6・俺がやったんです。逮捕してください
アパートの階段をのぼると、俺の部屋である205号室の前に人がいた。
3人だ。
1人は大家。
後の二人はスーツを着た見知らぬ男性。一人は俺と同じぐらい。もう一人は四十代半ばほど。どちらも体付きが良く、鋭い目つきをしており、普通の人でないのが分かった。
「浅田さん、帰ってきたんです、ね! 待っていました、よ!」
「この方は?」
若い方が、無言で警察手帳を見せた。
私服の刑事ということか。
「おめぇ……」
がに股で両手をポケットに入れている中年の刑事が口を開いた。怪我の後遺症なのか、口の右半分が動いていなかった。
「え?」
「いや、なんでもねぇ。俺の勘違いだ」
気まずそうに、頭をかいている。
「警察の方がいらして、あなたのこと、聞いてきたんですよ。浅田さん、なにしたんです、か?」
「いえ、見に覚えは……そうそう……」
俺は、ポケットから封筒を取り出す。
「大家さん、これ。お待たせしました」
大家は、手渡された封筒からお札を出して、枚数を数えていく。
「確かに」
「残りは来月でいいでしょうか。必ず払います」
「ダメといいたいけど……」
刑事の方をチラッと見る。
「浅田さん、なにか悪いことを、したんです、か?」
あったなら、直ぐにでも追い出そうとの考えのようだ。
「そうじゃねぇ。ちょっと聞きたいことがあるんだよ。彼がなんかして、アンタのアパートの価値が下がる、なんてことはないはずだ」
多分な、と声にせずに付け加えた。
「いいでしょう。これからは、キチンと払ってください、ね!」
警察官の用件が気になっていた。けれど、大家がいる前では言うつもりないようだ。無言で、大家に去るよう圧迫をかけるので、しぶしぶ離れて行った。
「浅田一吹さんですね?」
大家が階段を降りきったのを確認してから、若い方の刑事が言った。
「はい」
俺は怪訝な顔を向ける。
「昨日の夜7時ごろ、どこにいましたか? それを証明できる人がいますか?」
「その時間になにか?」
俺は惚ける。
「答えて下さい」
「たしか、その時間は……」
考える振りをする。
「交番にいたのが、そのぐらいの時間だったかな……」
「え?」
その答えは意外だったようだ。二人とも顔に出ていた。
「財布を拾ったから、届けたんです。最寄りの駅にある交番なんでいけば分かりますよ」
「その交番まで、ご同行願えますか?」
「眠りたいんだけど……ダメとは言えないですよね」
「当然だ。逮捕はしないから、安心しろや」
と、年老いた方が笑った。
※
「はい。間違いありません。昨夜、23日の午後7時10分ごろ。この方が財布を届けに来ました」
アリバイは証明した。
上司をぶん殴った場所から、この交番までは電車で一時間近くはかかる距離だ。
現実的に考えれば、俺が犯人であることはありえない。
ミステリー小説なら本をぶん投げたくなる最悪なトリックだけど、完全犯罪が成立している。
さすがの刑事も、この完璧なアリバイを疑うことはしなかった。できない、というべきか。
容疑が晴れたことで、刑事は緊張を解いて、温和な顔を作った。
「その時間に、なにがあったんですか?」
俺はもらった緑茶を飲んだ。熱くて、舌が火傷してしまいそうになる。
中年の刑事が、東京の某所で窃盗傷害事件があったと、事件の説明をする。
元上司の名こそ口にしなかったが、二人組の犯人の一人が俺だったと、被害者が断言したとのことだ。
「ホシは、ベレー帽だったかな、なんかの帽子に、マスクを被って、顔を隠してたんだ。たまたまアンタとそっくりな外見で、しかも個人的な恨みがある奴ときて、おまえしかいねぇと勘違いしたんだろう」
「かもしれませんね……」
上司がどれほどの怪我をしたか、川に投げ捨てた鞄の行方など、気になったけど、ボロが出そうなのでやめておいた。
「それで、財布はいつどこで拾ったんだ?」
唐突だったので、動揺してしまう。
「えっと、朝に、家の近くにある、ちょっと公園の茂みに落ちていたのを拾いました」
「どこの公園だ?」
「ここから歩いて10分ぐらいの……」
公園の場所と、自販機でジュースを買った時に見つけたことを伝える。
「朝の何時ごろだ?」
「起きてすぐに散歩のした時だから、6時ぐらい……かな?」
嘘はつかなかった。
「そんなに早くに拾っておいて、なんで、すぐに届けなかったんだよ?」
右腕を机に付けて、顔を前に乗り出していた。
「さっき、俺が大家さんにお金を渡したのを見ましたよね?」
刑事は頷いた。
「正直にいいます。本当は盗むつもりでした。俺は、家賃を三か月分滞納していて、今日中に10万円を大家さんに渡さなきゃいけなかったんです。でも、手持ちが3万ほどしかなくって、全然足りなくて、どうしようって。そのときに、財布を拾ったら、8万円も入っていて、天の恵みに思ったんです」
「そりゃあ、自分のものにしたくなるわな。俺ならネコババする」
刑事は真面目な顔で言った。
「俺は出来ませんでした。家賃は助かっても、罪悪感に苦しみそうだから、遅くなったけど、届けることにしたんです」
「ふーん。金、よく揃えたな」
「友人から借りました」
「そっか。じゃあ、必ず返せよ」
その言葉が重くかかった。返そうにも、いなくなってしまったのだから。
刑事は納得したのか、前のめりになった体を下げて、椅子の背もたれに寄りかかった。
「悪いこたぁできねぇな。財布を届けた良い行いが、おめぇを救ったんだ」
刑事は俺の湯飲みを奪うと、ゴクゴクと飲み干した。
「以上だ。ご面倒をかけちまったな」
湯飲みを戻してから、刑事は言った。
「疑いは晴れたんですね」
「おうよ。一吹さんが、瞬間移動をしないかぎり、容疑者じゃねぇ」
カッカッカと笑った。
そんなときだ、俺のケータイが振動した。
警官の前なので出ていいのか迷ってしまう。
「出ろよ」
着信主を見ると「山下」だ。
『ヒロが、ヒロがぁぁーーっ! なに、なんだよ、なんなんだよ! 浅田さん、あいつ、元気だったのに、何があったんですかぁぁーーっ!』
想像通りの内容だった。最悪だ。
恐ろしいものを見た山下は、何を言っているのか分からないほど泣きじゃくっている。
「どうした? すげぇ、叫びが聞えたぞ」
電話を切ると、刑事が聞いてきた。
俺は黙って、天井を見つめる。
やっぱりだ。
佐竹は死んだ。
本当に死んだんだ。
セーラが言った通りだ。エムストラーンで死んだものは、遺体を家に転送される。
死んだ、そのままの姿で……。
体が真っ二つに切られて、部屋中が血と臓器でむごいことになっていた。
山下は、その光景を見てしまった。
そのショックは、計り知れない。
「大丈夫か? 疲れているなら、そこで仮眠を取ってもいいぞ」
「大丈夫です」
俺は顔を下ろした。寒くないのに体が震えてしまう。
「友人が、亡くなりました」
「そうか、そいつは……なんといっていいやら」
「あなたの言う通りですよ。悪いことはできませんね。罪を認めます」
「あ?」
「かつての上司、いや、佐崎守は俺が殴りました。俺がやったんです。逮捕してください」
俺の罪だ。
全ては、俺が悪いんだ。
「なに言ってやがる。おめぇには、アリバイがあるんだぞ」
「ご自分で言ったじゃないですか。瞬間移動しない限り容疑者じゃねぇと」
「言ったけどな……」
「その通りです。瞬間移動したんですよ」
「付き合ってられん」
刑事は立ち上がった。
「おまえは疲れてるんだ。だからわけわかんねぇこと言っちまう。俺が家まで送ってやるよ」
「だから、俺は……」
「明日にしろ。ちゃんと聞いてやる。その時は署までご同行願うけどな。アンタの友人のことで、一吹さんに聴取する必要もあるだろう。それは今日じゃねぇ。明日だ。迎えにいくから、ゆっくりと寝ろ。寝れなくてもだ。寝るんだ」
そう言って刑事は、無気力状態となった俺を強引に立たせて、交番前に止まった車の中に押し込んだ。
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