第10話 探しものは何ですか(3)

「どの子も違います……」

 花の返答は簡素だった。そして二人は再びさきほどひよこを釣った空き地に戻ってきていた。

「みなさん、突然捕まえたりしてごめんなさいね」

 千代がひよこたちを解放すると、彼らは一度足を止めて千代を恨めしげに振り返った。

「ひよひよ!」

 大きな声で叫び、ひよこたちは蜘蛛の子を散らすように深い草むらへと逃げ帰っていった。

 辺りは暗くなりかかっていた。もう残された時間はない。

「もう、どうしたら良いのか、野良ひよこを狙う猫もいるって言うし、私たち……どどど、どうしましょうっ、蘇芳さま」

 千代は目に見えて動揺し始めた。

「まだ焦る時じゃない。逆転の発想だ、千代ちゃん」

 逆に蘇芳はいたって落ち着いていた。腹が据わったと言うことなのかもしれない。

「逆転の発想、ですか……?」

「ひよこを好きな動物は?」

 食べると言う意味では、

「猫?」

 と千代は問いに問いで返す。

 蘇芳はパチリと指先を鳴らした。

「そうだ。猫になろう」

「意味がわかりません」

「好物の臭いを辿るんだよ」

「な、なるほど!」

 胸を張って言う蘇芳に、千代も目を輝かせた。

 蘇芳は自信に満ちた高笑いをすると、手を天に翳した。

 目映い光が蘇芳を包み込む――

 トンッと音を立てて傘が道に転がった。

 光が収まると、そこには茶トラの猫がいた。

 猫蘇芳はわざとらしく「にゃー」と鳴いた。

 千代は惜しみない拍手を送ってから、小首を傾げる。

「でも……臭いを辿るなら、犬の方がよくないですか?」

「もう変身しちゃったよ。千代ちゃん」

 蘇芳は神通力を一度使うと五日は動けなくなってしまう。変身し直すのは不可能だ。

「それに、写真じゃ臭いをたどれませんよ」

「千代ちゃん! そういう指摘はもっと早くに」

「いや、私は意味が分かりませんと言いました」

「そのあとなるほどって納得してたじゃない」

 二人で言い争っていると、辺りに不穏な気配が立ちこめた。

 千代はハッと辺りを見渡した。

 蘇芳も気付き、尻尾を逆立てる。

「かっ、囲まれている!!」

 道、道を挟む塀の上など至るところに野良と思われるひよこが音もなく現れた。

「ひよ! ひよひよひよ! ひよ!!」

 千代には何を言っているかは分からない。

 けれど、凄みの効いた声でひよこたちが一斉に鳴き始め、ただならぬ雰囲気を肌で感じた。

「蘇芳さま。一体、ひよこは何を」

 動物同士の蘇芳になら分かるかもしれない。そう考え、千代は問うた。

「『お前が最近野良ひよこを襲っている猫野郎か』だって」

「いたたっ、蘇芳さま! 違いますって応えてください! すでに襲われてます!!」

 蘇芳が言い終わらぬうちに、ひよこたちは特攻を仕掛けてきた。小さな嘴でも、突かれ、抓まれると痛い。

「にゃー! 違うにゃー!」

 蘇芳が攻撃から身を守るように身体を丸めて無実を訴える。

「ひよひよ!!」

「『嘘をつくな!!』だって!」

「だと思いましたよ! えーん、あいた、いた、いたたっ」

 蘇芳と千代はひたすら耐えた。

 相手はひよこである。ちょっと振り払っただけでも致命傷になってしまう。

 と、その時だった。

「ひよ――!」

 悲鳴が響き渡り、ひよこたちの様子が一変した。

 千代は恐る恐る瞼を持ち上げて、あっと声を漏らした。一匹の大きな虎猫がひよこたちに襲いかかっているではないか! 

「新たな猫が! ひよこたちが危ない……っ」

「ひよひよひよー!」

 何とか猫の凶爪を避けてはいるが、猫にひよこだ、勝ち目はない。

「こ、こらー! くっ、なんて図太い猫なの、全然、怖がってくれないなんて……っ!」

 千代は慌てて防御を解くと、猫に向かって手を振りあげた。

 けれど猫はそよ風でもふいたように済ました顔だ。千代たちには目もくれず、ひよこたちを爪で翻弄し続けている。

「このままじゃ、どの子が依頼主のペットか分からないまま、全滅ですよぅっ」

 千代や蘇芳の抗戦にも関わらず、一羽のひよこが猫の爪の前に倒れようとしたその時――

 ぺしり、と猫の右頬にぶつかるものがあった。

 細長く、茶色く、にゅろっとしたそれは、

「ミミズ!? 一体どこから!?」

 千代が慌てて辺りを見渡すと、塀の上に一羽のひよこがいた。

 貫禄のあるひよこだった。

 右目の上には猫の爪に斬りつけられたかのような痛々しい裂傷がある。

 それはひよこたちを蹂躙しようとする猫へ向かって鳴いた。

「ひよ! ひよひよひよ!」

「『か弱いひよこを虐めて楽しいか! 成敗してくれる!!』」

 蘇芳がすかさず訳してくれる。

「……あのひよこ、まさか」

 千代はカッと目を剥いた。

「まさか何なんです!?」

「ひよ!」

 そのひよこは一声叫ぶと、塀の上から飛び降りた。その勢いのまま、猫に蹴りを食らわす。

 足の爪でしたたかに顔を切りつけられた猫はひるみ、尻尾を丸めもの凄い勢いで後退するとサッと踵を返した。

「す、すごい。あの子、一撃で猫を……!」

「やっぱり」

 感動する千代に対して、蘇芳は地面に座り込むと尻尾を立て、険しい顔付きで目に傷のあるひよこを見た。

「彼はここ最近、野良ひよこ界を束ねていると言う期待の新星――親分だ!」

「ひよひよー! ひよひよー!!」

「『親分! 親分!』親分んんんんッ!」

「蘇芳さままで!」

 蘇芳が逆毛立てて声をあげる。

 目に傷のあるひよこがくい、と顎を上げると、よろよろと、傷ついたひよこたちが近づいていく。

 千代はその様子を冷静に眺めながら、一つ問うた。

「蘇芳さま。いつそんな情報を仕入れたんです?」

「さっき!」

 蘇芳は両手を挙げながら、答えた。そこに、

「神様~あと、巫女さま~」

 声がして、ピンクの桜柄の傘をひるがえし、鈴木花が走ってきた。

「やっぱり、いてもたってもいられなくって……」

 肩で息をして蘇芳たちに寄る足を止めると、ひっと悲鳴をあげた。

「ひよこがこんなにたくさん!」

「ちょうど良かった、鈴木さん。この中にペットの子はいますか?」

 千代は尋ねた。

 驚いていた花は親分に集まっていたひよこたちをじっと見つめた。そして、「あっ」と声を漏らした。

「いたんですか!?」

「……からあげ」

「は?」

「からあげッ! からあげーッ!!」

 花はそう叫ぶと、一歩一歩、ひよこたちの集まりに近づいた。

「ちょ、鈴木さん、突然お夕飯の希望叫び出すなんてどうしちゃったんですか!? めっちゃびびってますよ、ひよこ。あーあーあー、逃げちゃう逃げちゃう」

 ひよこたちがわたわたと逃げ出す。

 それを見やりながら、蘇芳は手を打った。

「なるほど、そういうことか」

「え、蘇芳さま分かったんですか!?」

「彼女のペットの名前が『からあげ』なんだよ!」

「ペットなんですか、それ」

 花が一羽の前で座り込み、手を差し出していた。その相手は……親分だ。

「しかも、からあげが親分だなんて……だって人相が全然違うじゃないですか」

「いや、羽のところを見てみなさい。微妙に色合いが違う」

「分かりませんよ!」

「無事だったのね、からあげ」

 花が話しかけると、親分は躊躇いがちに一声鳴いた。

「ひよ……」

「『見つかっちまったようだな』」

「すごく、すっごく探したのよ、からあげ」

 気まずそうに、からあげが顔を背ける。 

「こんなに薄汚れて。弱々しくやせ細って……こんな…………」

 花の目に涙が盛り上がった。

「おいしいからあげが……」

「言質取れましたよ!? 蘇芳さま、ペットじゃない! からあげさん、ペットじゃないよ!!」

「ひよひよひよっひよ、ひよ……ひよ」

「『俺じゃ、あんたのことを幸せにはできねぇ。だから、家を出たっつーのに』」

 じり、と一歩、親分は退いた。

「ひよひよひよ……」

「『あんたにまた会えて、嬉しいって思っちまってる。俺は……まだ、あんたに惚れてるらしい』」

「蘇芳さま、訳間違ってませんか!? 何だか切ないすれ違いが起こってるんですけれど!!」

 花は悲しそうな顔をした。

「お願い戻ってきて、からあげ! 私たち家族には、あなたが必要なの!!」

 食材的にですよね?

 千代は舌先まででかかった言葉を飲み込んだ。

「ひよひよ! ひよひよひよひよ!! ひよひよ……ひよ!」

 俄に、逃げだしかけていたひよこたちが騒ぎ出した。少しだけ遠目に親分を見やる。

 蘇芳は目頭を押さえた。

「くっ……何て、親分思いのひよこたちなんだ」

「え、何て言ったんですか」

「『女を泣かせるヤツが親分のわけがねぇ!さっさと行っちまえ。行って……幸せになってくれ』って……」

「……戻っても、幸せかなあ?」

 千代ははらはらと花と一羽を見守った。

 親分――もとい、からあげはじっと花の手指の先を見ていた。

 それから、ぶるりと身体を震わせて雨滴を振り払い、決意めいた顔で花を見ると、ちょん、と差し出された掌の上に乗った。

「ひよ! ひよよ!!」

 じっと見送るひよこたちに声の限りに鳴く。

「『あばよ、ダチ公!』」

 花はからあげを肩に乗せると、蘇芳と千代に軽く頭を下げた。

「無事にからあげが戻ってきました。本当にありがとうございました」

「い、いいえ。見つかって良かったです」

 千代は慌てて、何とかそう声を絞り出した。

「帰ろう、からあげ。ご飯たくさん用意して待ってたんだからね。たくさん食べて、早く大きく丸くなるんだよ」

 優しい声が聞こえてくる。

 千代と蘇芳、残った野良ひよこたちは、幸せそうに帰路につく一人と一羽の背を見送った。

 千代は微笑みながら、その様子を見守っていたが、

「……良かったんですよね、蘇芳さま」

「たぶん」

 ふと、湧き上がった懸念に頬を引き攣らせた。

「からあげさん、雌鳥だと良いんですけれど」



 午後五時二十八分。

 願掛けレベル参(3)、コンプリート。

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