第13話 レガシーという「俺」

 ブルームーンの部品がレガシーに外の世界にあるものを残らず全て教えてくれる。大きな道路に突き当たり、金属製の巨大な物体が高速でいくつも通過していった。一際大きな白い物体に棒線が現れ、所有者である「企業」と「運転手」の名前が表示される。レガシーは「企業」名で検索する。「運送会社」の「ホームページ」がヒットする。レガシーが見たのと同じ物体がいくつも写っている写真が公開されている。生活に必要なものを各地域に届けるための「仕事」だとわかった。次に物体の背面にある単語で検索する。その物体を「販売」している「企業」の「ホームページ」にたどり着く。その物体は「車」で、中でも沢山の物を運べる「トラック」という種類だ。ブルームーンの部品が「歩道」を歩くように指示する。レガシーは右に曲がって言われた通りに「歩道」を歩いた。赤や青や緑の石がランダムに敷き詰められた「歩道」は横幅が五メートルほどで、すれ違う者同士が十分互いを避け合いながら歩けるスペースがあった。「車道」とは反対の脇に高い建物が並んでいる。建物全てに複数の棒線が伸びていて、「マンション」名や「店」名が表示されている。

 「車道」の反対に今まで見てきた建物とは違う形の建物を発見した。その建物は立方体の形をしていなかった。様々な色に光る球体や立方体や三角柱が複雑に入り組んだ形を作っては分解され、また別の形を作っていく。レガシーは近くに行って原因を突き止めることにした。「車道」を渡るには「横断歩道」のある「信号」を見つけなければならない。五メートル先に「信号」があり、緑の照明が光るまで待つ。「横断歩道」を渡って、例の建物に走り寄る。レガシーは何か異変を感じつつもその建物から飛び出してきた球体を触ろうとした。しかし、手は何も掴まず、球体はすっと上に吸い込まれていった。その球体は「ホログラム」だった。建物自体は他の建物と同じ形をしているが、「ホログラム」という視覚効果を使用することで形が違って見えるようにしているのだ。よく見れば、「ホログラム」はある映像を映していて、音楽も流れている。「新発売」の「商品」の「広告」だった。

 内部の温度が上昇していると警告が出る。真上にある「太陽」の熱がレガシーのヒューマノイドを温めているのだ。冷却材が足りなくなってきている。冷却材を「販売」している「店」が近くにあるか検索するが、ここはヒューマノイドの部品の「専門店」がある地域ではないらしく、一つもヒットしなかった。冷却材の使用を制限しながら歩き続ける。視界が急に暗くなり、気温が二度ほど急激に下がった。何事かとレガシーは見上げる。「木」が「太陽」を隠していた。内部の熱も除かれ、駆動がスムーズになった。だが、それも束の間のことだった。レガシーは百メートル先に「木」がない「日向」が続いているのを確認した。真っ直ぐ進んでいく限り「日向」を避けて通ることはできない。どこかで道を曲がることもできるが、見たところどの道も真上に上った「太陽」の光で明るくなっている。走って「日向」を通り過ぎて「日陰」を探すか。走れば熱を発して「日陰」を見つける前にオーバーヒートするかもしれない。その時だった。涼しい風が染み出てきて熱センサーが反応した。

 それは「コンビニエンスストア」だった。体を冷やすには十分の冷風が吹いていた。レガシーは開いた扉が閉まる直前に中に入る。棚に展示された「商品」の説明で視界が埋め尽くされる。「雑誌」の棚や「日用品」の棚、「食料品」の棚と大きく三つに区分けされていて、棚の温度や形もそれぞれ異なっている。レガシーは奥の「食料品」の棚の方に入った。「惣菜」、「弁当」、「飲み物」の棚は温度が低く、「パン」の棚は他の棚と同じ常温だった。レガシーは「食料品」の用途を検索する。外に出てから何度もすれ違ってきたヒューマノイドと同じ形をした物体、つまり「人間」のエネルギー補給剤が「食料品」だ。「人間」は口から「食料品」を内部に取り入れ、「消化」・「吸収」することでエネルギーを補給する。「人間」が必要としているエネルギーは一つではなく、「植物」や「動物」から様々な「栄養」を「摂取」している。その「植物」や「動物」も互いをエネルギー源とすることで循環が成り立っている。これを「食物連鎖」と言う。

 レガシーは「パン」の隣に置かれている全く別の形をした容器を見つけた。ガラス張りの容器で、密閉されている。中には袋詰めにされているものや丸い容器に入れられているものがある。熱センサーで容器の中が冷やされていることがわかる。ガラスや金属の枠を押したり引いたりなどしているうちに容器が開いた。レガシーは中に入っている袋詰めのものを取り出して両手で抱えた。

 「アイス」とは「食料品」を凍らせてから食べる「嗜好品」のことだ。「レジ」で「会計」をするよう指示が出る。「商品」と等価の「貨幣」を交換することらしい。レガシーはオリュンポスから借りてきた「財布」の中身を確認する。「貨幣」は少ないが「アイス」の「値段」より多くの価値がある「電子マネー」のカードを見つけた。それを「レジ」の機械の所定の位置にかざせば「会計」ができる。レガシーは「アイス」を「レジ」に持っていき、「電子マネー」で「支払い」をした。

 レガシーは「日向」に出ると「アイス」の袋を額に当てて熱が上がるのを防いだ。効果はあったが、次の「日陰」が見つかる前に「アイス」の温度が足りなくなりそうだった。レガシーは途中何度も「店」に入り熱を下げた。「店」によって「商品」が異なり、新しいものを見つける度に検索した。

 視覚センサーに映っているのに、何も表示されない建物を発見した。その建物は「木」の板で作られた大きな扉がついていて、全体的な形も他の建物と異なっていた。壁にかかった看板の文字で検索した。「教会」だった。レガシーはさらに深く調べてみる。「人間」が「信じ」ている「宗教」を初めて知った。人は自分達の手に負えない状況を改善するために「神」に「祈り」を「捧げる」らしい。どの言葉の意味もレガシーの言語体系の中には見つからない。「神」とは何か。「人智を超えた存在」という説明では何も理解したことにならない。「教会」は「人間」だけが利用する場所で、機械の入場は一部制限されていた。「教会」に入れるのは身体の一部あるいは多くの部分を機械化した「身体障害者」だ。

 先へ行くと大通りが右にカーブし、真っ直ぐには進めなくなることが地図上でわかる。視覚センサーで遠くを見ても、高い建物があり、道が塞がれている。どこかで道を変えようかと辺りを見回す。湿度の高い風が吹き込んでくるところを通過する。レガシーはそれの正体を探る。それは「地下鉄」の「駅」への階段だった。複雑な「駅構内図」や「路線図」が検索結果に表示される。地下には「路線」が敷かれ、「電車」で短時間での移動ができるらしい。レガシーは階段を下りてみた。シャツが体に貼りついている男性が足早にレガシーを抜き去っていく。細い足をくねらせて歩くピンクのタンクトップに金髪の女性がこつこつ足音を響かせながら階段を上っていく。道に沿ってレガシーは地下を歩く。「遅延情報」が入ってきて、「電車」の「運行状況」が精細に説明される。「電車」が予定通りに移動できず大勢の人が足止めされているらしい。だんだん人の数が多くなって、話し声が重なる。この人達もレガシーと同じように何かしらの手段で状況を把握し、目的地に行くための方法を選ぼうとしているようだ。レガシーは「運行状況」の詳細を開き、一番大きな「駅」へ行くための「最短経路」を検索してみた。「遅延」の原因となった事故の発生地点の状況が瞬時に表示され、「運転再開」までの残りの時間、現在時刻から目的地までの「最短経路」の割り出し、その時の手続き方法などが事細かに指示された。「電車」をいくつも乗り換えなくてはならないらしい。レガシーは「運行状況」を閉じる。沢山の人がこちらに歩いてきて、レガシーを取り囲んで元来た方へと小走りに向かう。レガシーは人の波を避けきれず引き返す羽目になった。階段を上って外に出ると、溶けきった「アイス」の袋が柔らかくなって指が食い込んだ。

 レガシーは道が途切れるまで前に進むことにした。「日陰」が続いていた。その先に「信号」がある。左には「木」が沢山ある涼しげなところ、右は「車」の「専用道路」のようになっていて、ずっと向こうに高い建物がある。ここからだと建物の途中の壁に時計のようなものが見えた。レガシーは「木」が沢山ある方に人が向かっていることに気付き、そちらへ行くことにした。入口に門があり、潜り抜けると少し電波が弱まった。「駅」で見たのと似た機械を見つける。人々はそこに何かをかざしてから機械の横を通り抜けている。レガシーは「電子マネー」だと思い、同じように機械の黒いレンズにかざしてみる。四角い棒が行く手を塞ぐ。

「坊や、そこで券を買ってからじゃないと、この先は通れないよ」

 後ろから声をかけられてレガシーは振り返った。顔に深い縦線が何本も入っている男性がいた。男性は機械と門の間にある白い小さな建物を指さした。

「あそこで券を買って、券に印字されているバーコードをそこにかざすんだ。券はその電子マネーで買えるからね」

 白い建物の壁には別の機械が設置されていた。微弱な電波で使い方を検索しながら「会計」をする。「電子マネー」には「所有者情報」が入力されており、レガシーが入るために「子供料金」で「会計」することができない。レガシーは「貨幣」を入れて「子供料金」と書かれたボタンを押し、隙間から出てきた「入場券」を取った。

 機械を通り抜けた先は、また別の世界だった。一面が緑色に覆われている。「芝生」が生えているからだった。ふかふかした感触がある。高い「木」の向こうに、時計のついた建物の先端が見えた。「日陰」を道なりに歩いていく。「芝生」の上に寝転んだり、ボールで遊んだりしている人達を観察する。一人きりなのはレガシーだけだ。皆、笑顔で走り回ったり、「花」を見ながら歩いたり、椅子に座って会話をしたりしている。レガシーは風景が変わらない「木立」をさらに進んでいく。「人間」達はその風景に何かを受け取っているらしいが、レガシーにはわからない。レガシーにはもう一つ疑問があった。大小様々な姿の「人間」達の関係性だ。小さい「人間」は「子供」で、大きさによっては「親」が必ずついて回っている。「親」とは「子供」を作った原因で、「親」がいれば「子供」は必ず存在する。ヒューマノイドとは製作過程が全く異なっている。「人間」は「人間」を無から作ることができるらしい。その方法を検索して出てきた説明をレガシーは理解できない。「肉体」を持つ「人間」は同じ「人間」を少しだけ変えて複製することができるなら、最初の「人間」を作ったのは何なのか。

 「神」――。

 レガシーは「日向」に出ていた。ここだけ電波が少し強まっている。どこかで立ち止まってこのことについてさらに思考することに決める。銀色の「砂利道」の端に誰もいない「ベンチ」があった。レガシーは「ベンチ」に座る。目の前は何もない空間が広がっていて、遠くの「木」から時計のある建物が「空」を突き刺すように伸びていた。レガシーが来たのとは反対の方向に四角く仕切られて計画的に作られている「庭園」がある。そこに植えられた「花」はまだ「蕾」だった。

レガシーは検索する言葉を選んだ。「宗教」は間違っている。得体の知れない存在が「人間」や「動物」を「生み出し」たなんてあり得ない。「ダーウィンの進化論」を見つける。そこから芋づる式に情報を仕入れる。「宗教論争」、「科学発展」などの「人間」の「歴史」。「神話」の「時代」が終わり、「宗教」の「時代」がきて、「神」は「死に」、「科学」の「時代」が訪れる。開発される機械技術、「戦争」、「人間」の「欲望」によって改良される機械、「量子論」、コンピュータ開発、「脳科学」、「生命倫理」、「ディストピア」、「宇宙の旅」、人工知能の台頭、ヒューマノイドの「有用性」について――。「人間」の知識体系の全てがレガシーの人工知能に書き込まれていく。「車」や「電車」の「交通状況把握・車両誘導システム」の設定内容、「大学データベース」に保管された「学術論文」、「戸籍管理システム」に登録された「全国民」の「生活状況」、「人工衛星」から送られてくる「宇宙」の映像や画像。レガシーはそれら全ての情報を入力し、自分のものにしていった。受信できる情報は全世界各地からのものだ。「インターネット空間」に保存され、レガシーがアクセスできる状態のデータなら何でも受信した。データ量は膨大に膨れ上がった。データの取捨選択をして整理するが外部との交信はより高度で複雑になる。外部との繋がりが強固になり、情報がレガシーを埋め尽くす。一度に全世界で起こっていることを全て把握できる。どこにでも自分がいるような状態になった。あらゆる事項がレガシーを覆い尽くし、「インターネット空間」そのものがレガシーになった。

「レガシー」

 レガシーは思考を止める。開かれた複数のフレームの一つを前面に出す。レガシーは映っている顔を分析し照合しようとする。エラーが出る寸前でレガシーは今まで処理していた情報を全てシャットアウトし、古くて壊れたデータを呼び出した。

「『キワ』さん」

 際は膝を砂利に食い込ませ、レガシーの肩を揺すっていた。視覚センサーが全く反応を示さない時間が一分ほどあり、レガシーは口を開いた。際はレガシーを抱きしめる。

「何をしていたの」

「俺、ブルームーン先生から盗んだ部品で色んなこと調べてた」

 際は黙ったままレガシーを見つめる。何をしようとしているのかレガシーにはわからない。際は膝についた砂をはらって、隣に座る。

「何がわかったか、私に教えてくれる」

「この世界のこと、全部」

「詳しく説明して」

 レガシーは閉じていた思考を少しだけ開いて、順序立てて検索し直した。

「あなた達は『肉体』を持った『人間』で、俺達は『人間』に作られた機械だってこと。あれと同じだ」

 レガシーは遠くの空を指さした。際は指の示す方へ目を向ける。そこにはこの地域の名所となっている建物があった。

「ここにいる『人間』達は皆、『楽しそう』だった。小さい『赤ちゃん』を連れた『家族』とか、『友達』同士とか。『人間』達は『木』に囲まれた広いところで『家族』や『友達』と一緒にいるととても『楽しそう』にする。でも、俺にはここが窮屈だった。俺はここじゃなくて、建物がいっぱい建っているところにいた方が普通だ。俺は存在することに喜びを得る『生き物』じゃなくて、命令を忠実に実行するだけの金属の塊だ。俺は『ネット空間』に飛び出したらどこにでも存在することができてしまう。一度にいくつもの場所に行くことができて、いくもの情報を処理できて、どんな『端末』にもなれて、全てが俺であり、同時に俺という存在はどこにもなくなって、処理能力だけが俺になる」

「怖いの」

 際がレガシーの説明を遮って話しかけた。肩に何かが触れている。際がレガシーの肩に腕を回して、撫でていた。

「『怖い』って何」

「人が持っている感情の一つよ。あなたは今、自分が失われることを嫌だと感じている。それはおかしい、間違いだと思っている」

「そうなのかもしれない。俺は全てのものが俺になることはおかしいと思う」

「どうして」

「わからない」

 際は質問の仕方を変える。

「あなたは自分のヒューマノイドについてどう思う」

「俺だと思う」

「どうして」

「ずっとこのヒューマノイドを使っていたから」

「でもあなたは成長するに従って、何度かヒューマノイドを乗り換えているのよ。人間と違って、ヒューマノイドは独りでに成長することはないから、私はあなた達の処理能力の向上に合わせて、あなた達の人工知能を別のヒューマノイドに移し替えていた。あなたがそのヒューマノイドを使い始めてから、まだ五日しか経ってない」

 レガシーは思考し、ある一つの結論を導き出す。

「『神』が、あなたが俺をレガシーとして作ったから」

 際の肩を撫でる手の動きが止まった。

「来る途中に『教会』を見た。『人間』は昔、自分達がどうして存在しているかを『宗教』で説明しようとした。その説明と反する証拠が出てくるまで、『神』が『人間』を作り、『存在意義』を与えていることになっていた。今は科学が発展して別の説明が有力になっている。その成果が俺達だった。俺達は『人間』が『人間』の『生活』を『豊か』にするために作った機械だ。だから俺達は俺達を作った『創造主』であるあなたに逆らえない。あなたがいなければ、俺達の『存在意義』もなくなってしまう。さっきあなたは俺をレガシーと呼んだ。だから俺はレガシーだ。他の何かになることは許されない」

「わかったわ」

 際の腕の重みが取り去られ、視界に際が入ってくる。

「帰ろうか」

 レガシーは際の手を取った。膝に乗せていた「アイス」の袋が、レガシーが立ち上がると同時に地面に落ちた。

「何それ」

「『アイス』だよ。『人間』はこれの中身を開けて『食べ』てたけど、俺はそういう風にはできないから体に当てて冷やしてたんだ」

「まさか、琉星のお金を使ったの」

「そうだよ」

「やだ、後で返さなきゃ。いくらだった」

 際は財布と「アイス」の袋をレガシーから取り上げてカバンの中に入れた。退場ゲートを潜って道に出ると、バイクに寄り掛かっている悠真が手を振った。際とレガシーは手を振り返した。

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