第6話 さんぽ

 窓を細く開けただけでひんやりとした気持ちのいい風が部屋に入ってきた。吸い込むと肺の中まで浄化された空気に満たされるようだ。鼻面をひやひやと空気の流れが当たっている。舞は外に出て風を全身に感じたいと思った。

 履きつぶしたサンダルを履いて玄関の扉から出る。変化した空気圧が一瞬舞を押し戻すがすぐに風を自分の腕に纏って軽やかにアパートの廊下を歩き出した。息を吸い込むと体の中に風が入り込み全身を満たした。外側には空気の流れが作られ舞の足首や二の腕を持ち上げて宙に浮かぶように前へと押し出した。階段を滑るように下りて、屋根のない場所へ降り立つと、真っ暗な夜空が舞の姿見を押し隠した。誰もいない小道を全力で走る。自分を中心に気流が作られ、後ろに風の尾ができた。羽ばたくように両腕を動かして自分の中を満たしている空気とひんやりと冷たい外気が影響し合っているのを感じる。このまま外気と一塊になって飛んでいきたい。重力のない空間をふわふわと漂って心地のいい空気を掻き分けてみたい。

「舞、何してるの。こんな夜中に」

 突然の人間の言葉に舞は短い悲鳴を上げた。気が付くと舞は公園にいて、すぐ隣に絵梨子がいた。

 絵梨子は驚いた表情で何か言う。両手首を掴まれて舞はぐいと引き寄せられた。絵梨子が今度は強い口調で言う。

「雨が降ってるよ。時間も遅いし早く帰ろう」

 舞は腕を振って抵抗した。

「嫌です。まだここにいます」

「何言ってるの。風邪引くよ」

 絵梨子は舞の腕を決して放そうとしなかった。舞はどうしても今はまだ帰りたくなかった。腕を振り払おうとして足を踏ん張るが、日頃から肉体労働に従事している絵梨子の腕力にかなうはずもなく、二人はしばらくもつれ合った。

「大丈夫ですよ。私、平気です」

「ダメだったら。帰るよ」

「だって」

 舞が反論すると、絵梨子は訊き返した。舞の言ったことが理解できないといった風だった。舞はもう一度同じ言葉を言った。絵梨子は今度こそ怒って舞の両肩を掴んだ。

「ふざけたこと言ってないで、帰るよ」

 舞も負けじと声を上げた。

「だって、雨なんか、降ってないですよ」

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