5・ヴェーダという名の巨像なんですよ
重力がとても軽い。
金属類でできた懸崖を覆ったツタを登る必要はなかった。七十キロ近くの体重があっても、妖精たちのように、上昇する風に乗るだけで、目的の場所に行くことができた。
険しい崖は、てっぺんが見えないほど高々とそびえ立っている。
崖を囲むようにして、ヘビのように曲がりねった木の幹が何十も絡み合いあっていて、良い足場になっていた。
俺は木の枝に腰掛けて、足を伸ばした。枝といってもかなりの太さなので、体重がかかっても折れそうにない。金属で出来た硬い地面よりも、こちらのほうが尻が痛くなかった。
「この崖は、エムストラーンまで続いているのか?」
セーラからもらった果実を食べながら俺は聞いた。
リンゴのような色や形をしているし、皮の部分は硬いのだが、かじってみると飲みものように水分がこぼれてくる。中身はすもものような柔らかさだ。そして味は、チョコレートのように甘い。歯が溶けそうなほどだ。フルーツというより、お菓子を食べているかのようだ。
アイリスはお気に召したようで5個目に入っているけど、俺には甘すぎて好きになれなかった。
「続いているといえば続いてるけど、続いてないといえば続いてないっスね」
「良く分からん」
「崖じゃないっスから。ここはヴェーダの巨像です」
「ヴェーダの巨像の崖じゃないのか?」
「まだ気付かないんすか?」
セーラは呆れた様子だ。
「ここでクイズっス。うちたちが今、いるのは一体どこでしょう?」
「だから、ヴェーダの巨像という、おまえたち妖精が暮らしている土地だろ?」
「ぶっぶー」
セーラは両腕でバッテンを作る。
「アイリスさんはおわかりになられたっスよね?」
と、枝の先端のところに立っているアイリスに振った。
「ん」
自信はなさそうだけど、答えは浮かんでいるようだ。
「ヴェーダの木?」
「たしかに木の上に登ってますけど、そうじゃなくて、この木は、なにに絡まっているでしょうか? ルルさん、答えをいっちゃいけません」
アイリスの耳元にきたルルに注意した。
「間違ってもいいから、思ったことを言ってみるっス」
「わたしたちがいるのは、巨像の身体の上?」
恥ずかしそうにアイリスは言った。
「せいかい!」
セーラはアイリスに指さした。
「この崖は、巨像の一部なのか?」
だとしたら、相当でかい。
「そうっス。ここは、ヴェーダの巨像という地名ではなく、ヴェーダという名の巨像なんですよ」
「今いる場所は、巨像のどの辺だ?」
「首筋辺りっすね」
セーラは、肩からちょっと上辺りを指で示した。
それが本当なら何百メートルという高さではない。地球でいえば、富士山どころか、宇宙に届くほどの大きさだ。
「地面や壁が、鉄のように硬いのはそういうわけなんだな」
「巨像は鎧をつけていますからね。んー、鎧とは言わないのかな? 身体の一部なんだし。巨像の全身の金属は、オリハルコンと呼ばれています」
「オリハルコン!」
アイリスが反応していた。
宝を発見したと目を輝かせながら、巨像を見つめる。
「悪巧みはダメっスよ」
「ちょっとだけなら……」
オリハルコンと聞き、欲しくてウズウズしていた。
「オリハルコンって伝説上のあれか?」
「……を、ちきゅーさんが名付けたものっス。それだけ硬くて、珍しい金属ってことです」
つまり、この金属をネオジパングに持っていけば、高値で売れるということなのだろう。
「こんなところにあったとはね……。触ってみて、うっかり取れちゃったら、貰って良い?」
「良いけど、ありえないっス。オリハルコンは、ものすっごく硬いですよ。削ることなんかできません」
「探せば、オリハルコンが落ちているかもしれない」
「可能性はなくはないでしょうね。エムストラーン上にあるオリハルコンは、ここにあったのを拾ったものでしょうし。でも、滅多にないことだし、劣化して剥がれたものだから、強度は下がってますよ」
「それでもオリハルコン。強い武器ができあがるわ」
アイリスはジャンプして巨像に近寄った。
叩いたり蹴ったりしてから、金属が落ちてないかと、木の幹や葉っぱなどを探し始める。
「巨像はどんな姿をしているんだ?」
見あげようとも、大きすぎて、どんな形なのか分からい。
「んーと。全身を鎧で身を固めています。顔が一つ、胴体が一つに、腕に足が二つ」
「人と同じだな」
「そうっスね。体型は、お相撲さんのように小太りっス。それで、こんな格好をしているっス」
セーラは、両手を挙げて、何か重いものを持っているポーズを取った。
「何かを支えている?」
アイリスが言った。
「支えているのはなんだと思います?」
この上にあるものといえば一つしかない。
「エムストラーンなのか?」
「そうです。巨像がエムストラーンを持ち上げているんです」
セーラは踏ん張っている顔を作った。
「一人で世界を持ち上げるなんて、できるの?」
アイリスが聞いた。
「無理っスね。一体だと重すぎて押しつぶされてしまいますよ」
「つまりは何体もの巨像が支えているのか?」
「そうです。四体で支えているんです。みんな同じ顔、同じ姿です。見分けることはうちもできません」
「四つって、大陸と同じ」
「だから、巨像も東西南北と言われています。うちがいるここは北のヴェーダです」
「四体の巨像は、この世界が生まれた時からずっと、エムストラーンを持ち上げているの?」
「遙か昔なので、うちら妖精が存在していたとしても、その頃の記憶がないから、分からないっスけど、何千、何万もの年月を、ヴェーダの巨像はこの体勢のまま、エムストラーンを支え続けているのは確かっス」
「巨像に意思はあるの?」
「生きていますから、ありますね」
「ずっとこんな場所で、何万年も……。エムストラーンを支えるために生まれてきたなんて、寂しくない?」
「寂しくないっスよ」
「なんでおまえが分かるんだ?」
「だって、うちがヴェーダの巨像の意思なんですから」
「セーラが?」
「うちだけじゃないっス。ルルさんも、この場所にいる全ての妖精がヴェーダの意思なんです。今は、イブキさん、アイリスさんと一緒にいますから、ぜんぜん寂しくないっス」
「ということは、女なのか?」
「性別ってあるんスかねぇ。でも、うちは女だし、うーん、よくわかんねぇっス」
「ヴェーダの巨像はお母さんで、妖精はその子どもみたいな感じなのかも。子どもたちの目を通して、ヴェーダはこの世界のことを知っていっている。だから寂しくない」
「そうとも言えるでしょうね」
つまり、俺たちのことは全て、ヴェーダの巨像に伝わっているということなのだろう。
「さっき、ヴェーダの巨像の死が妖精の死と言ったのは、そういうわけなんだな」
「体験したことないから分からないっスけど、多分、そうだと思います」
だが、それを体験するときはエムストラーンの死をも意味することだ。あってはならないことだった。
「エムストラーンを持ち上げているということは……」
「なんですか?」
「この世界は、地球のように丸くないということか?」
「持ち上げている部分は丸いです」
「エムストラーンの土地は?」
「真っ平らっスね」
半球になっているということだ。
「地球平面説か。古代インドでは、地球は平面になっていて、三頭の像が支えて、その下には巨大な亀、さらに下はヘビがいてぐるっと世界を囲んでいるという説があるんだ。そういや、大地の上には須弥山という高い山がそびえているんだったな」
エムストラーンでいうユリーシャの光だ。
「巨像の下を亀のようなのが支えているのか?」
「亀ではないけれど、一本の大木が支えていますね。ヴェーダの木と呼ばれているっス。巨像の身体には、色々な植物が生えているっスよね? これらは何千年もの時をかけて、大木の胞子が芽を作り、育っていき、様々な植物に変化していきながら、上へ上へとあがってきたものなんです」
「つまり、下は、緑がいっぱいということ? 住んでいる人がいる?」
「いません。緑もないです」
確信があるようだ。セーラは断言する。
「足から下の部分は、居心地の悪いので妖精は住んでません。ましては他の生き物なんか、とても無理っス」
「なんでだ?」
「結界が張られているとはいえ、バイラスビーストの近くにいますから」
「バイラスビースト……」
その名が出たことで、本題に入った感じがした。
「ええ、奴らは下からもやってこようとします。なので、足元の植物は枯れ果てています」
「巨像の支える大木は大丈夫なのか?」
「大丈夫だからこそ支えられるっスよ。それに、バイラスビーストが結界を破って入ってきたのではなく、奴らの瘴気にあてられたものっスから。むしろ、それから守るため、感染しないためにも、あえて枯れて、仮死状態になっているといっていいっス」
「さっきから聞く結界って?」
アイリスが聞いた。
「イブキさんのいうヘビっスね。大木の下にある存在です。それは、ヴェーダではなく、ウロボロスの結界と呼ばれているっス」
「ウロボロスか。つまりその結界が、ヴェーダの巨像からエムストラーンの空までぐるっと囲んでいるんだな」
「そうです。結界を張って、バイラスビーストの侵入から守っています」
「バイラスビーストとはなんなんだ?」
「外の世界に存在するエムストラーンの破滅を目的に侵入してくる悪しき生命体っス」
「よくわからないな……」
「見ればわかりますよ。巨像の頭の辺りにいけばよく見えるっス」
そう言ってセーラは、さらに上へとあがっていった。
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