5・すまない




 地球の空は灰色の雲に覆われていて、星は一切見られない。月明かりの澄んだ空だとしても、高層ビルで密集した都心部では、エムストラーンのような幻想的な光景を見ることはありえない。

 汚い空だ。薄汚れた空気はまずく、ドブのような異臭も微かにする。

 だが、ここが俺の故郷だ。帰ってきたという実感があった。


 俺だけが――帰ってこれた。


 異世界転送機のある裏路地を出た傍にある、自販機からコーラを購入する。ズキズキとする手の痛みを、冷たい缶で冷やしながら、炭酸の刺激を喉に通していく。

 生き返った心地だ。そう思ってホッとした自分が嫌になる。

 帰宅するまえに、佐竹の家に行くべきだと思った。だけど、俺は佐竹の住所を知らない。俺のように上京してないから、二時間以上かかるはずだ。深夜近くなので、電車があるかも分からない。

 試しに、電話をかけてみる。繋がった。僅かに希望を持ったけど、何十回とコールしようとも、佐竹が通話ボタンを押して「はい」と出てくることはなかった。

 俺は、携帯の住所録のグループ検索から『部員』の項目をクリックした。懐かしいメンツが並んでいた。消そうとしながらも面倒くさくて放置していたのに助けられた。


『……はい?』


 その相手は、10回以上のコールで出てくれた。


「ええと、山川さんの番号で合ってますか?」


 佐竹と尤も親しかった奴だ。顔も声もおぼろげだ。俺の知る山川かどうか分からなかったので確認を取る。


『そうですけど?』


 山川は俺の電話番号をとっくに消去済みのようで、かけてきたのが誰なのか分かっていなかった。


「浅田一吹だ。南城高校のときのサッカー部の部長をしていた者だけど、覚えているか?」

『浅田さん! あー、びっくりした、懐かしい。俺っ、俺で合ってますよ。一体、どうしたんですか、いきなり? サッカー部の同窓会やるんですか。俺、出席します』


 俺のほうが欠席したい。


「それもいいけど、そうじゃないんだ。おまえ、佐竹の住所を知っていたら、教えて欲しい」

『佐竹? ヒロがどうしました?』


 そうだ。後輩たちはあいつのことをヒロと呼んでいた。


「仲良かっただろ?」

『んー、まあ、仲悪くはなかったけど、良いというまでは至ってないというか……』

「今は違うのか? だったら電話してすまなかった」

『いや、知ってます。今もちょくちょく連絡とってますよ。最後に会ったのは、一か月前だし。ただ、アイツは今、ちょっと……』

「ああ、金髪、ピアスってチャラい格好をしているんだろ」

『知っていましたか。そう、あいつ、バカになっちゃって。元からバカだけど、それ以上にバカ』


 会う機会は減ってはいるが、悪友の関係なのは変わらないようだ。


『ヒロがどうしました?』


 どう説明したものかと、俺は言葉を探す。


「昨日、佐竹と電話をしたんだけど、なんだか様子がおかしくて。それで心配になってさっき、電話してみたら、出てこなかったんだ。だから、あいつの家に行こうとしたんだが、どこに住んでいるか分からなくて、山川に電話したんだ」

『ああ、そうだったんだ。浅田さんにご心配かけて、申し訳ありません』

「おまえが、詫びることじゃないだろ」

『そうだけど、なんとなく。広之、元気にしていると思うんだけどなあ。あいつ、ここ最近、生きがいを見つけたと張り切っていたし。それが何かはナイショってことで、教えてくれなかったですけどね』


 エムストラーンのことだろう。


『あいつ、ここ数年ちょっとアレだったから、明るくなってきて、良かったって思ったんですよ』

「何かあったのか?」

『えっと……』


 良いづらそうにする。


「就活で内定取ったけど、結局辞めて、チャラくなったってことは聞いている」

『やっぱり喋ってないんだ。んー、でも、心配かけてるし、浅田さんならいいかな。その時期にあいつ、親父を亡くしたんですよ』


 知らなかった。


『それも、首を吊って。自殺です』


 何も言えなくなった。

 俺よりも不幸だ。なのに佐竹はそのことを言わず、俺のことをかわいそうだと、助けようとしていた。


「あいつ、父子家庭だったよな?」

『ええ。親父さん、会社をクビになっちゃって、あの年で再就職も無理で……それで、自分が生きていたら、子供たちに迷惑かけてしまうからと……みたいです。いたたまれませんよね、そっちのほうが迷惑に決まっているのに』

「お姉さんいたよな?」


 4つ年上で、たしか桜といった。サッカーの試合でよく応援に来ていたから覚えている。


『二十歳のときに結婚しました。ヒロのやつ、会うたびに甥自慢するもので、またかよと、会うのが嫌になってくるほどです』

「そっか……」


 父親を失い、弟も失うことになったんだ。

 胸が張り裂けそうになる。俺が殺したようなものだ。いくら謝罪しても償うことはできない。


『大丈夫と思うけど、心配なら、俺がヒロの家に行ってきます』

「いや、俺が行く」


 セーラが言ったのが本当なら、見たくない光景があるはずだ。


『任せて下さい。浅田さんは、帰郷したんですか。違いますよね。今も東京で働いているんでしょ。そっから、ヒロの家まで3時間はかかりますよ。俺、今からひとっ走りしてきます』

「山下」

『なにか?』

「すまない」

『いいですって。直ぐに報告するので、待っていて下さい』


 俺の謝罪の意味には気付かず、山下は電話をきった。

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