第37話 借金王、激高する

女の年齢は二十代半ば。その峻烈な美貌は氷の女王を連想させる。黒の天鵞絨ビロード生地に金糸で竜が刺繍されたドレスをまとい、腰には豪華な装飾が施された黄金の剣を吊るしていた。


女は部屋の中央の椅子にゆったりと腰掛けていたが、俺達を見ると優雅とも言える動きで立ち上がり近づいてきた。


俺はその女とジャンヌの間に立ち塞がる。その女が何者なのか、俺は良く知っていた。なにせ一時とは言え、元の雇い主だ。


「いきなりこんなところまで連れて来た理由を聞かせてもらおうか。イングランド王国第一王女、メアリ・スチュアート姫殿下?」


背後でジャンヌが息をのむのがわかった。同時に控えていた貴族と兵士達が俺の無礼に詰め寄ろうとする。だが、女はそれを手で制した。


「まず訂正しておこう。今の私は王女ではなく、イングランド王国女王メアリ・スチュアートである。貴様が〈借金王〉ダリルだな? 我が軍の士官を斬って脱走したそうだが、その件はひとまず置いておこう」


彼女は壁に貼られていたイングランドの地図を指さした。


「いま……我が王国は滅亡に瀕している。王都ロンドンを始め各地で黒死病ペストが猛威を振るい、その被害の拡大はとどまるところを知らぬ」


メアリの顔は、苦しげにゆがんでいた。


「治療に取り組んだ王国の魔術師や司祭はおろか、ついに前国王陛下と皇太子も倒れ万策は尽きた。そこに差した光が……黒死病におかされたオルレアンを救った〈聖女〉の噂だ」

「それで……王太子に話を持ちかけたってわけか」

「そうだ。停戦交渉の条件として引き渡しを約束させた。おまえ達は相当フランスの貴族どもに憎まれていたようだぞ? あのままフランスに残っていれば、遠からず暗殺されていただろう。王太子も喜んでこちらの提案に乗った」


そう言うと、メアリは俺を押しのけてジャンヌを見つめた。


「〈聖女〉ジャンヌはイングランド軍に拉致され、処刑されたことになる。だが時期を見てフランス国王はローマ法王に請願し、聖人として認定する予定だ。我が王国の黒死病を止めてくれれば、莫大な報酬とイングランド王国の国籍を与えよう。旅行者としてフランスを訪れることも可能だ。ダリルの件も不問とする。……やってくれるか?」


その勝手ないいぐさに、俺は思わず横からメアリの襟首をつかみ上げた。


「ちょっと待てよ!! さんざん他人の国を荒らし回ったあげく、自分の国が危なくなったから助けてくれってか? ……ふざけんのもいい加減にしろよ? ジャンヌはな……てめぇらに家族を殺されてんだ!」


王や貴族どもはいつもこうだ。他人を自分の都合に合わせて動く駒としか思っちゃいない。ジャンヌの気持ちは一体どうなる?


だが、俺を見返すメアリの目は……あまりにも静かだった。


「その通り……これは虫の良過ぎる話だ。しかし、もうイングランド王国に残された手段はない」


そう言って、メアリはゆっくりと目を閉じた。


「おまえ達が許せぬというならば、私の命を差し出そう。そのかわりに……どうかイングランドの民を救ってくれ」


              ***


「…………ダリルさん」


部屋に満ちた沈黙を破ったのはジャンヌだった。


そっと俺の手に触れ、メアリを放すよう促す。その瞳には涙が溢れ、唇は小刻みに震えていた。だが、それでも……彼女はメアリの前に進み出た。


「フランスは救われ……母国での私の役目は終わりました。そして今、イングランドの方たちが黒死病ペストで苦しんでいるなら……その方たちを救うことは、女神様も望まれるはず。あなたの言う通りに……しましょう」


メアリが、そっと息を吐いた。そして深々と頭を下げる。


「〈聖女〉よ……感謝する」


ジャンヌは静かに首をふった。


「……いいえ。今日から私は、ただの〈ジャンヌ〉です」

「……すまなかった。ではジャンヌ。明朝、おまえたちをロンドンへ案内しよう」

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