2・うちはなにも見てないっス
難癖を付けては、お前のためだ、これも教育だと、仕事の量を増やして、俺に残業を押しつけていた。それでいて、自分はいつも定時に帰っていた。俺はなぜ、上司に嫌われているのだろうと怪訝に思っていたけど、本当のところはなんてことない。俺が仕事をしている間に、空凪とよろしくやるのを、快感にし、優越感に浸っていただけだ。
彼氏の存在がいなくなった今も、よろしくやっているかは知らないが、相変わらず部下に仕事を放り投げて、定時に帰っているようだ。
夜の7時過ぎ。
俺たちは、高架下のコンクリートの柱の後ろで、奴が来るのをジッと待っていた。
思ったよりも待つことなく、一年ぶりの顔がやってきた。
やつれたとか、ハゲたとか、腹が出てきたとか、変わった所はなかった。180センチの長身、長方形の顔に顎髭を生やしていて、前髪の僅かな白髪も相変わらずだった。
日本人離れの長い足を素早く動かし、歩く時間が勿体ないとばかりに早足となり、帰路につくか、女に逢いに行くかするところだ。
「大丈夫ですか?」
「平気だ」
顔を見ただけで、嫌なことを思いだし、心がパニックしそうになっていた。
「俺が上手くやります。それ、ちゃんと被ってください。大丈夫とはいえ、先輩は顔、知られてるんだから、なるべく、分からないようにしなくちゃ」
俺は、佐竹に言われたとおり、髪の毛を出さないようにニット帽を深々と被る。度のないメガネに、口はマスクを付ける。
佐竹も同じ格好をしている。軍手で金属バットを握りしめる。
数メートル前まで来た。良いタイミングで、上から電車が通っていく。
柱の陰に何かしらの気配を感じたようだ。目線がこちらを向いた。
そのタイミングで佐竹がバットを振った。
不意の攻撃に、かつての上司は鞄でガードしようとするも間に合わない。
ガツン!
鈍い音がした。
両足のバランスを崩して、何歩か下がってから、背中から倒れていった。
佐竹は、頭を狙ってバットを振った。ワザと外し、アスファルトの床にぶつけた。顔スレスレだった。
上司は蒼白になっている。
「やめたまえ! なにをするんだ! 金ならやる! 助けてくれっ!」
佐竹は無言で、背中を中心にバットをぶつけていく。
上司は体を丸めて、両腕で頭をガードする。
別に殺す気はない。だから佐竹は急所を狙わなかった。
と思いきや、上司の足が開かれた瞬間に、股間を蹴り潰した。
「ぐぁはっ!」
股間を押さえて、悶えていた。
佐竹は、両肩をがっちりと掴んで、上司を強引に立たせた。
――今です!
佐竹は目線で合図を送った。
俺は上司の前に来る。
奴と目があった。
――おまえは!
という顔をしていた。
俺は力一杯に、上司の顔をぶん殴った。
鈍い音がした。拳が顎の骨にぶつかって痛みが走った。何かが砕けた嫌な感触がした。歯が欠けたのか、口から血がこぼれてきた。
目は死んでいない。俺を睨み付ける。後で覚えていろ、との憎しみの目つきで……。
一発で済まそうと思っていた。けれど、激しい怒りがさらに襲った。
俺は、ありったけの力で上司の顔面をパンチする。
気絶したようだ。白目となって、上司の力が抜けていった。
佐竹が手を離すと、地面に崩れた。
死んではいない。呼吸はあるので、気絶しただけだ。佐竹が足で揺らすも、目を覚まさない。
俺は頷いて、合図を送った。
佐竹も頷いた。
そして、佐竹は上司のバッグを奪って、俺と一緒に走って行った。
「いいんですか、あの程度で?」
足を使ったプレイが得意なだけはある。佐竹の方が足が速く、俺の横を走りながら、息切れもせずに口にした。
「構わない。十分気が済んだ」
筋肉痛が治ってないのもあり、俺は直ぐにバテ気味になっていた。
「なら良かったです」
「バッグをどうするんだ?」
「金品目当てに襲ったことにしなきゃ、先輩を怪しむでしょ。慰謝料として財布の中見、いただきましょうよ」
「やめとく」
そうだ。やっぱり、取るわけにはいかない。
「分かりました」
佐竹は笑った。
「ザマーミロっ!」
橋の中心で、川に向かってバッグを投げていった。
俺たちは、橋を通った先にあるアパート前の自販機に来る。そこに異世界転送機があった。
俺はケータイをかざし、異世界のロビーに入っていった。
※
「じゃあ、俺はこれで。先輩も急いだほうがいいですよ」
佐竹は直ぐに、タブレットで行き先を選んでから、壁にタッチをして、地球に帰っていった。
俺は、ケータイで家の近くにある異世界転送機を選択する。
タッチするまえに、彼女のことを見る。
セーラは目先の高さで浮いている。
俺のことは見ていない。
背中を向けていた。
「セーラ……その……」
俺は、エムストラーンを悪用しようとしている。
やってはいけないことだ。
「空耳がするなあ。うちはなにも見てないっス」
怒っているのではない。俺を見逃してくれていた。
「ありがとう」
感謝を伝えて、俺は地球に戻っていった。
※
異世界転送機で地球にワープすると、丁度、人が通りかかっていた。突然現われた人間に驚いたりしない。俺の存在に気付かず、素通りをした。その時の対策はちゃんとされているようだ。
俺は、家には向かわず、駅前にある交番に向かった。
中に入ると、泣きべそをかいた初老の男がいた。
「ええ、それで、落としてしまいまして、その、どうしたらいいのかなあ、ないと、困ってしまうから、どうにかして見つけてくれませんかね、ええ、カードは止めて、はい、はい……分かっているんですけど、直ぐに返ってきてほしくて、探してくださいよ、こっちは、税金を払ってるんだから……」
届け出を出しても、ずっと居座っているようで、対応している警官がキレる寸前になっていた。
良いタイミングだったようだ。
その男性の顔は、俺が拾った財布にあった免許証と同じ顔をしていたのだから。
「すみません。財布を拾ったから、届けに来ました」
※
『アリバイ作り。上手くいきましたか?』
家の中。俺は仰向けになって天井を見つめながら、佐竹と電話をする。
「ああ、これ以上にないぐらいにな」
不快な男だった。感謝どころか、俺が盗んだんじゃないかと疑い、つかみかかってきたので、警官が怒るほどだった。
しかも、「やりゃあいいんでしょ、やりゃあ」と投げるように渡してきたのが、一万円じゃなく、千円である辺り、性格の悪さをうかがえる。
それでも俺はいい気分だ。なにしろ、交番で、最高の印象を与えることに成功したのだから。
財布を落としたヤマブキさんにキスしたくなったぐらいだ。本当にキスをすれば、もっとインパクトを与えていただろうから、やっても良かったかも知れない。
『先輩。スッキリしましたか?』
「してないぞ。もう、何ヶ月も抜いてない」
『そうじゃなくって……』
「冗談だ」
俺は笑った。
『良かった』
かつての上司を暴行したことを、後悔しているかもしれないと不安になっていたようだ。
俺が上機嫌だと分かって、ホッとした息が聞えた。
『ちなみに俺、一日三回は……』
「言わんでいい」
『シャアナでするの最高なんすよね』
「おまえは、自分のお気に入りキャラクターを自分の手で汚しているのか?」
『あはは、ダメだダメだと思いながらも、女の快楽に負けちゃって。ありゃ、すごい。男欲しくなって、ヤバいと思ったこともあるぐらい。あ、先輩ならいいかな? どうです、クズ野郎に二発決めた記念に俺と一発、いや三発ぐらい』
「やめてくれ……」
佐竹とする姿を想像してしまいゾッとした。
『中見は俺でも、体は女なんだし、気味悪がることもないでしょ。先輩も女になっみたらどうっすかね、気持ち分かりますよ』
「やめておく。俺は俺のままでいたい」
『先輩のそういうとこ、羨ましい』
佐竹の笑い声が聞えた。
「人を殴ったのは初めてなんだけど、殴るほうも痛くなるものなんだな」
ヒリヒリとする右手をさすった。上司を殴った感触がまだ残っていて、心地よい痛みになっていた。
「佐竹、サンキューな。おまえがいなきゃ、この恨みを晴らすことはなかったし、考えもつかなかった」
『お役に立てて、良かった。俺としては、あれでも軽い方だから、もっと酷い目に合わせてもよかった』
「あれで十分だ。あの顔を殴れる日が来るなんて、思いもしなかったからな。俺はいい後輩を持ったよ。三年間、佐竹の存在を忘れていて済まなかった」
『あ、それ酷い。許さない』
俺たちは笑い合う。
「お礼をしたくても、あげられるものがないのが申し訳ない」
『あるじゃない』
「ん?」
『あいつっすよ。やりましょう』
『サラダルス レベル8』
220000ギルス。
「22万か……」
『俺なにか、自慢になるの欲しいから。22万のあいつなら十分だ。俺はやれるんだって、自分を褒められると思うから、挑戦してみたい。一緒にやりましょうよ』
分かっている。
佐竹は、サラダルスを倒すために、仲間を探していたのだから。
それでも考えてしまう。
『先輩。10万円いるんでしょ?』
それも明日までに。
なのに未だ5万も稼げていなかった。
『俺が貸します。そのぐらいなら、俺、金の蓄えあるから。利子だっていらないし、俺としては、別に返してくれなくてもいいぐらい』
「いいのか?」
渡りに船と思ったが、その考えを振り払った。
「いや、悪い。人から金を借りたくない」
『悪くない。そのかわり、俺はこれからも浅田先輩の仲間でいたい。シャアナ&イブキコンビなら、あっという間に10万どころか100万、1000万と、稼ぐことができる。なんら悩むことない提案でしょ。どうです? 断る理由はないはずだ』
考えてしまう。たしかに、5日では無理だけど、10日あればなんとかなる額だ。
返す当てがあるんだ。
それに俺が、金を借りてとんずらする奴ではないと信頼しての提案だ。
俺たちのこれからの信頼関係を築くためにも、受け入れるべきかもしれない。
『貸すには条件ありますよ。さっきも言った通り、22万のあいつだ。倒したら、先輩は必要な金が手に入る。倒せなくても、俺から金を借りれる。悪くないでしょ?』
「俺からも条件がある」
『なんです?』
「ヤバいと感じたら、すぐにひきあげるぞ」
「はい!」
電話の向こうからでも感激した佐竹の顔が見える大きな返事をした。
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