第4話 朝食と報告

 翌朝、雅弥は、宗佑に揺り起こされた。欠伸交じりに腕時計に目をやると、既に六時を過ぎていた。周囲は、もうすっかり明るくなっている。

「出来るだけ早く、ここを出よう。折角、ここまでうまくいったんだから、見つからないうちに逃げ出さなくちゃ。」

宗佑は、そう言いながら、せっせと荷物をまとめている。小夜香は、朱色の欄干にもたれて、外を眺めている。

「駄目だよ、そんな所に居ると、誰かに見られるよ。」

と、宗佑が見咎めたが、小夜香は、

「大丈夫。」

と平気な顔をしている。雅弥もつい気になって、小夜香の隣から内堀を見下ろしてみたが、水面には桜の花びらが浮かび、カルガモや白鳥などの水鳥が、暢気に泳ぎ回っているばかりである。

「あの鳥達、龍に食べられちゃったりしないのかな?」

小夜香が呟いた。

「っていうか、龍って、何食べるんだっけ?」

そんなことを聞かれても、雅弥としては、答えようもない。

 それから、三人は大急ぎで昨夜のささやかな宴会の残骸を片づけ、寝具を鞄やデイバックに詰め込み、一夜を過ごした城からの撤退を開始した。

 天守の鍵を閉め、昔は本丸のあった中庭を横切る。

「黒門じゃなくて、太鼓門から出るんだったよな?」

相沢団長に言われたことを思い出しながら、雅弥が念のため確認すると、宗佑は頷いた。

 太鼓門を抜け、外堀を渡る。道路を挟んで向こう側には、市役所の建物がある。やれやれ、これで、脱出完了、任務完了、とばかり雅弥は胸を撫で下ろした。

「でも、なんか割と楽しかった。」

小夜香が、ぽつりとそう漏らした。

「え? 何が?」

面食らって、雅弥は問い返した。

「夜のお城に泊まったこと、結構、わくわくしなかった?」

「そーかー?」

雅弥は、首を捻った。

「ひやひやならしたけどさ。」

宗佑も、何か言いかけたが、あっ、と小さく叫んで、その場でそのまま立ちすくんだ。

「ねえ、あれ。」

彼が指差す方に目をやると、車のほとんど途切れた早朝の道路を二台の自転車が近づいてくる。一人は、相沢団長で、もう一人は、雅弥を推薦枠に選んだ、二年の百瀬先輩だった。

「やあ、おはよう。」

朝の爽やかさに負けない朗らかさで、相沢先輩は、固まっている一年生達に挨拶した。

「朝飯、食いに行こうぜ。奢ってやる。」

そうして、三人は有無を言わせず、大名通りにあるパルコ近くのファミレスへと連れて行かれた。


「で、どうだった?」

湯気の立つコーヒーのカップ越しに、相沢団長は尋ねた。隣では、百瀬先輩が黙々とベーコンを添えたパンケーキにナイフを入れている。

「はあ、まあ・・・。」

運悪く団長の真向かいに座ってしまった雅弥は、相手の目線から逃れようと、曖昧に言葉を濁しながら、目を逸らした。助けを求めるように宗佑へ視線をやったが、彼はあからさまに雅弥の無言の哀訴を無視し、味噌汁を箸でかき回すのに忙しいふりをしている。小夜香も、カフェオレに砂糖を入れてかき、混ぜながら、卓上の砂糖壺をさも興味深げに眺めて、絶対に目線を上げようとしない。 

「まあ、君達が、ちゃんと月見櫓で一晩過ごしてくれたのは、わかってる。ただ、もうちょっと詳しい報告をしてもらいたいな、と。」

団長は、意味ありげにそこで言葉を切った。雅弥は、無性に自分も何かかきまわしてこの場をやり過ごしたかったが、生憎と彼が注文したトーストにスクランブルエッグ、オレンジジュースの中には、一つとしてかき回せるものがなかった。。

 団長は、首を傾げ、無言のまま、じっと雅弥を見詰めている。

 とうとう雅弥は観念し、腹を括ると、ぽつりぽつり、昨夜の体験を語り始めた。首尾良く夜の天守に忍び込んだこと、最上階の天井裏でノートを見つけ出し、指示通り記名したこと、月見櫓へ移動し、そして、そこで・・・龍を見たこと。

 語りながら、余りに途方もなさすぎて、どんな下手な作り話でも、これよりは本当らしく聞こえるのではないかという気がして、雅弥ははなはだ居心地悪かった。しかし、彼が言葉に詰まるたび、宗佑と小夜香が言葉少なにではあるが助け舟を出し、なんとか最後まで話し終えた。

「で、君たちは三人とも、それを見たんだね。」

話を聞き終えて、相沢団長は、尋ねた。三人の後輩達は、揃って頷いた。

「そして、それは、白い龍だった、と?」

雅弥は、少し考えた。

「白というか、正確には、少し透き通るような、光るような、そんな感じでした。水に濡れていたから、光が反射していたのかもしれません。」

「ふむ、そうか。」

団長は、深く息を吐いた。

「ということは、今年は出たんだな。話の様子からして、同一個体のようだ。」

「そうみたいですね。」

百瀬先輩が、淡々と相槌を打った。

 一年生達は、ぽかんとして二人の先輩を交互に見比べた。二人とも、落ち着き払った様子をしている。

「あの・・・、ひょっとして、先輩達も、知ってたんですか? 見たことあるんですか? あれを・・・。」

雅弥が、半信半疑で尋ねた。

「見たことはないな。」

団長は、あっさりと否定した。

「ただし、記録は残っているから、知ってはいるよ。君達より以前で、一番新しい目撃情報は、五年前だ。どうも毎年現れるというものではないらしい。興味があったら、詳しい記録が残っているから、見てみるといいよ。そこらへんは百瀬が、詳しいよ。彼は、応管と郷土史研究会との兼部だから。」

百瀬先輩、柔道部じゃないんだ、と雅弥は、内心でひとりごちた。てっきりその手の格闘技系の運動部か何かだと思い込んでいたのだが。人は、案外と見掛けによらない。

「でも、それじゃあ、あれは、何なんですか?」

宗佑が、質問した。

「おそらく水神の一種だろう、と言われている。少なくとも、小林宇也先生は、そう考えておられた。」

急に初代校長の名前が出てきて、一年生達は、面食らった。

「そもそも、白龍を最初に見たのは、一説によると小林先生だということだ。その前にも、龍の存在は知られていた、という話もあるが、はっきりしたことは今はもう誰にもわからない。先生が、倒壊しかけた松本城の修理に奔走された話は、この前したよな? 長い歳月をかけて修復が完了した時、先生はそれを祝って数名の生徒らを連れて月見櫓で宴を設けたそうだ。そして、その晩、その場所で、龍を目撃されたという。以来、毎年、四月上旬の一日を選んで、音和生数名が、月見櫓で一晩を過ごすのが慣例となったそうだ。昨夜、君ら三人が城へ送り込まれたのも、そのためだ。ただし、当事者達には、あらかじめ龍の話はしない決まりになっている。何事も、先入観のない目で観察することが大事だ、と先生は、お考えだった。先生は、物理学を専攻された科学者だったからな。東京理科大の前身となった学校の創設メンバーの一員だったくらいだ。科学的思考というものを重要視されたわけだ。」

「科学的って・・・。」

呆れて雅弥は、ついつい口を挟んだ。

「龍とか水神とか、それって全然科学的じゃないじゃないですか?」

「まあ、確かにそういう考え方もある。だが、しかし、そ果たして本当にそうかな?」

穏やかに団長は、反論した。

「そんなものが存在するはずがない、と決め付けることの方が、むしろ非科学的なのではないか? 小林先生は、龍を目撃された。そのため、その後も観察を続けるよう体制を整え、生徒達に指示を残された。すこぶる科学者らしい態度だと俺は思うね。違うか?」

そのように理路整然と反駁されると、雅弥としても反論の言葉に詰まってしまった。なんとなく団長の言う事が、正しいような気がしてきてしまう。

「ただ、まあ、確かにぶっとんだ話ではあるよね。年に一度、こうやって龍の出現を百年以上、観察し続けるなんてさ。昔の生徒の中には、春以外の季節にも龍が出るんじゃないかって、長期期間見張りをしてみたり、お堀に飛び込んで探そうとしたりする豪の者も居たらしい。音羽高校が、まだ旧制中学だった頃の話だけど。昔の生徒って過激だよね。でも、全然、駄目だったらしい。それで、結局、年に一度、春先にこうして月見櫓で過ごす、っていう形に落ち着いたんだそうだ。」

「あの龍が、水神って・・・、それって水の神様っていうことですよね? どうして先生は、そんな風に思われたんでしょう?」

宗佑が、尋ねた。

「んー、それは、先生も科学の徒とはいへ、江戸時代の終わりに生まれた明治の人だからなぁ。そういう古い信仰というか、アニミズム的な思想というかが、自然と身に染み付いていらしたのかもしれないな。もともと龍は、治水と関係の深い存在だったそうだ。ほら、泉小太郎伝説だとか、龍の子太郎の話の元になった民話だとかさ、ああいったのは、農作のための治水に関わる伝承なんだそうだよ。それに、松本は、湧き水の多い土地だ。山からの伏流水が浸み出して、お城の周りにも井戸や泉が何箇所もあるだろ? そして、春は田に水を張る季節だしね。そんなこんなで、先生が龍の出現を水とを結び合わせたのも、わからなくもない・・・といっても、これは全部、百瀬からの受け売りなんだけど。こいつ、こういうことには詳しいんだ。な?」

団長は、そう隣の先輩の方を見やり、同意を求めた。先輩は、既にパンケーキとベーコンを食べ終え、悠然とコーヒーを飲みながら、頷いている。

「それに、昨晩、実際、龍を見たのは、君らの方だろう? だから、俺らが、こんな話を一生懸命、君達に力説するのも、おかしな話じゃないか。」

言われてみれば、確かにそうだ。一年生達は、なんとなくそれで納得せざるを得ないような気がしてきた。

 その時、唐突に、誰かの携帯が鳴った。

「あ、ちょっと、ごめん。」

相沢団長が、ポケットから携帯を取り出した。

「もしもし? うん、うん、どうした?」

団長の顔色が、変わった。

「えっ! 場所は? 校門前? うん・・・うん、わかった。・・・ああ、部室に運んでおいてくれ。俺も、すぐ行くから。・・・いや、今、一年達と飯、食ってるとこ。・・・そうだね、じゃ、よろしく頼む。 」

険しい表情で、団長は電話を切った。

「おい、百瀬、やられたぞ。長野至誠だ。」

ウエイトレスから、コーヒーのお代わりを注いでもらっていた百瀬先輩の顔つきが、さっと厳しくなった。

「もうですか? 今年はまた、随分と早いですね。」

「うん。あっちも、代替わりしたはずだから、もうちょい先かと思ってたが、予想以上に早かったな。塩ノ崎が、さっき登校して見つけたんだと。」

話についてゆけない一年生達は、無言のまま戸惑った視線を落ち着かなげに互いに交わした。

 団長は、カップに残っていたコーヒーを一気に飲み干すと立ち上がった。

「悪いけど、俺達、これからすぐ学校へ行かなきゃならなくなったから。そういえば、お前ら、自転車は、どこに置いてある? 学校?」

「いや、駅前の駐輪場です。」

と、雅弥。

「じゃあ、まず、自転車、取って来い。それから、応管の部室に来てくれ。待ってるから。」

「えっ、今からですか?」

小夜香が抗議するように声を上げたが、相沢団長と百瀬先輩は、それに構う余裕もない様子で、慌しく店を出て行ってしまった。一年生達だけが、ファミレスの座席に取り残された。

「私、早く帰ってお風呂に入りたかったのに・・・。」

ぶつぶつと小夜香が、誰にともなく文句を言った。

「それじゃあ、有賀は帰る?」

出来れば自分もそうしたくて、雅弥は尋ねてみた。昨晩は、余り熟睡できなかったせいか、どうも頭がすっきりしない。一度、家に帰って、自分の部屋でゆっくり寝なおしたかった。

 小夜香は、少し迷うふうだったが、すぐに首を振った。

「ううん、やっぱり行く。なんか気になるから。」

「確かに先輩達、ちょっと様子が変だったね。行ったほうがいいんじゃないかな。」

宗佑も相槌を打つ。雅弥は、やれやれと思いながら、バター付きトーストの最後の一片をかじり、オレンジジュースで飲み下した。どうやら、帰宅する前に学校へ行くのは、避けられそうにないようだった。

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