ立て続けに変な事ばかり起こるのだ。これはもう土地柄とでも思って納得しておく他にないような気がしてきた。
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