7・伝説の勇者ディーン
結界の外。
うなぎのような細長い生き物が、何千匹と泳いでいた。結界を破ろうと体当たりしてきたり、上を目指して泳いでいったり、隣同士が巨大な別な何かになったり、逆に分裂したりしている。
どす黒いオーラが全身から出ていた。知能はなさそうで、近寄ったら問答無用に食いついてきそうな凶悪な顔をしている。
俺は試しに、スマホでサーチしてみる。
『バイラスビースト』
名前だけだ。
レベル、賞金額、マークもない。
バイラスビーストのなにかではなく、バイラスビーストがこの生物の名前であるらしい。
「あれがバイラスビーストの本当の姿?」
「ええ。あいつらが結界を破って侵入しようとしているんです」
「まるで、卵管を目指す精子のようだ」
「もっとマシな例えをしろっス」
「どれだけいるの?」
「外界全体がバイラスビーストの巣ですから、何兆といるでしょうね」
「そんなに……」
一斉に襲ってくる光景を想像して、ゾッとしていた。
「エムストラーンの外は、バイラスビーストが存在する破滅の世界なんですよ。それがこの世界の宇宙といえます」
「エムストラーンは絶望的じゃないか」
「チキューでいう太陽の攻撃をオゾン層が守ってくれるものっスよ。結界があるから、ウン万年と無事でいられていたっス」
この状態がエムストラーンの平常であって、異常事態ではないらしい。
「エムストラーンの中にいるバイラスビーストは?」
「ここはヴェーダの巨像の眼光があるから、絶対安全っスけど、地上にはまれに侵入してくるバイラスビーストがいるんです。それが原獣などの生き物に入りこんで、バイラスビーストに変貌するんです」
「俺たちが倒してきたのは、元は原獣だったのか?」
「ええ。以前なら、バイラスビーストとなり凶暴化しても、ユリーシャの光の守護神であるファドラさんが退治していたんです。それが、ヴェーダの巨像でいう妖精なんです。いや、妖精というにはビッグすぎる存在っスけど」
「つまり、ユリーシャの意思?」
「ええ。ファドラさんが光の上でエムストラーンの監視をしていたんです。十メートル以上の大きさで、レベルでいう60ほどのすっげぇ強い奴なんです。チキューさんでいうドラゴンをイメージするといいっすよ。うちらはファドラさんという守護神がいたからこそ、バイラスビーストの存在を恐れず、平和に過ごすことができていたんです」
「つまり、過ごせなくなった何かが起こった?」
「超大型バイラスビーストが侵入してきたんです。その名は、魔王バラガーン」
「……魔王」
「バラガーンが結界を破ったことで、無数のバイラスビーストも入ってきました。光が闇となり、自然が破壊され、原獣がバイラスビーストに、この世界は阿鼻叫喚です。ファドラさんはバラガーンと戦ったのですが、十日間もの激闘の末に……」
「やっつけた?」
「いえ、逆です。ファドラさんがバラガーンに取り憑かれて、バイラスビーストになってしまったんです」
「最悪じゃないか……」
「ファドラさんに依存していた私たちは、彼がバイラスビーストになったら、どうしようもありません。戦える人が誰一人としていなかったのです。世界の終わりを待つしかなかった」
「どうやって、助かったんだ?」
「この世界には、チキュー人さんがひとりだけ、迷い込んでいたんです」
ここで、地球が関わってきたようだ。
「ユリーシャの光は、魔王バラガーンの存在を予知していました。それにファドラさんが負けてしまうというのも……。だから、倒せる存在を探していました。見つけたのはエムストラーンに住む生物ではない。もっと別の、未知の次元に住む、ちきゅーという星に住む人間という生き物でした。そしてユリーシャの光に導かれたのは……」
「伝説の勇者ディーン」
彼の名を、アイリスは知っていた。
むしろ、知らない俺のほうが少数のようだ。
「日本人なのか?」
「ちきゅー人である以外はうちは知らないっスけど、この世界にこれるのは日本人なので、きっとそうっス。そう昔のことでないから、彼と面識ある人はいるので、聞いてみるといいっスよ」
つまり、ディーンは偽名だ。
姿も地球の時とは別で、イケメンになっているのかもしれない。
「ディーンさんは、ちきゅーさん最初のイェーガーです。当時は賞金もレベルもなく、ナビもなし、しかもエムストラーンが絶望的な状態でした」
「その代わり、ユリーシャの光を使い放題だった」
「ええ、スロットでいうレベル99の状態です。ユリーシャの光が欲しかったのは、光の力を使える戦士。ディーンさんはそれに相応しい人でした」
「その力で、ファドラを倒したんなら、卑怯といえば卑怯だな」
「レベルが最高でも、バイラスビーストに挑むのは勇気がいること。その相手がファドラなんだもの。倒せばいいという単純なものじゃなかったから、楽な戦いではない」
伝説の勇者をバカにされていると思ったようで、アイリスはフォローする。
「彼の力で、エムストラーンの危機を脱することができたんです」
危機を脱した。
つまり、救われたわけではなかった。
「ファドラはどうなった?」
「自らを封印して、光の下で眠っているっス。バイラスビーストになったファドラさんの体内は、魔王バラガーンが宿っているままです。魔王を滅ぼすには、死ぬ以外にない。だけど、ファドラさんの死は、ユリーシャの光の死を意味します」
「死ぬわけにはいかないな……」
バイラスビースト化させるには、最高の相手だったわけだ。
「ディーンさんは、ファドラさんを倒すことができない。ファドラさんを支配するバラカーンの影響力を弱めていって、ファドラさんの存在を強くしていったんです。封印できるぐらいに。彼はそれをやり遂げました」
「じゃあ光の下には、ファドラだけでなく魔王も眠っているんだな」
「そういうことになります」
「封印を解かれる可能性がある」
そしたら、ファドラだけでなく、魔王バラガーンも復活してしまう。
「バイラスビーストはそれを狙っています。もし復活したなら、今のままでは、この世界は一巻の終わりです」
「希望はないのか?」
「あります。ファドラさんに変わる新しい守護神を誕生させることです。ユリーシャ様の新しい命が宿り、ファドラさんの命を断てば、守護神から解放されるんです」
「新しい守護神は生まれているのか?」
セーラは首を横に振った。
「卵の存在なのか、未だに誕生してないのか、子どもの段階だから姿を見せられないのか、分からないんです。これは、機密事項であって、ヴェーダの妖精たちにも情報がいかないようにしてあります。知っているのは、長老とその近辺の者たちだけでしょうね」
「なんらかな形で存在しているのは確か。守護神として、完全な状態には至ってないから、伏せられているみたい」
知っているのはそれぐらい、とアイリスは言った。
「新たな守護神がファドラさんと同じくドラゴンか、または別の何かなのかはわかりません。ですが、それまでは、バイラスビーストを倒せるものがいません。フィドラさんは自らを封印する前に力を解き放って、ちきゅー人さんに、ディーさんと同じような、特殊能力を与えられるようにしたんです」
「守護神誕生までの期間のバイラスビースト退治を、地球人に託したんだな」
「そうです。修復したとはいえ結界が破られたことで、エムストラーンには、バイラスビーストが溢れるようになりました。ほっとけばドンドン増えていって、バイラスビーストの住処となり、この世界の自然が破壊されていってしまいます。強い原獣にやっつけてもらうにしろ、逆にバイラスビーストになってしまい、自然を破壊する恐れが高い。特に、シャアナさんがやられた黄色の凶悪ビーストは、うちたちにはどうしようもありません。最悪なのは、新たな守護神がいない状態で、魔王バラガーンが復活することです。今度こそ、エムストラーンの終わりとなるでしょう。守護神が誕生したとしても、封印されし魔王を倒さなければ、引き継ぐことができないんです」
誰かがやらなければならない。
だけど、エムストラーンの住民にはできないことだ。
その切実さを訴えて、セーラは、俺とアイリスを交互に見る。
「うちらの希望は、チキューさんしかいません。イブキさん、アイリスさんのような勇者にバイラスビーストを倒してもらうしかないんです!」
だが、地球人が異世界に来たところでメリットは少ない。
魔法力など特別の力が入るとはいえ、死が隣り合わせに存在するのだ。故郷でもなんでもない土地で、命をかけるバカはいない。
それで、お金という誘惑に、性別や顔を好きなように変えられる、など色々とサービスを考えて、イェーガーを増やしていった。
「ディーンさんは、封印した後もこの世界のために働いてくれました。ちきゅーとエムストラーンの架け橋を作り、ちきゅー人さんを行き来できるようにしたんです。彼のおかげで、今の、一時的平和な世界があるので、エムストラーンのみんなは、ディーンさんのことを感謝しています」
神のような人だと、南無南無と手を合わせる。
「ディーンは、今どうしているんだ?」
「ちきゅー人さんが増えましたから、自分の役目は終わったと、地球に帰ったと聞いています」
「逃げたのか?」
「戦うことができなくなったんです。魔王と戦い、封印を行なったことで、身体に負担がかかるほど特殊能力を使い切ってしまい、人間の能力以上のものを引き出せなくなりました。いくら力を与えても、レベル1の状態ですね」
「ボロボロだったのよ。それでも彼は、エムストラーンのために尽くしてくれたの。立派よ」
「だとしても、奴の貢献に見合うだけの報酬をもらって、去って行ったんだろ?」
「別にいいじゃない。あなただって、お金のためにこの世界に来たんでしょ?」
「批判しているわけじゃない。エムストラーンでは伝説の勇者だろうと、地球に帰ればただの人だ。ボロボロになってまでこの世界を救って、なにももらわずに帰ったのなら、報われないと思ったんだ」
「ディーンさんが去る頃には、転送機やお金などシステムの基礎ができあがってましたから、いっぱいもらって、ウッハウハのセレブをエンジョイしていると思うっス」
そう信じたかった。
地球での彼が落ちぶれた生活をしているなら、俺の未来もそうなる気がした。
「その後のディーンさんは知りません。今はもう、この世界の存在も覚えてないのかもしれません」
「どうして?」
衝撃的な体験だと思うが。
「記憶が消えるから」
「消える?」
聞いてない話だ。
「エムストラーンに1ヶ月間来なければ、ナビは契約解除となるっス。そして3ヶ月来ないと、イブキさんはエムストラーンの記憶を失います。そのことはディーンさんであっても例外ではないっスよ」
「知らなかった」
「言わなかったっスから。シャアナさんのことがあったから、イブキさんは知らないままで、この世界を忘れたほうが良かったと思ってました」
俺の顔色を伺っていた。
「責めてはいないさ。俺のためを思ってのことだろ?」
セーラが隠したのは、親切心からだ。
彼女は俺が、エムストラーンに来なくなると判断していた。だけど、たった数日で俺はエムストラーンに戻ってきた。
だからこそセーラは、俺をヴェーダの巨像に連れて来た。
癒しのためではない。
この世界について全て知った上で、もう一度、イェーガーをやるか判断してほしいと……。
「捕捉っスけど、もし、記憶が消えたとしても、もう一度、なんらかの偶然が重なってこの世界に来たなら、思い出すことが出来ます。うちは、別の妖精になっているので、再会はできないっスけど」
「ルルと会えなくなるのは、絶対に嫌」
アイリスと同じ気持ちだ。
女とはいえ妖精だ。
恋愛感情はなかったけど、今の俺にセーラを失うのは、孤独感が強くなる。
「なあ、セーラ」
「なんっスか?」
「シャアナの仇を取りたい」
この世界がどんなものか分かった上での選択だ。
セーラは騙しているんじゃない。エムストラーンのために必死になっている。
本心は「ぜぇぇぇーーたいにやめとけっス!」だろう。だけど、言うことを聞かないのは彼女も分かっている。
「イブキさんが戻ってくるなら、そのためだって分かっていたっス。だからうちからは止めろとはいえません」
やっぱり言ったか、という複雑な笑みを作っていた。
「でも、死なれるのはいやっス。あんな思いしたくないっス」
「おまえの涙、心地良かった」
「なんすかそれ。泣かなきゃよかったっス」
「俺のために泣いてくれる人がいるとは思わなかった」
「イブキさんが気付いてないだけで、そういう人はチキューにも絶対にいるっス」
だといいけどな……。
「俺だってバカじゃない。今の俺では倒せないのは分かっている。だからと、どうやって倒せるか分からない」
力のない自分が悔しかった。
「それでも、俺はダークドクロを倒したい。さっきの話を聞いて、黄色いあいつは倒すべきバイラスビーストだと分かった。誰かがやらなきゃいけないんだ。それを俺がやる。片っ端から黄色い奴を倒してやる。その最初が、あの野郎だ」
「イブキさん、長生きできないっスよ」
「それでもシャアナよりは、長生きできる」
セーラは黙った。
「どうしたらいいかな?」
レベルを上げるだけで、解決する話ではなかった。
「まずは……」
答えたのは、セーラではなかった。
アイリスだ。
関わりたくない。だけど関わらずにはいられない。
そんな諦めの表情を浮かべていた。
「協力してくれるのか?」
「ナビを悲しませる、あんたなんて嫌い。死なれるのはもっと嫌い。夢見悪くなる」
「助かる」
「イブキのためじゃない。セーラのため」
ツンデレとはこいつのことを言うんだと、天国のシャアナに伝えたくなる。
「……アイリスさん。うち、アイリスさんならイブキさん差し上げても構わないっス」
セーラは、うるうると涙目になっている。
「こんなの、いらない」
「そういうな。仲良くいこうぜ、ハニー」
露骨に嫌な顔をした。
「すまん、冗談だ。感謝してる、ありがとう」
軽口で不快にさせて、気を変えられたら困るので俺は謝った。
「私が仲間になったからといって、勝てる勝つ率はゼロ。今の状態では心中するようなもの。見込みがない限り、私は倒しにはいかない。絶対に」
つまりは、見込みがあるなら、一緒に戦ってくれるということだ。
「勝つにはどうすればいい。方法を知っているんだろ?」
「しらない。けれど、イブキが、しなきゃいけないことが一つある」
「なんだ?」
「ロングソードを捨てなさい」
まずは、強い武器に変えろということだ。
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