第3章

第12話 幸せショコラ時間(1)

 内々陣で頬杖を付き寝そべりながら、蘇芳は小さな山になった絵馬を手にしてはつまらなそうに、放り投げた。

「却下」

 そう言って別の絵馬に手を伸ばす。

「却下、却下、却下」

 側に控えていた千代は、絵馬の整理をしながら、さりげなく一枚の絵馬を押し出した。

 ぼんやりした様子の蘇芳の手に、それは無事に渡った。

「……食べても太らない、甘くて美味しいチョコレートを作りたい?」

 蘇芳は読み上げると眉根を寄せた。

「そんな都合の良いもの存在して良いわけがないでしょう。却……」

 却下、と言おうとした唇のまま、彼はしょんぼりする千代に気づき、慌てて放ろうとした絵馬を持ち直した。

「ま、まぁ、夢のある話だよね、千代ちゃん」

 言うと、千代はパッと顔を輝かせた。

「はい! 全女の子の願いです!!」

 蘇芳もつられたように、笑顔になる。

「そ、そうだよね」

 チョコレートは甘いもの。甘くて美味しいものは、総じてスタイルを気にする女性の敵だ。

 糖質脂質を兼ね備えたものは美味しい。美味しいからこそ、憎たらしい。けれど、その憎い要素がなくなったとしたら……?

 蘇芳は絵馬と千代を見比べてから、腕を組んでうんと唸った。

「まぁ……ランクも陸(6)だし。不可能ってわけでも、なさそうだし」

 愁眉を開いた蘇芳に千代はきょとんとする。

 蘇芳はニヤリと笑った。それからよっこらせ、と立ち上がると、着物の裾を正して、両手で髪を撫でつけた。

「行くよ、千代ちゃん。このチョコレートを作る人に会ってみようじゃないか」

「えっ、でも、ランクが……」

 驚いたのは千代だ。

 ランク陸(6)と言えば、不可能ではないとは言え、即座に安易にこなせる願掛けでもない。

 ランク参(3)のひよこ探索も大変だったのだ。しかも、まだ失敗できないと言う制約もある。

 絵馬を渡したものの、本音を言えば、今はまだ蘇芳に無茶はして欲しくない。後日、余裕ができてから……と考えていた。と言うか、断るものだと思い込んでいた。

「千代ちゃん」

 と、それを見越したように蘇芳は目を細めた。

「僕にはできないと?」

「そんなわけありません!」

 千代はぶんぶん首を振った。

 何が蘇芳をそうさせたのか千代には分からなかったけれど、一番重要なのは彼がやる気を出してくれたことに尽きる。

 彼の様子から不可能な願掛けでもないのだろう。ならば、もしも困難にぶち当たった時は、自分が支えれば良いのだ。

 千代は握り拳に力を込めた。

 それに……『太らないチョコレートを作る』。それこそ、神通力の見せ所ではないか。と言うか、そんな夢のようなチョコレートができるなら、是非とも欲しい!

「行きましょう!」

 千代は力強く頷いた。

 蘇芳は少しだけ頬を染めて、微笑み返すと、キッと真摯な眼差しで前を睨みつけ、姿勢を正すと出発した。



 絵馬に記された住所は、カミナシ市の中央大通りに接したショコラトリーだった。

 崩し字で『ココペリ』と書かれた看板の店頭には、チョコレートで作られた大きなドラゴンや、ランドセル、ローファーなどがディスプレイされている。

 店内の端には空きスペースがあり、そこには二人がけの椅子と丸いアンティーク調のテーブルがあった。

 お客が数人、店内のガラスケースを覗き込んでいる。ケースの中には直径二センチほど、高さ三㎝ほどのさまざまなチョコレートの粒が並んでいた。

「こ、ここは……」

 言って、千代は店を前に歩みを止めた。その喉が、ごくりと鳴る。

「知ってるのかい、千代ちゃん」

 蘇芳が隣に並ぶ。千代は神妙に頷いた。

「はい。前にこのお店のショコラティエさんが雑誌に出てるの見たことあります」

 千代は雑誌の記事を思い出していた。

 宝石のような繊細なチョコレートを作り出す職人が何人もインタビューに答えている中に、このお店『ココペリ』のショコラティエもいたのだ。

 看板の妖精が笛のようなものを口に添えているイラストが可愛くて、加えて、ショコラティエ本人が独特の人で覚えていたのだ。

「しょこらてぃえ?」

「チョコレートを作る専門家ですよ」

 珍しく、女性のショコラティエだった。

 そして、小さくふくよかな彼女は、きめ細やかな白い肌に、小さくくりっとした目をしていた。彼女の容姿を一言で表すのなら「雪だるま」だ。名前は確か……桜庭雪子。

 千代が記事の写真を思い出した頃、そのイメージそのままの人物が、店のレジの奥から顔を出した。

 ディスプレイギリギリの高さから顔と背の高い帽子が突き出ている。

 帰る客を見送っていた彼女は、千代と蘇芳に気付くと、小走りに店の外にやってきた。

 透明の扉が開くと、カランと鈴の音が鳴った。

「神様! 来てくださったんですね」

 てとてとと擬音が聞こえてきそうな走り方で駆け寄ってきた彼女は、背の高い白い帽子を外すと、深々と頭を下げた。

「こちらへどうぞ」

 彼女はそっとクローズドと印字された掛け板を店先にぶら下げると、蘇芳と千代を店の端のテーブルに案内した。

 それから彼女は一旦、店の奥に戻ると、珈琲とチョコレートの粒の乗った大皿を持って戻ってきた。雪子は千代が思っていたよりもずっと背が低く、テーブルに辛うじて胸元が届くくらいだ。

 雪子は皿をテーブルに置くと、ニコリと小さな目を細めた。

「お召し上がり下さい」

「わあああああ!」

 皿に乗ったチョコレートに千代の目にハートが浮いた。

 アンモナイトを思わせる形をした物や、ナッツのちりばめられたボウル型の物、可愛らしいハートに、葉の形をしたホワイトチョコレート、加えてマカロンもある……

「ありがとうございます!」

 すかさずチョコレートに手を伸ばし掛けた千代は、慌てて手を引っ込めた。

 蘇芳を見やる。彼はニコニコと千代を見ていた。

「蘇芳さまは召し上がらないんですか……?」

「千代ちゃん全部食べて良いよ。僕は甘いものが苦手でね」

 それを聞いて、雪子はそっと手を差し出し、皿に載ったチョコレートの一つを示した。

 黒光りするそれは、四角の形に、斜めに十字の線が入ったシンプルな作りの物だ。

「それでしたらこちらを。甘くないチョコレートです。辛いのがお好きでしたら、こちらもどうぞ。唐辛子を練り込んであります。ぴりっとしますよ」

 蘇芳が目をぱちくりさせる。

 それから恐る恐る四角のチョコレートに手を伸ばした。

 千代も葉型のチョコを手に取る。

 二人して口に運んだ。

 そして。

「んんんん――ッ! 中から抹茶が……ッ!」

 千代は蕩ける渋さと甘さに、両手で自身を抱くと全身を震わせた。

 蘇芳はびっくりしたように一口囓ったチョコレートを見下ろしてから、すぐさま残りを口中に放った。

「美味しい……」

 呆然と呟き、珈琲を口に運ぶ。

 次々チョコレートを口に運ぶ二人を前に、雪子は幸せそうに微笑んだ。

「蘇芳さま! こっちはキャラメルです!!」

「こっちも美味しいよ。一口食べる?」

「わあ、本当だ。ピリッとしますね!!」

 二人は暫くきゃっきゃと声をあげて皿の上の菓子を貪った。

 とにかく、美味しい。

 千代は感動していた。

 コンビニで食べるチョコレートをまずいと思ったことは一度もなかったが、三ダース分でやっと一粒食べられるようなチョコレートは、何かが違う。

 値段だけではない。味はもちろんのこと、口中で蕩けるまろやかさだとか、滑らかさだとか、身体を走る幸福感だとか、とにかく、夢を見させてくれる。うっとりするような、甘い夢を。

 すっかり皿の上が綺麗になる頃、蘇芳は名残惜しそうに指についた蕩けたチョコレートを舐めた。

 ゴホンと、咳払いをして姿勢を正す。

 それから雪子に問いかけた。

「それで、どうしてあんな願いごとを?」

 千代も蘇芳の対面で、手を膝に置くと背を伸ばした。


 ――食べても太らない、甘くて美味しいチョコレートを作りたい。


 確かに、チョコレート好きにとっては、たってもない願いだったが……

 これだけ美味しく、これだけ客足も頻繁なお店のショコラティエが何故、そんな願いを?

 雪子は千代と蘇芳を交互に見つめてから、しょんぼりと項垂れた。

 それから苦々しげに眉根を寄せると、小さな目を伏せ、唇をきつく噛んだ。

 そして、吐き捨てるように唇を開いた。

「心の……死活問題なんです」

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