第2話 応援団管理委員会

 「おめーら、そんなんで、やる気あんのかよー。」

 暮れゆく夕日の残照に、雪を冠したたおやかな山脈が、幻想的な茜色に染まる時刻、ゴシック風の意匠を施した古風なレンガ造りの校舎の屋上では、怒声が響いていた。 

「いいかー、もっと声出せ-ー。腹の底から出せーー。根性見せてみろーー。」

アイン、ツバイ、ドライ・・・の団長の掛け声で、屋上に居並ぶ一年生達は、打ち鳴らされる太鼓に合わせ、必死に応援歌を声を歌ったが、皆既に声は枯れ果て、限界一歩手前であった。

 これこそが信州名物、高校生による応援練習、通称「歌練」であった。一部の伝統校に、戦前の気風を色濃く残す風俗習慣のひとつで、松本音和高校もそれを受け継いでいた。新入生らにとっての最初の通過儀礼である。

「おらおらおらーーー、全員、もっと声出るだろーーー。おまえら、気合が足んねーんだよ。」

檄を飛ばされ、いたいけな一年生達は、びくびくと縮みあがる。もはや中学時代の制服は脱ぎ捨て、思い思いの私服でお洒落にきめて、いっぱしの高校生を気取ってはいるものの、破帽にマント、学生服や木綿絣に袴で装った先輩達の迫力の前では、ただひたすら小さくなる他はない。

「指先、伸ばせー!」

「はいっ!」

「声が小せぇーっ!」

「はいいっっ!!!」。

 先輩達の威圧感に怯え、新入生らはもはや、死に物狂いである。

 屋上へは、風に舞い上がった花びらが、しきりと優雅に流れてくる。入学式には固かった桜のつぼみも、その後の陽気に誘われるまま、一気に開花し、あれよあれよという間に盛りを向かえ、今は早くも散り始めている。

 一年生の列の中で、雅弥はなるべく目立たないよう身を潜めていた。そもそも彼は、初日からしくじっていたのだ。まず、春休み中に覚えておくよう命じられていた歌集の歌詞をろくすっぽ暗記していなかった。言い訳をすると、課題の英語と数学の問題集をやり終えたところで時間切れだったのだ。そもそも雅弥は、歌詞の暗記をそれほど重要だとは思っていなかった。彼の両親は、もともと松本の出身ではないし、音和を受験したのも、中学の担任の勧めがあったというだけだった。従って、地方伝統校の流儀というものに対する予備知識を、全く持っていなかった。結果として、彼は初日で目をつけられた。

 歌練では、新入生は屋上に整列させられ、その合間に応援団員らが配されて、練習中ずっと目を光らせている。口パクで乗り越えるつもりだった雅弥は、うっかり考えなしに団員のすぐ前に立ってしまい、応援歌の歌詞を覚えていないのが一発でばれた。それも、よりにもよって、その団員は、ひょっとしてこの人は柔道部と兼部なのではなかろうかと疑いたくなるようなむくつけき体躯に坊主頭の二年男子にであった。その先輩に睨まれて、雅弥は全く生きた心地がしなかった。二日目からは、初日の教訓を生かし、授業が終わるや否や、誰よりも早く屋上へ駆け上がり、先輩達のもっとも死角となる位置に場所を確保することに、全力と心血を注いだ。『自治を叫びて』やら『蜻蛉ケ丘に』など最低限度必要と思われる曲は一応、頭に叩き込み、その後はなんとかどやされる事なくやり過ごした。ようやく今日で、練習最終日を無事迎える。思えば過酷な一週間だった、としみじみとした気持ちで、早くも彼は振り返った。

 眼前には、夕刻の松本市街地が遥か遠くまで見渡せた。何ゆえにこんなにも見晴らしがいいのかといえば、音和高校の校舎が、駅前から北に向かってゆるやかに始まる坂の上に建っているためだ。雅弥は自転車通学で、市内南部から通っていたが、松本城を過ぎたあたりで急激に坂の勾配がきつくなる。途中、息の上がった女生徒などが校門を目前にしながら漕ぐのを諦め、とぼとぼと自転車を押して歩く姿などが、よく目撃される。雅弥は男子の端くれとして、沽券にかけても、途中で自転車を降りることはなかったが、それでも校門にたどり着く頃には、ぜいぜいと肩で息をしていた。駅からの徒歩組も似たり寄ったりだった。しかし、疲労困憊する新入生らを尻目に、上級生たちは涼しい顔でペダルを漕ぎ、悠々と通用門をくぐり抜けて行く。それは長年鍛えられた脚力の成果であると同時に、彼らの鞄の中にろくすっぽ教科書の類が入っていないことも、起因していた。上級生たちが、学校のロッカーに教科書や分厚い辞書を放り込んでいることを、初心な一年生達は、四月のこの段階ではまだ知らないのだ。

 そんなわけで、一年生は登校と同時に既に疲れていた。そして、一コマ七十分の授業が終われば、すぐさま屋上へ駆り出され、日没まで歌練だ。だが、それも今日で終わる。雅弥は精一杯声を張り上げ、「嗚呼アルプス」の歌詞を喉も裂けよと叫びながら、自分を励ました。今日さえ切り抜ければ、もう少し楽になる。部活動にも、参加できるようになる。

 「よしっ、それでは全員、各自の教室へ戻れ。」

ようやく団長からそう申し渡され、新入生たちはぞろぞろと移動し始めた。

 一年六組の教室に戻ると、雅弥は一番後ろにある自分の席に腰を下ろした。教室の席順は、男女混合名簿の順番そのままで、三年間変わらないという噂である。音羽高校ではクラス替えがなく、三年生まで持ち上がり方式である。

 「うちのクラス、立候補者いるらしいよ。」

斜め前の席の男子生徒が、隣の男子生徒と話している。

「え、マジで! ラッキーじゃん。」

「うん、誰かが立候補するまで缶詰らしいから。」

これから始まるのは、応援団管理委員会の委員選出である。応援団管理委員会とは、応援団の正式名称で、通称「応管」と略して呼ばれる。部活動ではなく、生徒会などと同様、役員会組織として扱われれ、各組から二名程が選ばれ、三年間務める。原則、自薦で、クラスの承認を得る形をとる。この役員が決まると、一年生の部活動も解禁となり、各自、自由に好きな部活動に入ることが出来るようになる。ただし、逆に決まらなければ、いつまでたっても部活動が始められない。噂によると、立候補者が出るまで、一週間かかった例もあるという事である。雅弥は、棋道部(囲碁と将棋)に入るつもりであったから、すんなり誰かが委員を引き受けてくれるのは大変都合が良い、と考えながら、ポケットから詰め碁の本を引っ張り出した。彼自身は、あんな風に応援歌を歌ったり、昔のバンカラ学生のようないでたちで歩き回りたいとは全く思わなかったが、そうした戦前の気風に「古き良き時代」を見出して憧れる生徒が一定数居るのも理解できなくはなかった。雅弥もプロの棋士や将士が和服で対戦するの姿を見るたびに、一度くらいはあんな格好をするのも良いなと密かに思っていたから、あまり他人のことはとやかく言えないのである。

 程なくして、教室の引き戸がガラリと音を立てて開いた。のそりと入ってきた団員の姿を見て、雅弥は少々ぎょっとした。歌練の初日、口パクを見咎められて、目をつけられた、あの体格の良い先輩であったからだ。

 先輩は教壇へ上がると、折り目正しく皆に一礼した。それから、チョークを手に取り、黒板に「応援管理委員会」と大書した。そして、応管の活動について簡単に説明し、音羽高校の伝統に恥じない、やる気のある委員を求む、といった内容の演説を一席ぶった。一年生達は、大人しく拝聴した。

 役員選考は、噂通り立候補者が居て、すんなりと二名が決まった。教室内にほっとした空気が流れた。

「それでは、この後、新委員は、応管の顔合わせがあるので、これから第一棟会議室へ来てもらう。それと、そこの君、名前は?」

不意にそう声を掛けられて、雅弥はとっさにそれが自分のことだとすぐには分からず、言葉が出なかった。隣の席の女生徒にわき腹をつつかれて、ようやく我に返った。

「あ、えっと、あの、岩崎です。」

「君は、特別推薦枠だ。一緒に来てくれ。」

教室中の視線が、一斉に自分に集まるのを感じて、雅弥は当惑した。注目されるのは、苦手だ。彼は、慌てて立ち上がり、その拍子に椅子を後ろへひっくり返して更に顔を赤らめ、混乱した状態のまま、他の二人の新委員らと一緒に先輩に従って廊下へ出た。

 一年生の教室は、第一棟と呼ばれる建物、通称旧校舎にある。一九三五年に、音羽高校がこの地に移転した当初からの古い建築である。外観はレンガ造りで、内装は白漆喰に黒い羽目板が張られ、アーチ状の天井、階段踊り場のステンドグラスをはめ込んだ窓など、見た目は如何にも典雅である。しかし、実際にそこで日々を過ごす生徒達に感想を聞けば、「ボロい」の一言で済まされる。夏暑くて、冬寒く、窓や扉のたてつけは悪く、板張りの廊下は、歩くたびに校舎の年季に応じてぎしぎし軋む。

 雅弥達は、階段で一年六組がある三階から一階まで降りた。一階に教室はなく、代わりに職員室や進路指導室、校長室に会議室などが並んでいる。薄暗い廊下には、大きな埃っぽい飾り棚が置かれ、ガラスの向こうに、歴代の部活動の成果を示すトロフィーや賞状が所狭しと詰め込まれている。

「君達は、ここに入って待ってて。」

先輩は、委員に立候補した生徒二人に会議室の扉を示した。クラスメイトは、大人しく指示に従い、会議室へ入っていった。後には、雅弥と先輩だけが残された。

「君はこっちだ。あ、俺は二年の百瀬だ。よろしくな。」

百瀬先輩は、第一棟を抜け、第二棟と呼ばれる新校舎も通り過ぎ、大体育館と柔剣道場へ続く渡り廊下を進んで行った。そして、体育館わきに連なるプレハブの部室棟へ出ると、その中の「応管」とマジックで殴り書きされた表札の付いたプレハブのドアを、開けた。

「やあ、一人、もう来てるな。ご苦労様。」

先輩の肩越しに、雅弥が部屋の中を覗き込むと、背の高い、痩せぎすの女生徒が、雑然と散らかった部室に、所在無げにぽつんと佇んでいた。その立ち姿は、やけに姿勢がよく、背筋がぴんと伸びている。

「君も、特別推薦枠?」

先輩の問いかけに、彼女は、ごく僅かに頭を動かして頷き、言葉少なに、

「はい。」

と、だけ答えた。

「そう。こいつも推薦枠だ。悪いけど、もうちょっと待ってて。じきに団長が来るから。」

それだけ言い置いて、先輩はさっさと行ってしまった。

 女生徒の方は、雅弥のことなど歯牙にもかけぬ風情で、微動だにしない。彼は、当惑しながら、あ、どうも、などと口の中でもごもご呟きつつ周囲を見回し、パイプ椅子を見つけてとりあえず腰を下ろした。一瞬、彼女にも、別の椅子を勧めるべきかと迷ったが、つんとしたその横顔はひどくとっつきにくそうで、そもそも雅弥の存在など完全に無視であったから、余計なことはしまいと決めた。

 ポケットから、囲碁の本を引っ張り出そうとすると、一緒に入れてある携帯電話がピカピカ点滅していて、メールの着信を告げていた。開いてみると、母からであった。

「パパが、今日はお夕飯、外に食べに行こうって。七時までに帰ってこれなかったら、直接、いらっしゃい。」

と、家族で時々行く店の名前が記されていた。雅弥は、メールを閉じながら、ため息をついた。別に家族で食事に行くのが嫌なわけではなかった。むしろ、好きだった。我慢ならないのは、母が未だに息子宛てのメールの文面に、平気で「パパ」だの「ママ」だの書き込む無神経さだった。万が一、誰か同級生にでも見られたら、どうするつもりなのか。見てしまった方も、見られた方も、どちらもひどく気まずい思いをするに決まっている。中学生になったのを機に、雅弥は、パパ、ママを自主的に廃止して、父さん、母さん、と呼ぶことにした。それなのに、父も母も、相変わらずパパ、ママの呼称をやめず、弟の奈津樹も、この春から中学生になったのに一向改める気配はない。

「人前では、ちゃんと父さん、とか、母さん、って言ってるから大丈夫。」

というのが弟の言い分だが、小学校の一年の時、うっかり担任の女の先生を間違って、「ママ」と呼んでしまった前科のある雅弥には、とてもではないがそんな危険な真似は出来ない。人間とは、習慣の生き物であり、日頃の無意識の行いが、結果的にどんな惨事を引き起こすか知れない、というのが彼の持論であった。小学生ならともかく、今現在、人前でうっかり「ママ」などと口走ってしまったら、その場で舌を噛み切らねばならない。しかし、母親にそう抗議したところで無駄なのは、分かりきっていた。

「そもそも、パパ、ママの呼び方になったのは、雅君が原因なんだから。」

というのが、母の主張だ。

「もともとは、ちゃんとお父さん、お母さん、って呼ばせるつもりだったのに、」

母は、息子をキッと睨み付ける。

「二歳になっても、三歳になっても、『アンパンマン』と『ジュース』しか言わないんだもの。」

ちなみに、当時の雅弥の『ジュース』は、牛乳にも水にも、しまいには、側溝を流れる水を指差して、『ジュース』と呼ぶほど、汎用性が高かった、と母は証言する。すなわち、液体のものは、全て『ジュース』で済ませていたのだ。

「だから、ママは考えたわけよ。お父さん、とか、お母さん、っていう言い方は、この子には難し過ぎるんじゃないかって。それで、パパ、ママにしたんじゃない。」

それでも、「パパ、ママ」が言えるようになったのは、三歳になってかなり経ってからだった、と母はこの話をすると、いつもそう言って憤慨する。が、しかし、本人には記憶のないような昔のことで文句を言われても、理不尽としか感じられない。

「おまけに、地図記号とか、交通標識とかそういうばっかりやたら好きでさ、片っ端から、指差して、すっごく小さな目立たない記号とかでも、本とかチラシとかから目敏く見つけ出して、ずーっと、ずーーーと、眺めてるし。」

この一風変わった執着の傾向は、当時の母を不安にさせたらしい。そのあたりの頃なら、なんとなく覚えがなくもない。というか、実は、未だに記号が好きである。小学校の頃から、社会化の地図帳を眺めては、地図記号や各国の国旗ばかりやけに熱心に暗記したし、中学の歴史資料集では、戦国時代の大名達の家紋を片っ端から覚えた。

「挙句に蔵が欲しい、とかって言い出して。えっ、何で?って訊いたら、『家紋が付いてるから』って返事するし。」

信州では、土蔵は珍しいものではない。その白壁に描かれた家紋は、幼い雅弥の目にひどく魅力的に映った。直線や曲線が描き出す、種々の形そのものが好き、というのがまず単純にあったが、彼には、そうした様々な記号や印が、世界のあちこちに隠された秘密の暗号のように思われた。そこには、不思議な意味があり、どこか知らない世界へと自分を導く道標のような気がしてならなかった。無論、今ではそんな荒唐無稽を信じてなどいないが、それでも相変わらず記号や家紋には、心惹かれるのだった。入学式で新入生らに配布された音羽高校の校章バッチも、気に入った。それは、蜻蛉の意匠で、今日も私服のシャツの襟元にきちんと付けていた。中学時代、学生服には必ず校章の襟記章を付けていたから、高校でもそうするものだと思い込んでいたが、彼以外誰も付けておらず、なんだか納得がいかなかった。

 応管の部室で待つ間、随分と時間が過ぎた。さっきの女生徒は、いつのまにか壁にもたれて無言でスマホをいじっている。その壁には、眼鏡を掛け、古風な襟飾りを付けた人物の色褪せた肖像画が掛かっていた。額縁の下には、『初代校長 小林宇也先生』と刻まれていた。

 外から何やら話す声と、近づいてくる足音が聞こえてきた。と、思うと、プレハブのドアが、ガチャリと開いた。

 「やあ、お疲れ。応管の団長の相沢だ。三年だ。」

そう言いながら入ってきたのが、あの応援団長だと雅弥が理解するのにちょっと時間がかかった。歌練中のマントに袴、破れた学帽に高下駄という派手な装いをすっかり解いて、ジーンズにセーターというありふれた姿の彼は、新入生らを眼光鋭く睥睨していたバンカラ学生の面影は欠片もなく、理知的で現代風な男子高校生に見えた。彼の後ろからは、大柄な男子生徒が一人、もの珍しげに、部室内を見回していた。雅弥と目があうと、人懐っこくにっこりした。どことなく春の海を思わせるような、穏やかでのんびりとした雰囲気を漂わせている。

「これで、全員揃ったな。まあ、とりあえずお茶でも淹れるから。」

団長は、たくさんのビラや書類がゴタゴタト積み上げられ、今にも崩れ落ちそうになっている机の上から緑茶の缶を堀り出し、茶葉を入れた急須に電気ポットでお湯を注ぐと、四つの茶碗に注いでくれた。勧められるままに、一年生三人は黙って熱いお茶をすすったが、これから一体何が始まるのかさっぱり分からず、落ち着かない気分だった。

 「さて、と。」

 相沢団長が、おもむろに口を開いた。

「君達三人は、応管特別推薦枠に選ばれた。これは、通常の応管委員とは違って、今後の応管練習に出る必要もないし、学校行事での役割を果たす義務もない。他の生徒と同じように、明日から希望する部活動を始めてくれてかまわない。どころで、そこの君とかは、もうどこの部に入るか決めてるの?」

唐突に問われて、飲み干した湯呑みの底を、じっと眺めていた雅弥は、びくっと顔を上げた。

「え、あ、はい、えっと、その・・・棋道部に入り・・・たいな、と思ってて・・・。」

うんうん、と団長は、頷いた。

「いいね、うちの棋道部は、なかなか強いよ。将棋班も囲碁班も、去年は全国に出たからね。頑張るといい。」

それから、団長は、男子生徒の方へ顔を向けた。

「丸山君は、中学の時、吹奏楽部でフルートやってたんだよね? 君の兄さんから聞いたけど。」

「はい、なので、高校でも吹奏楽、続けようかな、と。」

丸山と呼ばれた彼は、答えた。

「で、君は?」

「西洋舞踊研究会に入部希望です。」

女生徒は、無表情に返答した。

「結構、結構、大いに結構。で、だ。そうした君達のやりたい部活動の合間に、ちょっとした助力を頼みたいわけだ。我が校の、ええっと、いうなれば、伝統行事の継承だ。」

伝統行事? 雅弥の怪訝な思いが顔に出たのか、相沢団長は、彼に向かってニヤリとした。

「知っての通り、我が松本音羽高校は、旧制中学として明治九年の設立以来、長い歴史を誇り、様々な行事が受け継がれている。君達にもその一端を担ってもらいたい、というわけだ。」

「でも、どうしてそれを私達がやるんですか?」

女生徒が、口を挟んだ。

「委員会や部活動って、本人の自主的な活動のはずですよね? 強制されるのは、納得がいかないんですが。」

相沢団長は、興味深そうに彼女を眺めた。

「君、名前はなんだっけ?」

「二組の有賀(あるが)小夜香(さやか)です。」

「ふむ。推薦枠の委員は、指名された応管役員によって選ばれる。歌練の後、一年生の各教室に、役員が行ったろ? あいつらは全員、今朝、籤を引いんた。籤には当たりが三つ入っている。その当たりを引いたのが、君達の教室に居た役員だ。誰を選ぶかは、その役員の裁量に任されている。ま、おおまかな基準のようなものはあるけれど、ほとんどは選ぶ側の直勘みたいなものだから、本人達に聞いてみないことには、何故と君達が選ばれたのかといわれても、俺からはなんとも答えようがないな。」

小夜香は、その説明で納得したわけではなさそうだったが、あえてそれ以上は言い募らなかった。

「話を続けるけど、君達には、時々、仕事というか、役目が与えられる。なに、別にそう難しいことじゃない。場合によっては、そのう・・・少々、風変わりに思えることもあるかもしれんが、そのうち慣れるし、そもそも伝統というのは、不可解な要素を含んでいるものだと俺は思うね。」 

一年生達は、当惑した表情のまま、黙り込んだ。

「というわけで、だ。君らの最初の仕事は、明日の夜、松本城の月見櫓で、一晩過ごすこと。な? 簡単だろ?」

いや、それ程、簡単なこととは思えないです、と雅弥は心の中だけで反論した。

「でも・・・そんなことして本当にいいんですか? あそこ一応、国宝でしょう? もし、見つかったら、怒られませんか?」

さっき丸山と呼ばれた男子生徒が、雅弥の思いをまるごと代弁する問いを発した。

「当然、怒られるだろうな。」

力強く、団長は頷いて同意した。

「だから、くれぐれもうまいことやってくれ。」

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