第20話 借金王、吟遊詩人に出会う

結局、ジャンヌを城の鍛冶屋(ラッキーなことに女の鍛治師だった)に預けたあと、俺はなんとか奪い返した一枚の金貨を持って酒場に向かった。


シノン市内を歩くと武具の売買や手入れの呼び込み、食料品や日用品などの物売りの声がにぎやかだった。貴族達が連れてきた兵士達のせいで、人出も普段よりはるかに多いんだろう。


そして、そのざわめきのあちこちから〈オルレアンの奇跡〉のうわさ話が聞こえてきた。


「もう、ダメだと思ったらな……〈聖女〉様が来て、あっという間にイングランド軍を追い払っちまったんだ!」

「まったく、すごいねぇ! 女神様のお告げを聞いたんだって?」

「俺はなぁ、あの〈聖女〉様に病気を治してもらったんだ!」

「へぇー! どんな人だった?」

「そりゃぁもう、天使よ! そっと額に手を当てられると、いい匂いがしてよ……」


そんな声を聞きつつ、ぶらぶら歩いて見つけた酒場〈歌うカナリヤ亭〉シャンテ・カナーリも、兵士や街の住人達で賑わっていた。


四人がけの円卓に案内され、さっそく麦酒を注文する。運ばれて来た木製ジョッキを一気にあおると、ホップの爽やかな香りが口の中に広がった。やっぱり俺はハーブを使った麦酒グルートより、ホップを使った麦酒エールの方が美味いと思う。


すぐさま給仕娘をつかまえ、麦酒のおかわりを注文する。ついでにこの街の名物を聞いてみた。


花梨マルメロで作った蜂蜜菓子かねぇ? 最近話題の聖女様にかこつけて、〈聖女の微笑み〉なんて名前で菓子屋が売り出してるけど」

「もう便乗商売してる奴がいるのか……ほかには?」

「この街で作ってるマスタードは有名だね。茹でた黒ソーセージブーダン・ノワールにつけて食べるとおいしいよ」

「いいな! それ頼む!」


やがて盛大に湯気を上げる黒ソーセージが運ばれてきた。


ちょうど親指と人差し指で輪を作ったくらいの太さのが二本。下茹でされた柔らかいキャベツをソーセージに巻いてかぶりつく。舌の上で熱い肉汁が弾け、こくのある脂とマスタードの酸味が溶け合う。そこにすかさず麦酒を流しこむ……まさに天国だった。


だが、いそいそと俺が二本目に手を伸ばそうとした瞬間。


背後から伸びて来た白い指が、黒ソーセージをつまみ上げた。ソーセージ泥棒は遠慮なく一口かじり、満足そうなため息をつく。


「……これはうまいな。ワインにもよく合う」


クリスだった。ワインの入ったカップを片手に空いていた椅子に座る。


「てっ、てめぇ……。お、俺の……俺の黒ソーセージブーダンを返せ!」

「フランスで言う〈寝取られ男〉コキュのような台詞だな? もう一皿注文してやるから静かにしろ。吟遊詩人が歌い始めるぞ」

「くそ……。食い物の恨みは怖いんだぜ……」


振り返ると、店の奥の小さな舞台で竪琴ライアーを持った吟遊詩人が歌い始めようとしていた。見たところ二十歳前後だが髪を伸ばしており、男だか女だか区別がつかない。その歌声も美しいが中性的で、けっきょくどちらともわからないままだった。


 フランスに危機が訪れる

 天は裂け 地は荒れ果て 人々は絶望の涙を流す


 そのとき 女神はひとりの少女を遣わした

 彼女は傷を治し 病を癒し 兵士達の先頭に立つ

 彼女を守るは 勇猛な戦士 俊速の盗賊 偉大な魔術師

 

 その彼女の手にあるは 女神より与えられし聖なる軍旗

 一振りで 新兵を歴戦のつわものに変え

 二振りで 軍の意気は天を衝く

 三振りすれば その軍勢は女神の力に守られ

 あらゆる敵を打ち砕かん……


歌が終わると、店の客達はジョッキをガンガンとテーブルに叩き付け、肩を組んで合唱を始めた。


「ジャンヌ! ジャンヌ! ジャンヌ! ジャンヌ……!」


今の歌が誰のことか、もうみんな知ってるらしい。ちなみにここに「勇猛な戦士」と「俊速の盗賊」がいるわけだが……誰も気づかないようだった。


それよりも……。


「ちょっと行ってくる。俺の分も黒ソーセージ、残しとけよ」

「ふふ……保証はできんな」


すまし顔のクリスを残し、俺は楽屋に引っ込んだ吟遊詩人を追いかけた。


吟遊詩人は派手な舞台衣裳を脱ぎ、竪琴を木箱にしまおうとしていた。俺の顔を見ると、にっこりと微笑みかけてくる。


「ああ、お客さん? サインですか? それとも握手?」

「いや、そうじゃなくてな……。さっきの歌に出てきた〈女神の軍旗〉ってやつについて、ちょっと教えてくれねぇか? もし本当にあるなら探し出したいんだが」


吟遊詩人は首をかしげた。


「ああ、あれは創作ですよ。〈聖女〉が兵士の先頭に立つのに手ぶらじゃ格好がつかないでしょう? 城門で凱旋する彼女を見ましたが、剣を振り回す感じじゃありませんでしたから、旗を持たせてみただけなんです」

「そ、そうなのか……。いや、そんな旗が本当にあるのかと思ったぜ」

「そう言ったものをお探しなら、仮王宮の書庫を調べられてはいかがです? フランス王家の伝説の武具の話などが伝えられているかもしれません」

「……わかった。ありがとな。さっきの演奏良かったぜ。これ、少ねぇけど」

「どういたしまして。こちらこそありがとうございます」


俺がチップとして渡した銀貨を吟遊詩人は優雅に一礼して受け取った。


席に戻ると、新しく運ばれたらしい黒ソーセージはちゃんと皿に残っていた。


「用事はすんだのか?」

「ああ。今から仮王宮の書庫に行く」

「すっかり冷めてしまったが、これはどうする?」


クリスは皿を指さした。


「そうだな……ちょうどいいや」


俺は通りがかった給仕娘に頼んだ。


「こいつを持ち帰りにしてくれ。マスタードを塗ってキャベツを挟んだパンもつけてな。それとリンゴ酒も一つ」

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