第四章 ランス戴冠

第19話 借金王、アドバイスし損ねる

解放軍の一部をオルレアン城に残し、シノンの仮王宮に凱旋した俺達が見たのは、無数の軍旗がひるがえるさまだった。城壁の周囲にはいくつものテントが張られ、大勢の兵士がたむろしている。


俺は戦勝の報告に同行していたデュノワ伯爵に聞いてみた。


「なあ、伯爵。こいつら……なんなんだ?」

「今まで様子見をしていた貴族達の軍勢だろう。ブルゴーニュ公と王太子殿下のいずれにつくか決めかねていた者達が、オルレアンの勝利を聞いて駆けつけたのだ。まったく……騎士道の風上にもおけぬ!」


伯爵がため息をついたとき、前方から轟くような大歓声が聞こえた。解放軍やフランス王国を讃える声の中に、ジャンヌの名を呼ぶ声もある。


城門の中は興奮した群衆に満ちあふれていた。俺達はその中を苦労して進み、ようやく城内にたどり着く。そして案内された大広間には、入り切れないほどの貴族たちが集まっていた。


玉座に座っていた王太子が俺達を見つけ、立ち上がる。


「こたびのオルレアン解放戦、みごとであった! デュノワ伯、ジル将軍には心から礼を言おう!」


二人は最前列に招き寄せられ、無言で頭を下げた。


「さて……余はこの勢いに乗ってランスへ兵を進め、正式にフランス国王として戴冠式を行いたい。そのためには行く手を阻むイングランド軍を打ち破らねばならぬ。我こそはと先陣を望む者はおらぬか?」


王太子は期待に満ちた顔で広間を見わたした。しかし誰もが微妙に下を向き、沈黙していた。ランスへの途上には当然、今回の雪辱を誓う〈鮮血王女〉ブラッディメアリが待ち構えているだろう。貴族達は皆、貧乏くじは引きたくないというツラだった。


……だが。


「私が参ります!」


俺の隣りにいたジャンヌが、いきなり手を挙げて叫んだ。そして止める間もなく一直線に王太子の前に進み、ふわりとひざまずく。


「ランスへの先陣は、このジャンヌ・ダルクにお命じください。女神カルディナの名の下に、必ずや殿下の戴冠を成し遂げてみせましょう」

「お、おお……」


突然のジャンヌの登場に王太子はうろたえていた。一方、大広間に詰めかけた貴族達はヒソヒソと囁き始める。


「あれが?」

「あの娘が噂の……」

「なんと粗末な身なり……田舎娘丸出しではないか!」

「まったく馬鹿なことを……。小娘にいったい何ができる?」


ようやく気を取り直した王太子は、ジャンヌに首を振った。


「ジャンヌ。余を助け出してくれたことは感謝している。だが、おまえには率いる軍が……」


言い淀む王の言葉を低い男の声が遮った。


「ございます。ナント公ジル・ド・レ、一千の兵士と共にジャンヌ殿と参る所存」


さらに野太い男の声が続く。


「同じく。私も一千名の兵士を率い、ジャンヌ殿のお供をさせていただきましょう」


ジャン・ド・デュノワ伯爵は傲然とした笑みを浮かべ、大広間を見渡した。その瞬間、大広間の貴族どもは気づいたようだった。この先陣に加わらなければ、彼らの言う〈小娘〉の影に隠れる卑怯者、臆病者と呼ばれることに。


たちまち蜂の巣をつついたような騒ぎが始まった。


「アランソン公ジャン・ド・ヴァロワ! 先陣に加えられたい!」

「エティエンヌ・ド・ヴィニョル男爵! 先陣に!」

「ポトン・ド・ザントライユ子爵! 参ります!」

「……!! ……!!」


結局、ランス派遣軍は一万二千名を越え、総指揮官はトゥーレーヌ公アルチュール・ド・リッシュモンという頑固そうな爺さんに決まった。


そんな騒動から三日後。オルレアン解放戦の論功行賞が行われた。俺達は全員、報奨金として金貨のつまったズシリと重い皮袋をもらい、さらにジャンヌには美しい板金鎧が与えられた。


あてがわれた部屋に戻ってからも、ジャンヌはうれしそうに鎧をなでていた。そこで鎧を着るのは初めてだろうジャンヌに俺はアドバイスしてやることにした。


「板金鎧はけっこう重いだろ? 大丈夫か?」

「はい! わたし、農作業で鍛えてますから力は強いんです。でも……」

「どうした?」

「この鎧……ちょっと……」


言いにくそうにジャンヌは口をにごした。


「鎧なら俺はくわしいぜ。なんでも聞いてくれよ」

「いえ、その……」

「なんだよ、遠慮すんなって」

「ちょ、ちょっと、ダリルさんには……言いにくくって……」


なぜかジャンヌはチラチラとクリスの方を見た。クリスは部屋のテーブルに弓と短剣ダガーを並べ、手入れしている。


「クリスは皮鎧しか着たことねーだろ? 金属鎧なら俺が専門だ」

「どうしても……言わなきゃダメですか……?」


涙目のジャンヌにあえて俺は真面目な顔で言ってやった。


「戦場は過酷な場所だぜ。命を預ける鎧に不安があったら生き残れねー……ほら、言ってみな」


ぐっと詰め寄る形になった俺に観念したように、顔を真っ赤にしたジャンヌは声を絞り出した。


「う、ううっ……。そっ、その……む、胸がちょっと……きゅ、窮屈かもしれません……」

「へ?」


俺は思わず間抜けな声を出してしまった。ジャンヌは目に涙を浮かべて顔を伏せ、板金鎧の胸甲を抱きしめている。


「わっ、わりぃ! そ、そりゃ言いにくいよな……気がつかなかったぜ。俺、胸ないし」

「……普通は気づくだろう。まったくニブ過ぎる……いろいろと」


ボソリとクリスがつぶやいた。っていうか、わかってたんなら早く言ってくれ。


「ま、まあ、ジャンヌ。それは鍛冶職人が調整してくれるから心配すんな……って、どうしたんだよ?」


視線を感じて振り返ると、窓際の椅子で本を読んでいたはずのアリーゼが鼻息を荒くしてこちらを見ていた。


「いや〜、今のダリルっち、若い娘にエッチな言葉を言わせようと迫るエロ親父みたいでめちゃくちゃ興奮したでち。ボクもあんな風に言葉攻めされたいでち!」

「おっ、おまえなあ!」

「あ、そうそう。ボク、宮廷魔術師としての辞令を受けたんでち。正式な任命は王太子の戴冠後なんでちが、もう書庫の閲覧を許されたのでこれから調べものをしてくるでち。……ひとりっきりだから、いつでも襲えるでちよ?」

「襲わねーよ!! ジャンヌを鍛冶屋のところに連れてって、そのあとは久しぶりにこの金で酒を飲むんだからな……って、あれ? 俺の金は?」


気がつくと、テーブルに置いたはずの皮袋が消えている。クリスが涼しい顔で短剣の曇りを確かめながら言った。


「さすがフランス王家。悪くない稼ぎだったぞ」

「ちょ……。おま……」


俺は膝から崩れ落ちた。おまえら、俺に容赦なさすぎだぜ……。

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