第3話 月見櫓の一夜

 松本平は標高が高く、平地に比して気圧が低いため、ポテトチップの袋は、いつもパンパンに膨らんでいる。薄暗がりの中、丸山宗佑は、その膨らんだポテトチップ薄塩味の袋をごそごそと開いた。

「案外、簡単だったよね。それになんか、キャンプしてるみたいで楽しくない?」

本気でそう楽しげに言いながら、宗佑は、雅弥と小夜香に開けたポテチの袋を差し出した。彼らの傍らには、さっき三人でせっせと荷物を解いて広げた寝袋が三つ、きちんと並べてあった。確かにキャンプのように見えなくもない。しかし、この状況を楽しいと言ってしまっていいものか、雅弥としてはいささか疑問であった。実際、彼らが今やっていることは、明らかに不法侵入の真っ最中である。見つかって通報された場合、果たして高校生の悪ふざけとして、叱られる程度で済むのだろうか。

 三人は、松本城の観月櫓に居た。朱塗りの欄干からは、南側の内堀が見渡せる。ちょうど桜祭りが開催されている期間で、城内が閉門され、観光客が去った後も、城は美しくライトアップされていた。桜は満開を過ぎ、もうかなり散り始めていて、風が吹くたびに、花びらが照明の中をほろほろとこぼれてゆくのがよく見える。

 夜の天守閣に潜り込むのは、想像していたより容易だった。方法は、相沢団長から入念に指示され、必要な鍵もあらかじめ手渡されていた。

「これは、太鼓門の鍵。出る時は、こっちの門を使って。でも、一応、黒門の鍵も渡しとくよ。万一の場合に備えてね。それと、これが天守閣へ入る鍵。」

その他、寝袋や毛布、懐中電灯等の装備も用意されていた。だが、それにしても、どういう経路で松本城の鍵を音和高校の応援団が所持しているのか?

「鍵、あるんですね。」

受け取りながら、雅弥は思わずそう呟いた。三本の鍵には、それぞれ『天守閣』『黒門』『太鼓門』などと、ご丁寧にマジックペンで書かれた札が付いていた。

「え? 鍵? そりゃあるよ。なかったら、困るでしょ。中に入れないじゃないか。あ、終わったら、俺に返しね。戻しとくから。」

「戻すって、お城にですか?」

「ううん、校長室。」

あっけらかんと団長は答えた。

「校長室のドア入って、すぐ横の壁に掛けてあるんだ。他にもいろんな鍵があって・・・。」

団長は、不意にそこで何かに思い当たったかのように唐突に言葉を切り、黙り込んだ。何やらじっと考え込んでいる。

「やっぱ・・・ちょっとマズイ・・・かな、これは・・・。」

マズイというのは、お城の鍵が学校にあることなのか、それとも城の中で生徒を夜明かしさせることなのか、と雅弥がいぶかしんでいると、団長は、小夜香の方へ視線を移し、ゆっくりと首を振った。

「あのさ、有賀さんは、今回は参加しなくていいや。免除ってことで・・・ほら、よく考えてみたら泊まりだし。この春、卒業した特別枠委員の先輩達って、三人とも男子だったから、つい忘れてたけど、有賀さんは女子なわけで。それって何かと差しさわりがあるかも・・・と。」

小夜香は、眉根を寄せ、切れ長な眼で団長をきっと睨んだ。

「それって、つまり私が女子だから、駄目だっていう意味ですか?」

「あ、い、いや、その、決して、有賀さんが駄目とかそういうことじゃなくてね、ただ、その、色々と・・・。」

 団長は、年下の女子相手に気圧され気味に弁解した。

「えっと、ひょっとしたら本人が嫌かも、と勝手に気を回しただけで。無論、有賀さんが構わないなら、全然、大丈夫って言うか、むしろ有難いっていうか・・・。」

「なら、やります。」

にこりともせずに、彼女は断言した。

「別にこんなこと、やりたいわけじゃないですけど、女子だから、みたいな理由で外されるのは、納得がいきません。」

「あ、うん、悪かった。失言だったね、ほんと。参加してもらって、何の問題もないよ。あー、ほら、こいつら、全然人畜無害っぽいしさ。うん、大丈夫、大丈夫。」

失敬な、と雅弥は内心思ったが、あえて口は挟まなかった。隣の宗佑も軽く肩をすくめただけで、やはり何も言わない。結果として、男子二人は、己が人畜無害であると消極的に追認した形となった。

 こうして三人揃って城中へ潜入することになったが、桜祭りで無料開放されていた城内へは、ただ黒門から普通に入ればよかった。庭園内は、大勢の花見客で賑わっている。人混みに混じって、ぶらぶら歩き回りながら、三人は閉門時間を待った。時間潰しに、お互いの写真を桜を背景に撮りあったりして、傍目には浮かれた花見客となんら変わらない。

 やがて、八時になると、閉城を告げる放送が流れ、人々は潮が引くように去っていった。門が、閉ざされ、静まり返った庭園で、雅弥達は植え込みの陰に息を潜めて隠れていた。売店や切符売り場で働く人々も、やがて姿を消し、時折聞こえてくるのは、外堀の向こうの道路を走る車の音だけになった頃合を見計らい、三人は、隠れ場所からそろそろと身を起こした。足音を忍ばせ、天守閣へと続く巨大な石で作られた階段を静かに登った。黒々と聳え立つ雄々しい天守閣が、夜に紛れて国宝に忍び込もうとする罰当たりな高校生達を睥睨している。

 渡されていた鍵で、雅弥が天守の黒塗りの入り口を開けると、中は墨を塗ったように真っ暗だ。小夜香が懐中電灯の明かりを素早く点け、内部を照らし出した。三人とも子供の頃から遠足などで城へは何度か来たことがあるので、一応、内部の様子は心得ている。

「どっかに上履き入れる袋があったんじゃなかったけ?」

「うん、ほら、あった。あそこだ。」

「で、靴は持って上がるんだったけか?」

「確かそうだよ。」

などと互いに言い合いながら、三人は靴を入れたビニール袋を持ち、順路に従って階段を登り始めた。最初に目指すのは、大天守の最上階である。途中、昔城内で使われていた道具や鉄砲などの展示が、懐中電灯の光の輪にぼうっと映し出されるのを横目に見ながら、急勾配の木造の階段を登ってゆく。階段は、次第に小さく、狭くなってゆき、最後には梯子段になる。それを登ると、最上階である六階にたどり着いた。

「えっと、奥から数えて三番目の天井板、だったよね? ねえ、岩崎君、僕が肩車するから、ちょっと見てみてよ。」

宗佑に促されて、雅弥はしゃがんだ彼の肩に、おっかなびっくりまたがった。よろよろと危なっかしく、宗佑が、立ち上がる。

「うわっ、怖っ! おい、大丈夫?」

「平気、平気。どう? 届く?」

「うむ。」

雅弥は両手を伸ばし、天井板を押してみた。カタン、という音と共に、あっけなく板が外れた。そこへ手を突っ込んで、中を探ると、指先に何かが触れた。

「あった、あった。」 

彼は、興奮気味になる声を強いて押し殺し、埃だらけの平たい紙箱を掴んで引っ張り出した。

床に降ろしてもらい、皆で頭を寄せ合って、改めてその四角な箱に厚く積もった埃を拭った。

「これ、開運堂の菓子箱じゃない。」

埃を払った箱の表をしげしげと眺めながら、小夜香が呟いた。開運堂とは、お城の近くにある松本の老舗菓子屋の名前で、確かにその名が崩した筆文字で印刷されている。

 蓋を開けると、中から出てきたのは、一冊の古びたノートであった。表紙には、『松本音和高校 応管特選委員 月見櫓記』とある。最初のページに、昭和五十八年四月十一日という日付があり、生徒のものらしい三名の名前と、「月清くして、花散り乱れる城下の春、我等が音和生に栄光あれ!」と勢いのある文字で書き付けてあった。かれこれ三十年近くも昔のものである。以後、毎年、書き込みがあった。相沢団長に記入するよう指示されたノートは、これで間違いなさそうだった。

 三人は、今日の日付を書き込み、その下に順々に署名した。

「僕達も、何か一言、書き添えておくべきだと思う?」

と、宗佑が問うたのは、大抵の年に、何かしら文言が記してあったからだ。曰く、「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」という古典の教科書を丸写したようなものや、「任務完了! Mission complete!」だの、「中日優勝、万歳!」と関係ない事柄で、陽気な気勢をあげているのもある。イラストつきのもあった。何を書いてもよさそうだったが、果たして何を書いたらよいものか。

「岩崎君、書いたら?」

「えー、なんで俺が? 有賀さんが書けばいいじゃん。」

「じゃあ、丸山君は?」

「勘弁してよ。思いつかない。」

仕方なく雅弥は、しばし考えあぐねた末、

「松本山雅、J1昇格おめでとう!」

と書きこんだ。

「サッカー、好きなんだ。」

と、宗佑。

「うん、まあ、普通に。山雅は、それなりに応援してる。」

 紙箱を天井裏に戻すと、三人は、梯子段を降り、続いて階段を降り、階下の月見櫓へとたどり着いた。ここが、今夜の最終目的地だった。あとは三人で、ここで一晩過ごせばよいのだ。

 月見櫓は、大天守本体から張り出した造りになっていて、朱塗りの高欄に囲まれている。北東南の壁の舞良戸を外せば、三方が吹き抜けとなる構造だ。見晴らしの良い、少し広めの部屋、という感じの場所である。

「さてと。次は、ここで『清談に耽る』ことになってるわけだけど、」

宗佑が、首を傾げた。

「清談って、何? 何について話せばいいんだろう? 花鳥風月とか?」

「さあね、とりあえず何か話をすればいいんでしょ。別に、何だっていいじゃない。」

小夜香が、投げやりに答えた。

「とりあえず、先に寝る準備だけしちゃおうか?」

宗佑の提案で、三人は、荷物を解き、寝袋を準備した。

 かくて、宗佑がポテトチップスの袋を開けた章の冒頭場面に戻るのである。 

 雅弥は午後の紅茶のミルクティのペットボトルを三本、デイバックから引っ張り出した。夜食があった方がいいよね、と事前に意見が一致して、あらかじめ皆でコンビニで色々買いこんであった。他に、チョコレートやビスケットもあった。

 それにしても、彼らはなぜ、この城で夜を過ごさねばならないのか。相沢団長の説明によれば、

「それはね、小林宇也先生が、松本城天守の修理に関わっていたからなんだ。」

ということであった。彼の指差す先の部室の壁には、先生の肖像画が掛かっている。

 先生は、安政二年(1855)、和泉国の生まれで、旧制中学の校長として松本に赴任し、長くこの地の教育に携わった。当時、松本城は、明治維新後の混乱で放置され、朽ちるに任せられていた。中でも天守閣は傾き、倒壊の危機にあったが、これを憂えて立ち上がったのが、小林先生であった。先生は有志を集め、基金を募り、城の修復工事に乗り出した。結果、天守閣は、見事、救われ、松本城が今在る姿を誇るのも、ひとえに先生のご尽力の賜物であった。

「よって、我ら音和生は、敬愛する先生の業績を偲び、毎年春に一晩、先生と縁浅からぬ松本城月見櫓にて、先人らの業績を偲び、前途ある若人らしく清談に耽る、とまあ、こういう伝統があるんだよ。そして、それが、君ら応管特別推薦枠委員の役割のひとつというわけだ。」

団長は滔々と述べ立てた。

「でも、変な話よね。初代校長とお城の経緯はわかるけど、だからって、なんで生徒達がいまだにこんなことやってんだか。」

三人で車座になり、並べた菓子を齧りながら、小夜香がぐちぐちと文句を言った。

「まあ、確かに変な学校だよね。」

宗佑も溜息混じりに同意した。隣で雅弥も深く頷く。

 地元随一と謳われる名門校に合格し、そこそこ浮かれた気分で入学してみれば、この十日間ばかりというもの苦労の連続である。三人は、日々の授業における予習復習の大変さ、膨大な量の宿題、授業初日にあった整理テストと中学時代には取ったこともないようなその惨憺たる点数、校門前の呪われた坂道がもたらす筋肉痛及び疲労、辛かった応管の歌練、そして、特別推薦枠などという訳の分からない委員に突然選ばれ、松本城へ不法侵入するはめになったこと等、三人の恨み言は尽きず、延々と不平不満を語り合った。

 それは、清談とは程遠かったが、少なくとも、昨日までは互いに顔も名前も知らなかった三人の心を確実に近づけた。とっつきにくく、つんけんした印象だった小夜香でさえ、次第に打ち解け、饒舌になった。そして、饒舌になればなるほど、彼女の舌先は鋭く、容赦がなかった。

「でも、なんでよりにもよって私達なわけ? 新入生は、三百六十人も居るのに。これがじゃんけんで負けたとか、くじ引きであたったとかなら、まだ納得できるけど、いきなり知らない上級生にひょいっと勝手に選ばれて、それで決まっちゃうなんて、なんか釈然としない。」

小夜香は、憤懣やるかたない口調である。

「ねえ、なんで私達だったんだと思う?」

そう尋ねられて、雅弥は改めて考え込んだ。思い当たることは、ただひとつ。

「やっぱあれかなぁ、俺、歌練の時、歌詞、全然覚えてなかったんだよな。それで、初日から,目をつけられてた気はする・・・。」

あああ、と小夜香は、頭を抱えた。

「それ、すっごいわかる。身に覚えがありまくり。実は、私もなんだ。」

二人は、揃って問いかけるように宗佑を見た。

「あっ、いやその・・・歌詞は、一応、覚えておいたかな。ちゃんと覚えとけって、あらかじめ兄貴から言われてたから。」

「丸山のとこは、兄弟揃って、音和生なんだ?」

「うん、今、三年。多分、二人とも入学式の時に見てるよ。在校生代表で、挨拶したから。」

一瞬、沈黙があった。

「えっ、それって!」

「生徒会長じゃんか!」

小夜香と雅弥が、異口同音に叫んだ。

「うん。」

微妙な表情で、宗佑は頷いた。 

「そうなんだよね・・・。だから、僕の場合は、もしかしたら、それで応管に目をつけられたのかもしれない。」

「何それ、どういうことだよ?」

「うーんとね、これは兄貴の説の受け売りなんだけど、応管と生徒会って、色々と張り合ってる仲らしくてさ。もちろん、応管は、いくつかある委員会のひとつに過ぎないし、生徒会は、委員会全部をまとめる立場だから、組織としては、生徒会の方が上なんだよ。でも、応管って、学校行事とかでも何かと仕切る立場で、それがどうも生徒会と被るせいで、ちょくちょく揉めることもあるらしくてさ。」

「だけど、それと丸山君が応管の推薦枠に選ばれたのと、何か関係があるの?」

小夜香の問いに、宗佑は首を捻った。

「どうだろうねぇ・・・。少なくとも、うちの兄貴はそう考えてる。生徒会長の弟を応管に引っ張り込んでおけば、何かの時に役に立つかも、くらいの軽い気持ちでそういうことをやる可能性はある、っていうのが兄貴の意見。まあ、自分としては、正直、よくわかんないな。本当に単なる偶然だったかもしれないし。

ふうむ、と三人は、しばし、なぜ自分が選ばれ、その結果、今こうしてここでこんな目にあっているのか、という根本的な理由について、暗い表情で思いを馳せた。

「・・・ん?・・・あれ?」

不意に、宗佑が顔を上げ、欄干の方へ視線をさ迷わせた。

「何か聞こえない?」

「聞こえるって、何が?」

きょとんとして雅弥が尋ねた。小夜香が、宗佑に釣られるように欄干の外を見やり、耳を澄ませた。

「・・・ほら・・・聞こえる。ゴボゴボいってる・・・。」

宗佑が、重ねて言い募る。

雅弥は、首を傾げた。聞こえてくるのは、時折、城外の道路を通り過ぎる自動車の音ばかりだ。

「別に、何も聞こえないみたいだけど・・・。」

「しーっ!」

宗佑が唇に指を当てて、雅弥を制した。

「よく聞いて・・・。」

今度は、全員が聞こえた。何か奇妙にくぐもった水音。ゴボッゴボッというような、不穏な水音だ。

 三人は、顔を見合わせ、恐る恐る月見櫓の欄干ににじり寄り、すぐ真下にある内堀を首を伸ばして見下ろした。音は、明らかにその辺りから聞こえてくる。

 堀の水面が、小刻みに揺れ、泡立ち、細かく波立っていた。城のライトアップと、街灯の明かりに反射して、水面に散った花びらを不吉に揺らしたかと思うと、巨大な水の塊が、盛り上がるのが見えた。

 その瞬間、彼らは揃って息を呑んだ。轟く水音と共に、真珠色に透き通った龍の巨大な頭が、水面から持ち上がり、突き出した。頭頂部に生えた純白の柔毛の間に、二本の尖った角の先端が覗いている。乳白色の半透明な鱗が、びっしりとその身体を覆っている。

 浮上してゆく龍の頭は、雅弥たちの居る櫓と同じ高さになり、更にそのままぐんぐんと、高く高く首をもたげて、やがてはそそり立つ天守の天辺に届くほどの高さに達した。そして、しばし空を仰ぐかのように、ぴたりとその動きを止めた。蛇のように長大で、広げた両手に余る幅の半身が、水から真っ直ぐに突き出している。水中には、依然としてその半身を残しているのだろう。

 それは、途方もなく非現実的な光景だった。真珠色に輝く純白の龍が、影のように黒々とした夜空を背にそそり立っていた。

 雅弥達が絶句して見守る中、やがて、龍は再び頭をめぐらし、するすると身をくねらせながら、水面下に潜って姿を消した。しばし、お堀の水は、ざばざばと不安定に揺れながら白く泡だっていたが、それもほどなく静まり、元の内堀に戻っていった。

 三人は、朱塗りの欄干の脇に、息をするのも忘れてへたり込んでいた。手足が痺れたように、動けない。

「ああっ! 写真撮るの忘れた。」

搾り出すような第一声で、小夜香が小さく呻いた。

「っていうか、あれ、何だったの? 本物の龍・・・に見えたけど?」

未だ半信半疑の態で、宗佑が問いかけた。

「だって、みんな見ただろ? はっきり見ただろ?」

と、掠れ声で雅弥。

「うん、見た・・・。見たけど・・・見たというか、見たとは思うけど・・・でも、あんなの、あり得ないし。集団幻覚とか・・・。」

宗佑は、釈然としない面持ちだ。

「応管の先輩達の冗談だとかさ。」

けれど、雅弥は、首を振った。

「冗談って、いくら先輩達でもどうやったら、あんなもの俺らに見せられる?」

「・・・プ、プロジェクションマッピング、とか?」

宗佑の苦し紛れの答えを、雅弥は、即座に否定した。

「素人が、んなことできるかよ。っていうか、そもそも投影する壁がない。それに、そこまで手の込んだこと出来るか? たかだか新入生を驚かすために?」

そう反論すると、宗佑はむっとしたように言い返した。

「じゃあさ、岩崎は、あれが本物の龍だった、って思うわけ?」

「本物・・・に、私には見えたけどな。角があって、髭が生えてて、爪のある・・・。」

小夜香が、横から口を出した。

「そうそう、白い龍だった。」

雅弥も相槌を打つ。

「うん、確かに・・・。」

弱々しく宗佑も、同意した。

「僕が見たのもだ。三人とも、やっぱり同じものを見たってことだね。」

 結局、結論は出なかった。たかが何かの冗談で、あれ程、美しく巨大な龍の姿を出現させられるわけがなかった。しかし、その一方、龍など実在するわけがない、と考えるだけの常識も、彼らは持ち合わせていた。

 では、あの龍は、一体、何だったのか?

 それについては、ああだこうだといくら話し合っても、議論を重ねても、憶測を並べ立てても、なんの答えも出なかった。

 そのうち三人は、いい加減、考えるのに草臥れ、もう寝ることにした。刺激の強い夜だったのだ。そろそろ休んだほうが良い、という決断を下した。

 吹き抜けの月見櫓には、遠慮なく夜の空気が入ってくる。入ってくるというより、ほとんど吹きっ晒しだ。日没後の四月は結構冷えるので、彼らは寝袋と毛布に厳重にくるまって眠りに付いた。

 小夜香と宗佑は、そのまますぐに眠入ってしまったようである。

 しかし、雅弥は寝付けなかった。もともといつもと違う場所では、なかなか眠れない性質なのだ。その上、寝袋のおかげで寒くはなかったものの、背中に当たる板張りの床はごつごつと固く、肩甲骨や尾骶骨の辺りが痛かった。加えてついさっき異様なものを見たという体験のせいで、なんだか神経が高ぶって、目が冴えてしまった。

 それでも、彼は目を瞑り、眠ろうと努力した。目を閉じていると、瞼の裏に、さっきの龍の姿が、繰り返し繰り返し浮かんできた。春の夜空に、真珠色に光る龍だ。先輩達の悪戯だという宗佑の意見を、さっきは自分で否定したにもかかわらず、雅弥の心はだんだんと揺らいできた。やはり、あれは、現実ではなかったのかもしれない。しかし、三人揃って同じ幻覚を見たりするものだろうか? それも不自然な話だった。

 そんなことをつらつらと考えているうちに、いつのまにうとうとしていたらしい。

 次に、雅弥がはっと目を覚ましたのは、何か物音を聞いた気がしたからだった。ぎしっと床が軋む音に続き、誰かが声を潜めて、「しっ!」と囁いた。

 雅弥は、慌てて寝袋ごと上半身をがばと起こした。暗闇の中に目を凝らしたが、動くものの気配は、何もない。しんと静まり返る中、宗佑と小夜香の寝息だけが、規則正しく響いていた。念のため、枕元の懐中電灯に手を伸ばしてスイッチを入れ、辺りを照らしてみた。やはり、変わったことは何もない。

「う・・・ん?」

隣の宗佑が、身じろぎし、まぶしそうに目を細めながら雅弥を見上げた。

「何? どうしたの?」

「ごめん。何でもない。ただの気のせいだった。」

雅弥は、謝ると、急いで懐中電灯を消した。そして、腑に落ちない気分のまま、再び横になると、さっき自分は、きっと夢を見ていたに違いない、と言い聞かせながら、もう一度、眠りに落ちていった。 

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