第2話 私の自慢の人工知能たち

 琉星は隣の机の上で小刻みに揺れるシャープペンシルを無言で眺めていた。シャープペンシルは上下するごとに数ミリずつ位置を変え、次第にペン先が机上から外れていく。グリップの重さで重心が傾き、シャープペンシルは床に転がった。すかさず持主が頭を机の下に潜り込ませ、落ちたシャープペンシルを手探りで拾おうとする。指先が汗ばんでいるのか、なかなか掴めずにいる持主の代わりに通りかかった人物がシャープペンシルを拾い、机の真ん中に押し付けるように置いた。シャープペンシルの持主が顔を上げる。拾ってくれた相手の顔を見て、持主の表情は一変する。シャープペンシルを拾った男は持主の後ろの席に座り、琉星を見つけて片手を上げて挨拶した。

「悠真さん、遅いですよ」

「間に合ったんだからいいでしょ」

「そういう問題じゃなくて」

 再びかたかたと揺れ始めるシャープペンシル。今度は机の真ん中にあるので落ちる心配はない。

「ずっとこの調子ですよ」

 悠真は体を傾けて、揺れるシャープペンシルが置かれた机を覗き見る。

「際、お前ずっと貧乏揺すりしてるのかよ」

 悠真の声に際はびくっと飛び上がる。

「うるさいよ。あと、大学では呼び捨てにしないで」

 際が振り返り、悠真と琉星を交互に見る。二人は精一杯の笑顔を返した。際は立ち上がった。

「ちょっと、外に出てくる」

 際は荷物を机上に広げたまま教室を出た。悠真は気にした様子もなく背もたれに寄り掛かって際が出て行った扉の方に体ごと向けて伸びをする。

「悠真さん、本当にやめてくださいよ。際さんが緊張して喋れなくなったらどうするんですか」

「大丈夫だよ。毎度のことながら、始まったらどこにそんな度胸を隠し持ってたんだよって感じに、まともな発表するから」

「でも今回のは結構大きいじゃないですか。外部の先生も来てるし」

「じゃあ、おまじないでもかけておくか」

 悠真は際が机に置いたままにした資料とシャープペンシルを引き寄せ、何かを始める。

「何やってるんですか」

「おまじないだよ。こうしておけば、いざという時の役に立つかもしれない」

 悠真は資料の余白に何かを書いている。

「バレたら際さんに怒られますよ」

「これのおかげで成功したら感謝されるぞ。お前もなんか書け」

「やめときます。俺、怒られるの嫌なんで」

「一緒に怒られようぜ」

「絶対嫌です」

「つまらんやつだな」

「ほら、際さん戻ってきますよ」

 悠真は慌てて際の私物を元あった場所に戻す。

「琉星、告げ口するなよ」

 際は下を向いて歩いてくる。二人は何事もなかったかのように素知らぬ振りをして際を迎える。際は一言も発さずに椅子に座り、机上の資料に目を固定して動かなくなった。

 際の後ろで悠真がにやついている。琉星はこれ以上のいたずらはご免被るとばかりに眉間に皺を寄せ、悠真に合図する。悠真は琉星の様子に気付き、さらに頬を緩ませる。

 マイクのスイッチが入った時の乾いた騒音が三人の耳に飛び込んだ。教室中の空気が一変し、悠真はにやけ顔から真剣な表情になり、琉星は姿勢を正した。際も檀上の司会者に強い視線を送っている。琉星はその姿を見て安心した。いつもの際に戻っていた。

 眠りを誘う司会者の挨拶があり、本題に入る。難しい題目が読み上げられ、発表者の名前が呼ばれる。際が檀上に上がる。琉星は心の中で際を応援する。マイクスタンドを動かし資料を見やすい位置に配置する。紙をめくる音が教室を満たす。誰も際を見ていない。

「それでは、私が今回取り組んでいる実験についてお話しします」

 際は椅子を軽く持ち上げ机に近づける。その動作は、そこから先は自分だけの世界だ、とでも言っているように琉星には感じられた。資料に目を落とし口を開きかけた時、際が一瞬固まった。琉星は際から目を逸らした。


  *


 際は自分のペースに入りかけたタイミングで不意打ちを食らった。資料の表紙をめくった一ページ目の冒頭に、自分の筆跡ではない殴り書きの文章があった。

《サイボーグになった気持ちで読んで》

 際は横目で教室の左端の方に座っている悠真を睨みつけた。悠真は周囲に気付かれないように微笑んで、反対の腕で隠すようにVサインを送っている。琉星は自分のせいではないと言いたげな困った表情で窓の外を見ている。余計なことを。際は表情を崩さないよう顔の筋肉に力を込める。一呼吸置き、雑念を振り払った。

「今回の私の研究は、『制限された環境による人工知能の学習内容の変化について』です」

 際は予め準備されていた備え付けのノートパソコンのエンターキーを叩く。スクリーンにタイトルが大写しにされる。キーを叩きながら話を進める。

「長年にわたる人工知能の研究は、人々を物理的制約から解放し、学問を飛躍的に進歩させました。例えば、脳波を人工知能で解析することで、ロボットに人間と全く同じ動きをさせることに成功しました。この技術は義手や義足の改良に役立ち、建設現場などでは遠隔操作できる人型のロボットが活躍しています。他にも、人間の思考速度では天文学的な年数のかかる計算を数時間で解いたり、人間ですら理解できなかった矛盾を解決させたりしました。人工知能に制限はありません。おそらく、私たちが人工知能のさらなる発展進化を望み、人工知能に活躍の場を与え続ける限り止まることはないでしょう。

 今回の実験では、万能と言われる人工知能にあえて制限を加えます。限られた情報しかない環境で人工知能が何を学習するか、自分の置かれた環境が制限された空間だということに気付くかを観察します。それは人類が置かれた状況と同じであり、人工知能の動向を観察することで、まだ私達自身でも知り得ない私達人類の姿を見出すのです。

 具体的な実験の手順はこの通りです。四体の人工知能を隔離された空間で生活させます。場所は羽賀山教授のご厚意で実験棟の地下室を使わせていただきます。地下三階から二階を人工知能の生活区域とし、地下一階は外界からの刺激を一切遮断するため、立ち入り禁止にします。地下への階段を閉鎖し、地上一階に私と他実験参加者の監視室と羽賀山教授の臨時研究室を設置します。人工知能の生活区域には監視カメラを設置し、昼夜問わずリアルタイムで交代に見張ります。そして、私達実験参加者のうちの三人が遠隔操作でヒューマノイドを操り、彼らと交流を図りつつ、人間と同じ生活態度を身につけさせ、基礎学力を向上させます。

 人工知能はそれぞれ別の身体的特徴を持ったヒューマノイドに搭載します。初めは乳児型のもの、人工知能が学習するにつれ、それぞれの特徴に合った形で成長したヒューマノイドに載せ替えていきます。人工知能には名前をつけ、基礎的な学習をさせるのと並行して、互いの差異を意識させ、自分達の環境について自ら解明するように誘導します」

 際はそこで一呼吸置き、聴衆がスクリーンに注意を向けるのを待った。半数以上の聴衆が顔を上げたところで、エンターキーを叩いた。3Dアニメーションが再生され、十歳程度の子供の顔と全身が四人順番に映し出され、最後に四人の子供達の全身が横並びに登場し、静止した。

「私の自慢の子供達を紹介しましょう」

 際がエンターキーを叩くと三人の子供達がスクリーンから消え、一人が拡大される。

「一人目はフィート、男の子のヒューマノイドに搭載されています。彼のヒューマノイドは運動系に特化しています。体を動かして外界に働きかけることが得意です。声が大きくやんちゃで、同じ男の子のヒューマノイドのレガシーとはいつも張り合っています」

 スクリーンに短髪で男の子らしい動きやすい服を着たヒューマノイドが映っている。四肢が頑丈に作られていて、見た目にも運動に適したヒューマノイドであることがわかる。

「二人目はシバ、女の子のヒューマノイドに搭載されています。彼女は感知能力に優れたヒューマノイドです。聴覚センサー、視覚センサー、熱センサーなど、体の各センサーに他のヒューマノイドより精密なものを使用しています。他者と話をして物事を理解することが得意です。日常生活を円滑にする方法に長けていて、何事もうまく立ち回ります」

 フィートがスクリーンから消え、シバの顔が現れる。茶色味がかった長い巻き毛をツインテールにしている。顔のパーツの中では少々目が大きく作られている。

「三人目がレガシー。彼のヒューマノイドはフィートとシバが持ついい特徴を両方持っています。彼は飲み込みが早く、何をやっても一番に成功させます。常に何かを考えていて、自分の出した結論を他者に伝えるのも上手です」

 レガシーのヒューマノイドはフィートより小柄だ。フィートと同じ黒い髪で、肩に毛先がつくくらいの長さをしている。

「四人目はストリクト。彼女はレガシーとは真逆で、身体の全ての機能が他の三体より劣っています。身体的なハンデを認め努力することで克服しています。真面目で学習に熱心に取り組んでいます」

 おかっぱ頭の女の子がスクリーンに映される。背筋を伸ばし、気を付けの姿勢をしているが、表情は険しく、自分の身体を厳しく律しているのが窺えた。

「以上が今回の実験対象となる人工知能達です。彼らは現在、人間で言うところの十歳程度まで成長し、個性が顕著になっています。学習内容の難易度も揃って順調に上がってきています」

 際は悠真と琉星に檀上に来いと手振りで指示した。悠真は心得ているとすんなり立ち上がり前へ出たが、琉星は両手を顔の前で振って拒絶した。際の目の色が変わり、手振りも激しくなる。琉星は観念して立ち上がり、小走りで檀上に上がった。

「人工知能達に勉強を教える先生役を紹介します。私、青桐際は担任と文系科目の担当です。今は主に国語を教えています。理系科目は皆さんから見て左側にいます修士二年の黒田悠真です。今は算数や理科、特に情報工学を教えています。そして、体育担当が学部四年の楠木琉星です」

 琉星は悠真が会釈をするのに合わせて頭を下げた。素っ気ない態度での悠真の陰に隠れて一緒に席に戻る。

「この実験は二ヶ月間を予定しています。今週で三週目です。今のところ、彼らに自分達の置かれた環境について考える素振りは見られません。彼らが何に関心を抱き、情報として記録し、処理するか、引き続き経過を見守っていきます」

 際は発表を終えた。拍手をもらい一礼し、深呼吸をしてから資料をまとめて戻る。琉星が満面の笑みでガッツポーズをしていた。苦笑いを返事にして席に着く。資料を机の上に置くと、紙がばらけて悠真が落書きしたページが前に出てくる。一瞬、苛立ちを覚えたが、際はそれを消さずに残すことにした。

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