第5話 くさばな
外に出ると植物にばかり目が行ってしまう。日光を余すところなく浴びようと幹は天高く伸び上がり花弁や葉は目いっぱいに広がる。花壇に植えられた小洒落た植物よりも、道端に自生した雑草の方が生き生きとしている。誰に世話をされるでもなく自分自身の力だけで根を張り養分を吸い取り、ぐんぐんと生長したという自負に溢れている。根を張った場所がどんな場所であろうと、自分が咲かせた花が他と比べて美しくなかろうと構わないでいる。与えられた場所でできる最善を尽くしている姿が日光に反射して眩しい。
しかし、彼らの世界では、種が落ちて根を張った時点でその後の勝敗が決まってしまうのだ。いつでも好きな場所へ移動できるわけではないので、根を張った場所の養分が尽きたらそれ以上には生きられない。その場所が自分が生きるに最適な場所かどうかなど種としてその地に落ちた時にわかるわけがないし、わかったところで自分で移動できないのだから他を選びようがない。彼らの内の不満を持った個体はその不満を訴えることもできず腐るに任せるしかない。
人は植物と違って移動する能力がある。ならば、雑草よりは幸せな生活を皆が送っているかと言えば、そうでもない。人は花壇の花に似ている。誰とも協力せず落ちた場所に根を張り自力で生長するよりも、誰かに助けられて育ち、恩を返すように綺麗な花を咲かせようと努力する。育ててくれる誰かのご機嫌を損ねるわけにはいかないから、生きていく場所もその誰かの望むところでなくてはならない。その場所は日が当たりにくいかもしれない。育ててくれる誰かが自分に飽きて新しい花を買ってくるかもしれない。大事にされすぎて水を沢山かけられて根腐れするかもしれない。そんなことになっても花壇の花は文句を言うことができない。ただ、ちゃんと生長できなかったという結果だけが誰の目にも自明のものに映る。
自分本来の意思を持っている生物は、では一体何なのだろう。人は高度な思考能力が備わった分だけ他の生物よりも有利だと思われそうだが、客観視が進むほど窮屈な世の中になっていることは間違いない。いつも見知らぬ誰かのご機嫌を損ねる危険に備えなくてはならなくて、自分の権利を主張するにも十分な肩書が必要になってしまう。ただ生きているだけなら、そんなに難しいことではないはずだが、高度な思考がより高みを目指そうとするため、生活に満足するための水準が引き上げられて、自分の意思で望んだことよりも多くを手に入れようと躍起になる。何か嬉しいことが起これば、もっといいことがこの先あるかもしれないと期待し、そのへんで満足しておけばいいものを、もっと欲しいと願ってしまうばかりに、厄介事も一緒に招き入れることになる。
移動できる自由を持ちながら植物のようにただ美しく風に揺られているだけでいることはできない。
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